私は、大学の4年間を東京で過ごした。
地元に戻って主食してからは真面目に生きてて、夫に見初められ、結婚して18年、44歳になった。
でも、私には、夫に言えない、墓場まで持っていく過去がある。
まず、私の初体験が高校1年の時で、相手が中学時代の担任だったということ。
三十路の独身で、カッコいい人だった。
毎週土曜の午後、先生のアパートで抱かれた。
先生に跨って腰を振り、先生の精液を浴び、そして、セーラー服を着た清楚の女子高生に戻り、セックスなんて知りませんみたいなかおdして過ごしてた。
上京して大学生になったら、いろんな大学生が集まるサークルに入った。
一見ワンゲル部を装った、ヤリサーだった。
毎週末コンパがあって、そこでカップルができるとそのままお持ち帰りされて、翌朝までギシギシアンアン、私は8割方参加できたから、延べ150人くらいの男子大学生とセックスした。
年に数回、合宿という名の乱交パーティがあって、和室の宴会場を貸し切って、男女30~40人で次々とヤリまくった。
大学3年の夏、素人投稿誌の編集部が取材に来て、乱交の様子が雑誌に掲載されたことがあった。
もちろん、性器と目にはモザイクがかけられてたけど、これ私だって分かる写真は、男子にサンドイッチにされて、アソコとアナルの二穴挿入に仰け反る様子が載った。
その時、「乱交のクイーン」に選ばれ、その投稿誌の編集部に招かれ、スタジオで編集部員やカメラマン10人に輪姦された。
上半身セーラー服コスプレで、前も後ろもガンガン突かれて、何度も白目を剥いて気絶する様子が、見開き4ページで掲載されて、大絶賛された。
もちろん、モザイク入りですが、自分の姿だとわかる。
その後、サークルの男子大学生と週末エッチしつつ、雑誌編集部のオジサマたちと、プライベートで破廉恥な遊びをしてた。
卒業までの1年半、編集部にある様々なタイプのディルド、バイブを試された。
でも、私が潮を噴くほど感じさせられたのは、ディルドでもバイブでもなく、電マ。
電マの先に装着するアタッチメントがあるの。
シリコン製で、色んな形してた。
奥までズッポリタイプより、Gスポットを押し上げるような卑猥な形をしたアタッチメントが一番感じさせられた。
ピンク色で、脱着部が白いそのアタッチメントをアソコに入れられたまま、アナルをペニスで犯されて、ヒーヒーと下劣な喘ぎをしてた。
あの雑誌編集部のオジサマたちって、どういうわけかセーラー服が好きだった。
セーラー服も昭和っぽいやつで、古い青春映画で吉永小百合が着てそうなタイプ。
なんでも清楚に見えるんだそうで、破廉恥な行為は必ずセーラー服着てやってた。
ラブホだったから、撮影はされてなかったと思うけど、わからないな。
毎回、2~3人のオジサマを相手に、アソコでエッチな玩具を試されながら、アナルを犯された。
最後は、オジサマ方のペニスをアソコとアナルとお口に入れられ、同時に3本イカせてた。
恥辱を捨てれば、性行為はとことん快楽を味わえる。
私は、性行為をし尽くして、爽快感を持って卒業した。
サークルの追い出しコンパでは、仰向けで股開いた4年生の女子大生がズラッと並んで、男子大学生一人ひとりに1分間のお別れピストンしてもらった。
仕上げにコンドーム外したペニスからの射精を何人分もかけられて卒業した。
編集部のオジサマたちにも、全員に輪姦されて送り出された。
私、女子大生時代、アソコとアナルで200本くらいのペニスを味わったと思う。
夫は、そんな私の過去を知らない。
経験人数は多いけど、特定の彼氏と4年間、1日何度もしてたわけじゃないから、そういう女子大生と比べたら、セックス自体の回数は少ないkら、荒淫の割にアソコは変色してない。
だから、夫は私を可憐で大人しい女の子だと思って結婚した。
私は、快楽は大学時代に散々経験したから、夫の心を抱いてもらえるセックスを楽しんでる。
やっぱり、セックスって、愛がある方が心身ともに満たされるから。
それに、本当に愛情をもって私を抱いてくれる夫に、
「200本のペニスに犯された汚れた私を愛してくれて、ありがとう。」
って心で謝りながら抱かれると、私の身体を通り過ぎた男たちを思い出して、濡れてしまうから、夫にもイカされるしね。