最近、父親が娘と関係を持ったとしていくつか裁判になっています。娘が
被害者で父親が加害者となっています。一方、母親と息子の関係は全く社
会的問題になっていません。どうしてなんだろうと思っています。
私は、父親と長いこと関係がありましたが、今は病気で病院中です。先日
、見舞いに行ったとき父は「罰が当たったな。お前にもすまないと思って
る。」と言ってましたので、私は個室で父とキスをしながら「何言ってる
の、あなた達が私を生んでくれたから、あなたと出会ったのよ。」と言っ
て抱きしめました。
母は、小さい体で私を生んだ時に大量の輸血をして、それが原因なのかわ
かりませんが、産後体調がすぐれず、喘息もあり、私は小さいころから母
の介護をしていました。幸いにも父は地元で安定した職に就いて、お酒や
たばこもせず経済的には不安はありませんでした。
母は、父が出勤するとすぐに長椅子やベッドに寝てばかりで、掃除、洗
濯、買い出しはいつも私がしていました。買い物では、言われたのと違う
ものを買ってくると、いつも怒っていました。そして、父にはいつも浮気
をしていないか大声で起こっていました。
そのことをそれとなく友達に話したら、「あんたのお母さんは病気だか
ら、お父ちゃんがセックスできないから、きっと、他の女の人としている
と思っているのよ。」と笑っていました。私たちの仲間は、当時、「おま
せな女」として男の子から警戒されていました。確かにセックスのことや
出産、エッチな雑誌をみていました。そんな時、私は男の人の実際のオチ
ンチンを見たくなり、母が検査入院しているときに、父が風呂の入りまし
たので「今日は私がお父ちゃんの背中を洗ってあげる。」と言って一緒に
ふろに入りました。
でも、実際に見てみると「ふやふや」で写真と大違いでした。
そして、三日後に一人で寝るのは寒いから一緒に寝たいといって寝まし
た。そして、父が寝ているときにおちんちんを触りましたが、やわらかく
て、どうしてこんなに柔らかいのが、私たちの中に入るのか不思議でし
た。
それから何日目かに、父が寝ているときにパンツをはいていないのに驚き
ましたが、触りやすいのでどんどん触っていましたら、どんどん大きくな
って固くなっていました。私は、「こんなに硬くなれば入ると入ると思
い、納得して寝ました。
その次の日は、父が「今夜は私が洗ってあげる。」と言いましたので「あ
りがとう」と言って父のオチンチンを見たら、大きくなっていたので「ど
うしてこうなるの?」と聞いたら「後で話してあげる」と言って風呂から
上がりました。そして、「今夜は裸で寝よう、布団に入ったら暖かい
よ。」といって二人一緒に布団に入り、父が「いつものようにお父ちゃん
を触ってくれる?」と聞いてきたので「知ってたの?恥ずかしい」と言っ
たら「恥ずかしいことじゃないよ、好きな人たちがする神聖なことだ
よ。」と言って私を抱きしめてくれました。その夜は、一晩中、男と女、
セックスの大切さ、結婚、家族の大切さを教えてくれました。その話を聞
きながら寝てしまいました。
その次の日から、風呂では洗いながら父の大事なところを触ったり、風呂
の中で抱き合ったりするようになっていました。
父と楽しい日々を過ごしていましたら、病院から母の体調が悪いとのこと
で病院に駆けつけましたが間に合いませんでした。
私の心の中は、母はいつも怒っていて掃除やセンタの家事は私がしていま
したし、お給料も父がいますので、子供ながらに不安や心配はありません
でした。父も通夜や葬儀は淡々とこなしていました。
母の法事も終わり、一息ついたとき私から父に「久しぶりに一緒に風呂に
入りたい」と言いましたら「おう!」という返事と、風呂で抱きあっつて
自然とキスをしていました。私は、父のそそり立ったものを握りしめてい
ました。私の心は、はじめて恋をした男性を受け入れたいと思っていまし
たが、私の中には入らないと心配しながらふ頭の中で抱き合っていました
が、彼は我慢してくれて、手だけでいってくれました。すごい量の精子が
出て初めて見ました。臭いも独特だったことを覚えています。
