この中出し以降、母は俺の子を産みたいと願うようになり、連日中出しが行われた。そして、母の子宮は俺の子を宿した。俺が中学を卒業するとき、母は店を40代の知人に譲った。その知人は店の常連だった、最初に俺を買ったおばさんで、俺は高校の帰りに母の店だったスナックでおばさんを抱いて、小遣いをもらっていた。やや緩んだおばさんの身体、黒ずんだオマンコ、母と比べたら美しさは無いが、中年女性独特の妙な艶かしさや、グロテスクなオマンコの卑猥さに興奮した。俺が高一になってすぐ、母の妊娠を知った祖父母が慌ててやってきた。店を他人に譲ったことを知り、「父親は誰なの?これから生活どうするのよ。」母は、父親はお客の誰かだと言い、祖父母に泣かれた。そして俺が高一の10月、母は女の子を産んだ。俺達は町中のアパートを引き払い、祖父母の家に住んだ。俺は高校にはバス通学となり、帰り、母の店だったスナックで客を取った。現役男子高校生と猥褻行為ができると、店の客の中年女性が予約を入れて、店が始まる前に学ランセックスをしていた。中にはオプションをつける客もいて、俺のチンポを麻ひもで縛って、チンポ緊縛した亀頭を苛められ、ヒイヒイと射精を乞う現役高校生の惨めな姿を8ミリビデオで撮られたこともあった。男性客に買われ、50万円でアナルヴァージンを売った。生で入れられ、腸内に射精されてグッタリと倒れ込んだのを覚えている。金持ちの40代のご婦人に貸切られ、母子に扮してお泊り旅行に連れ出されたこともあった。もちろん、旅館ではご婦人が満足するまで、五発、六発と腰を振らされた。母子が泊まった部屋に残された、精液が入った大量のコンドームを見て、仲居さんは何を思ったであろう。俺は、高校を出ると町を出て、県庁のある都会に就職した。そして、娘の養育費の足しにと母に仕送りをした。高校を出たばかりの俺は、就職先の女専務に可愛がられ、囲われた。女専務は当時55歳、毎晩のように中出しセックスをさせられた。そして、取引先の女性社長数名の前で、学ランを着てハリツケにされ、亀頭責めお射精ショーをさせられた。亀頭責めで切なく喘ぐ学ラン少年をシャンパンを飲みながら鑑賞してた。やがて手コキで射精、その後、射精後の亀頭責めで悶絶を繰り返し、観客の失笑を買った。射精ショーの後、競りにかけられて、翌日一晩貸し出された。そんな惨めな生活も5年で解放された。還暦を迎えた女専務が、関連会社の社長として去ったからだ。俺は、24歳になって初めてまともな恋をした。その年、高校を出たばかりの新人の女の子と仲良くなった。都会では垢抜けない地味な女の子だったが、何処は母に面影が似ていて、惚れた。そして、生まれて初めて年下の女を抱き、処女喪失を経験した。それが、今の女房だ。現在俺は結婚17年の44歳、女房は39歳、中三と小6の子供がいる。母は今年還暦、実は娘である年の離れた妹は28歳、あまりにも成績優秀で奨学生で大学院まで出て、東京で暮らして、今年、医師と結婚した。ずっと母とは関係していなかったが、12年前と15年前、女房の出産のときに手伝いに来た時、コンドーム付きで関係した。40代になっていた母は、淑やかな美しさの中に艶かしい色香を放ち、ネットリと交わった。
...省略されました。