私は、小学一年生の時に生死の境をさ迷う病気をしました。
何とか退院出来て、両親はホッとしたそうです。
その日を境に、両親の私と弟に注ぐ愛情は半端ではありませんでした。
事あるごとに、デシカメ、ビデオカメラで私と弟の成長の記録を残す様になりました。
学校の行事は必ず来てくれたし、様子をデジカメに納めていました。
母は三ヶ月に一回、体重や身長をノートに書き残してて、父は、宿題をしてる瞳、お風呂に入ってる瞳、隆と(四歳下の弟)瞳、色々なジャンル別に記録を残していました。
父は日常の様子をデシカメで撮ってて、お風呂上がりや、ご飯を食べてるところや、寝てるところ、手当たり次第、て感じでした。
母が夜勤の時、ふざけて弟と二人でモデル気分で父に撮って貰いました。
調子に乗った父に「服脱いでぇ」のリクエスト二人で全裸になって、開脚前転や柔軟体操の様子を撮っていました。
母と弟が居ない時、何時もの様にモデルを父に頼まれました。
すぐに裸のモデルで、開脚しての逆立ち、V字バランス、ブリッジ、大体30分位で終わってたけど、その日は違ってて「オシッコ出る所を指で開いて」て言われて「どえして?」て聞き返すと「瞳の全部を記録に残したいから」て言われ、父と二人きりだから立って、前に突き出す様にし指で開くと、「可愛いよ瞳のお姫様」(小さい頃両親は性器をそう呼んでました)、父の嬉しそうな顔を見て、私は大胆に父のリクエストにも応えていました。
五年生の時、母が夜勤で出掛け、弟が寝たのを確認して両親の部屋に行きました。
部屋の中にはビデオカメラがセットされてて、すぐに撮影が始まりました。
父の質問に答える様に、名前や生年月日、身長、体重、スリーサイズを答えると「じゃあ、一枚づつ服を脱いでください」と言われ、Tシャツ、ハーパン、キャミ、ショーツと順番に脱で全裸になると「ベットに寝転んで」と言われました。
父は何故かサングラスを掛け、私の横に添い寝をして来ました。
父の手が胸の少し盛り上がった突起を指で撫で始めると、少しづつ埋もれてた乳首が出っ張って来ました。
父は何時もの様に口を当て、舌で刺激を与えてきて、手は太ももを撫でながら、プックリした丘を撫で、指を溝に差し入れ、敏感な突起をグリグリと指で転がす様にして来ました。
私も、脚を開きテレビを見ると、自分のワレメを父が指で刺激をしてる映像が映されています。
父が一旦カメラを移動させ、私の脚の間のアップにセットし直して、また再開すると下腹部に刺激が走り、少しすると、キラキラと液体が出始めた。
指ですくう様に突起に塗りツルツル滑らかな刺激で気持ち良かった。
私の中からは反応して更に流れ出てきました。
父は、少しづつ指を液体の流れ出る穴に入れてきます。
テレビ画面には中指が完全に入ってるのが映ってて、痛みもありませんでした。
今度は、父がカメラを片手に私を撮り始めました。
父のリクエストで、自分でワレメを開いてカメラに向けると、ガチャとドアーが開き、そこには弟が立ってて、見られてしまいました。
父に促され部屋に連れて行くと、慌てて私は服を着て部屋に戻りました。
弟は寝ぼけてたのか、父が次の日弟に聞くと、両親の部屋に行ったのも覚えていないと、と言ってたそうです。
母と弟がいない休みの時は、父と私は内緒の行為をし、私は悪い事だとは分かってても、父から与えられる気持ち良い刺激に、断る事が出来ませんでした。
父も同じだったと思いますが、父のリクエストはハードになってきて、六年生の時に卵型の器具を買ってきて、それを使う様になって「瞳のあそこの口がヒクヒクなるのが好きだ」言っていました。
そう言いながら、色んな物を買って来て私に試しては撮影してました。
コッソリ、一人で自分の部屋で使う事もありました。
私が中学一年の夏休みの時、母と弟が親子キャンプに出掛けた日でした。
久しぶりに、父と二人でお風呂に入りました。
小学校の卒業の後から、母に言われ、父とは入らなくなりました。
でも、弟と一緒にお風呂に入る時は、まだデシカメで撮ってました。
お風呂に入ってる間、何となくいつもと違う雰囲気でした。
お風呂から上がり、パジャマに着替えると、先に出た父が居間に居て、手招きしてました。
テレビには、私たちの小さい頃の映像が映ってて、父と懐かしく見てました。
違うDVDに換えると、父と二人のエッチな行為の最中の映像でした。
胸も出て無いから、三、四年生の頃だと思います。
見終えると、父に手を引かれ両親の部屋に行きました。