もう娘も嫁ぎ時効だろと思うので書きます。
今現在私は53歳 娘は28歳 嫁いで5年 4歳になる孫娘もいます。
私が狂い娘に一生消えない過ちの日々を送らせた10年以上の月日の事を告白したいと思います。
長い話になると思います・・お暇な方はお付き合い下さい。
当時私は35歳 娘は10歳の小学5年生でした。
私は、建設関係の事業を営んでおりましたが、先物取引に手を出してしまい全財産を無くし倒産させてしまいました
高利貸しからも大変な借入をしてしまい逃げるしかなくなり妻と娘を連れ妻の古くからの友人が住む田舎町へと移り住み始めました。
田舎町では思う様に仕事も無く、私は月にに何日か日雇い労働者として働き妻は送迎付きで隣りの市にあるキャバレーへ務めに行ってくれていました
ボロボロの長屋のような平屋一軒家を妻の友人が借りてくれ家族3人で暮らしていました。
それまでの広いキレイな持ち家での幸せな生活とは一変し狭い部屋での生活 妻が深夜に仕事から戻ると雑魚寝のような状態でした。
そんな生活が3ヶ月くらい続いた頃から妻が朝帰りするようになりだした
私が何をしてるのか?と問うと、夜中に帰り狭い部屋で雑魚寝では娘も可哀想だし私も起きるし、そもそも妻も疲れが取れず辛いので友人のアパートに泊めてもらい
朝になって始発の電車で帰る その方が送迎代も引かれないしいいでしょう?と言う
私的には、いくら狭くても親子三人で過ごしたい思いもありましたが稼ぎ頭の妻の言い分を尊重することにしました。
そうすると夫婦の関係はスグにギクシャクし始めました。妻の身に付ける物や化粧、下着など変化を感じるまでに一ヶ月もかからなかった
それまで吸わなかったタバコも吸い始め娘の前でも平気で吸うようになり、出勤した時と違う下着で帰ってくることも当たり前になりだした
「お前友達の家だと言ってるけど男だろ!」私も妻に辛い思いをさせてる手前ガマンしていたが、耐えれなくなり言った
「だったら何なの?私が働いて、それで生活出来てるんじゃないの?」全く顔色変えることなく逆に私を見下した表情で言い簡単に浮気を認めた。
「だいたい、こっちに来て一回でも私を抱けた?」バカにした表情で笑いながら言う
確かに私は借金から逃げることからのストレスか?全く男としての機能が役に立たず妻には求めるが出来ない日が続いていた
私は妻の言葉と表情に一瞬でキレてしまい頭が真っ白になり・・気付くと鼻や口から地を流した妻がグッタリと床に転げていた
慌てた私は妻に必死で謝りながら手当をしようと抱き抱えたが「お願いだから触らないで 離れて」そう言いながら自分で起き上がりタオルで顔を拭きながら財布だけを持ち家を出て行った。
必死で謝り引き止める私を払い除け無言で・・妻を見た最後でした
その後勤め先へ電話しても妻の友人に電話しても全く取り合ってもらえず、何とか娘にご飯を食べさ学校に通わせるだけの状況で一週間ほど過ぎた
そんな時、仕事もなく金もなく困り果てていた私を1人の男が訪ねて来た。
男は妻と一緒に暮らしている・・明らかに20代前半であろう男は平然と、これから籍を入れて新しい生活を始める そう言い妻が署名している離婚届と封筒を私に差し出した
「何だこれ!」こんなガキと・・怒る器量くもなかった私は男に聞いた
「手切れ金って言えばいいかな?今後は俺たちに関わるな!」眉間にシワを寄せ脅すように言った
私も建設業を営んでいた男だ こんなガキに舐めれれてたまるか!そんな思いで「お前誰に言ってんだ!勝負するか?」
立ち上がり男に言うが「オッサンやめとけよ 女の取り合いで負けたら格好つかないよ」笑いながら立ち上がり後ろ手でバイバイして立ち去ろうとする
「オイ待てよ!子供はどうする気だ!」
私の言葉に「あ~そうだそうだ 忘れるとこだった」ヘラヘラ笑いながら
「子供なんかいらねぇって言ってるから 月に5万養育費で払うらしいよ 元奥さんが、娘名義の通帳に振り込むってよ!」そう言いながら帰って行った。
私は呆然とした 倒産するまで金に困らせた事も無かった・・それがこんな仕打ちを受けるなんて、悲しくなった。
男が置いていった封筒には50万と妻からの手紙が入っていた。
手紙には、倒産するまでの楽しく幸せだった生活への感謝の気持ちと、夜の仕事を始め男と出逢ってしまったこと、本気で一緒になりたい気持ち、娘に為にも私に面倒を見てくれとのこと
勝手な言い分も多いが、原因は全て私のせいだったんだなと改めて思わさせる内容だった。
学校から戻った娘に妻との離婚を伝えた。お母さんには新しい生活が始まるから、お父さんと頑張ろうと、ゆっくり娘が理解出来るように説明した。
娘はギュッと唇を噛み締めボロボロと涙を流しながらも理解してくれ「もう、お母さんいなくなったんだから忘れようね」逆に私を励ましてくれた
そんな経緯から娘との二人暮らしは始まった。
一旦終わります。