母子で愛し合った、44歳の俺と還暦を迎える母の半生をここに記す。
俺の故里は田舎町で、単線のローカル線の駅前には高くても5~6階
のビルが十数頭、メインストリートは200m程度で、その先は住宅
地、駅裏は工場だった。
母の実家は更に山間にあり、祖父母は林業を営んでいて、母は5人兄
妹の末娘、貧しい家庭だったから、男兄弟は高卒だが女は中卒だっ
た。
母は中学卒業後、駅裏の紡績工場に住み込みで就職したものの、美少
女だった母は工場長の手籠めに遭い妊娠、3月生まれだった母は翌年
5月、16歳2カ月で俺を産んだ。
母が成人するまでは、工場側から手当てが出て子育てに専念できた
が、母が成人すると手切れ金を渡され、私たちは町中のボロアパート
で暮らした。
母は、その美貌を活かしてスナックに勤め始めた。
すると、母目当ての客が殺到、店は大繁盛した。
当時の母の写真を見ると、軽くカールした髪が時代を感じさせるが、
清楚な美人だった。
しかし、母が務めたスナックの繁盛が面白くなかった他店のオーナー
に、反社勢力を使っての店の放火に遭い、母は23歳で無職になった。
母は売れっ子だったから多少の蓄えはあったが、ボロアパートからま
ともなアパートへ移り家賃が上がって、パートでは支えきれず生活は
間もなく困窮した。
母は、店の常連だった男の紹介で、裏本モデルをした。
当時母は24歳だったが、セーラー服を着て卒業証書を持ち男に抱かれ
る設定の裏本に出た。
その後、CAや女子大生、若い美術教師風の出で立ちなど、様々なコ
スチュームで裏本に出た。
昭和の匂いがプンプンする衣装とメイクと髪型だが、今見ても裏本の
母は清楚で美しく、子供がいるとは思えないし、裏本モデルとしては
高レベルだった。
母は裏本モデルで稼いだ金を元に、26歳の時に故郷に自分のスナック
を持った。
清楚美人の母の店は、母が一人で切り盛りできる小さな店だったが、
開店と同時にやってきたバブルもあって大繁盛、生活は一気に楽にな
ったが、母は贅沢はしなかった。
俺は、中学になってすぐ、押入れの奥から母の裏本を見つけた。
一目で母と分かったし、美しい母の痴態に複雑な気持ちと共に勃起し
た。
そして、母の裏本でオナニーするようになった。
すると、若くて美しい母の風呂上がりの裸身を見て、オナニーだけで
は満足できなくなった。
俺は、中一の秋の頃、母の寝込みを襲った。
抵抗する母、無理やりパジャマとパンティを脱がす俺、
「和夫、止めなさい和夫っ!」
「俺、母さんが好きなんだ。母さんだって、エッチな本でセックスし
てたじゃないか。」
この言葉で、母が無抵抗になった。
「和夫・・・あんた見たのね・・・」
母は、黙ってバッグからコンドームを出すと、
「これをつけなさい・・・」
と言って、俺のチンポに被せてくれた。
俺13歳、母29歳、この日、美しい母と俺は、男と女として結ばれ、愛
し合った。
母のオマンコは暖かく、気持ち良かった。
「母さん・・・母さん・・・」
「和夫・・・ああ、和夫・・・」
母と子が生殖器を交えて愛し合った。
俺は3分でコンドームに漏らしてしまったが、男子中学生は一発では
満足せず、この日、母に三発射精した。
テックは無くても中学生の激しい腰振り三発に、母もヘロヘロだっ
た。
「和夫・・・今度、いっぱい買いだめしないとね・・・」
コンドームを処理しながら母が言った。
俺は、毎晩母を抱いた。
コンドームの消費量がハンパではなかった。
母に生理が来ると、母に手コキで抜いてもらった。
母は悪戯っぽく笑いながら、手コキに緩急をつけて亀頭責めして俺を
焦らし、
「か、母さん・・・イキたいよ・・・イカせてくれよ・・・」
と半べそをかいた。
俺が中二になった頃、バブルが弾けた。
母の店の客層が、サラリーマンからカラオケ好きの中年女性へと変化
していった。
景気が悪くなり、母はパートと店を掛け持ちするようになって、突か
れてるからと俺に抱かれるのを拒むようになった。
そんな俺は、母の店の奥の四畳半の休憩室で勉強するようになってい
た。
その俺は客に可愛がられるようになり、やがて、
「ねえママさん、この子可愛いわねえ。1時間1万円で貸してくれな
いかしら・・・」
こうして俺は、母の店で中年女性の客を取るようになった。
目の下が青い濃い化粧で香水の匂いプンプンした40代のおばさんと、
学ランを着てセックスした。
上だけ学ランを着ると言うのがポイントで、ロリコンオヤジが若い娘
にセーラー服を着せてヤリたがるのと同じ感覚なのだろう。
息子より若い男子中学生とのセックスは、興奮するのだろう。
俺は、母の店で10人くらいの固定客を取らされた。
そのうち、3人いた50代の閉経おばさんとは生セックスで、中出しさ
せてもらっていた。
若い俺は、毎回抜かずの三発を決めると、そのおばさんたちがタンポ
ンをオマンコに挿して、
「中学生のボクちゃんの精液、大切に持ち帰るからね。」
と40歳の年の差セックスを楽しんでいた。
俺は母の店で高校受験勉強曽する傍ら、客と寝ていた。
ある土曜日の夜、店が終わった後、ちょっと呑み過ぎた母が休憩室で
寝込んだ。
俺は、大好きな母を抱きたくてパンストとパンティを脱がせ、オマン
コを弄った。
母が気が付き、
「ダ、ダメよ・・・親子なんだからダメだって・・・」
「母さん・・・やっぱり俺、母さんが好きだよ・・・」
そう言って、俺は母に生挿入した。
「ああ・・・ダメだって・・・和夫・・・ああ・・・和夫のチンチ
ン・・・ああん・・・」
母も、溺愛する俺を愛していたが、大人の理性で抑えていた。
火が付いた俺と母は、一度離れて全裸になって、再び交わった。
コンドームをつけず、生のまま、お互いの肉体に溺れ、罪深き姦淫に
耽った。
常軌を逸した母子相姦に狂乱し、許されざる生姦淫に溺れた。
そして、15歳の息子に抱かれて本気で喘ぐ31歳の母のオマンコに、俺
は神をも恐れぬ母子中出しを決めた。
母は、禁断の息子精液を子宮に浴びて、歓喜に酔い痴れ、俺にしがみ
ついて、激しくオマンコをうねらせた。
一滴残らず搾り取ろうとうねる母のオマンコに、再び勃起が復活し、
腰を振った。
母の乳房が揺れた。
一発目の精液がグチュグチュ音を立てた。
母子中出しという甘美な罪の悦楽に溺れていった。
母と息子が唇を重ね、舌を絡め合い、二発、三発と中出しした。
この母子中出し姦淫は、やがて訪れた親子の絶望に彩られる事となっ
たのだ。