その後、風呂では父は両手に石鹸をつけて手で洗ってくれていました。特
に胸のところはとても気持ち良かったのを覚えています。
また、布団の中では指を私の中に少しずつ入れて大事にしてくれました。
それから、私は早く家に帰りたいと思うようになっていました。また、学
校では先生から「最近、居眠りやぼーっとしているときが多いので気をつ
けてください。」と指摘されていました。友達とのエッチな話も子供じみ
て面白くなくなりました。
父が帰ってきたとに、「お帰り」と言いながらキスをしていました。そし
て父からの提案で、「お父ちゃん」と呼ぶのをやめて「〇〇さん」と呼ぶ
ように、私のことも「〇〇ちゃん」と呼びようにしました。
やがて私は赤ちゃんを授かることができる大人の女になりました。父は大
変喜んでくれました。父は長いこと私を待ってくれていました。指ではな
く受け入れる努力をしました。やがて受け入れることができました。痛い
ことより嬉しさの喜ぶのほうが大きかったです。
最後の射精は外に出してくれましたが。私の顔まで飛んできました。
それからは、サックをしてするようにしましたが、少しづつ女の喜びを覚
えていきました。
そして、父の再婚話しが親戚から持ち上がりましたが、断ってくれました
ので、その夜は大サービスして69をいつまでもして、思い切って飲みま
した。私はその時、彼をどの女からも取られたくないと思ってしっかり飲
みました。
いつまでも抱き合っていたので、私は次の日が起きれませんでしたので、
父から學校に体調不良で休むと連絡してもらいました。
彼は、私のほほにキスして出勤しました。
夏休みは私たちは天国でした。ドライブに行って初めてラブホテルにも宿
泊しました。親戚の家では、私が声を出すのでさすがにセックスはできま
せんでしたが、抱き合って寝ました。バレンタインデーでは、友達に聞か
れたので、他の学校の男の子にあげてると嘘を言ってました。
また、私は当時、彼の妻のような気分でしたので、毎月のお小遣いという
より、好きなものは何でも買っていました。
ただ心配だったのは私の成績が落ちていたので、彼にどうしようかと相談
しましたら「女の子は成績が良かったら遠くに行くから、今ぐらいの普通
の成績でいいと思うよ。女性は将来、男性で決まるよ。」と言ってくれた
ので、安心しました。
私の学校生活はあっという間に終わり社会人になり、家で彼と楽しい生活
が送れると思っていましたが、不思議なもので、セックスのマンネリ化
や、私がもう一回したいと思って求めると、年齢的になかなか時間がかか
るようになっていきました。
そんな時、会社の上司が私に協力にアタックしていたので、興味本位でデ
ートしているうちに肉体関係になりました。この時、全身に電気が走りま
した。若い男性のセックスのすごさ、水が弾けるような若い肌の魅力、若
い体のにおい。
私は、家では彼と関係を続けながら、若い上司とも関係を持っていまし
た。体力的には大変でしたが、自分自身としては充実していた時期でし
た。
その後、上司の子を授かったことがわかりましたので、大変困惑しました
が、家で思い切って彼に話しました。彼は、「君が付き合ってる男が、君
と赤子を愛して育ててくれるのなら、会ってもいい。」と言ってくれたの
で、さっそく合わせました。上司の彼も喜んであってくれて、トントン拍
子で家庭を持つことができました。
私は。父とするときはサックを必ずしていましたので、本当に良かったと
思っています。
上司の彼は、早漏気味でセックスの途中でサックするタイプで、何回も我
慢できずに、私の中に出していました。そのたびに終わって喧嘩していま
した。
結婚後も、出産後に実家に帰っていましたが、まだ当時は父も現職で、母
は他界して育児も私がしなければいけませんが、父とバタバタ別れたよう
な気分でしたので、実家に帰って久しぶりに父から抱かれました。
あたしにとっては、二人とも人生で大事な男性です。
その父が、余命を宣告された病気を患い、少し弱気になっていますので、
キスをしてあげて顔だけでも抱きしめてあげたいと思っています。