俺が高校生の時に両親は離婚し、母子家庭となった。
もともと母親に対して性欲は無かったが、大学に入った頃に読んだエロマンガにたまたま母子相姦モノがあり、それ以来その手の専門雑誌やビデオを好むようになった。
俺はやがて母親とのセックスを想像してオナニーするようになり、次に母親の下着をオカズにオナニーするようになった。
最初は昼間母親が仕事の間に箪笥の中からこっそりと持ち出して返しておくのがパターンだったが、そのうち夜中に脱衣籠の中の使用済みのものを持ち出すようになった。
自宅のトイレの汚物入れにある母親の血を吸ったナプキンも拝借した。
そんな風に母親をネタにオナニーしていたが、ある日ふとあることがきになりだした。
遅いなあ。今回はなかなか血を吸ったナプキンがないなぁ。生理遅れてるんか。
そう思っていたが、一月たっても二月たってもお目に当たれない。
まさか妊娠?そんなことはないやろ。
俺の母親はバリバリのキャリアウーマンで、仕事一筋の人だった。
そんな母親だから離婚してからエッチも当然していないだろうと勝手に想像していた。
しかし冷静に考えると母親はまだ41歳で息子の目から見ても美人である。
数日後、母親は毎月の行事である東京本社での支店長会議に一泊の出張に出かけた。
帰ってくる予定の日の夕方に、急に近畿ブロックのエリアマネージャーの代理で明日・あさってのブロック長会議にも出席しなくてはいけなくなったからと電話があった。
母親の生理が来ないことで頭がいっぱいの俺に、母親の疑惑が浮かんだ。
俺の母親は支店長会議のときに男と会っていたのか。きっと妊娠のことで話がまとまらず帰るのが遅れるからアリバイ工作したのだろう。
俺は、翌日確かめるために母親の会社へ電話した。
「○○支店長お願いします。」
「○○は本日と明日はお休みさせて頂いております」
俺の予感は当たった。休みを取っていたのだ。
母親が帰ってきた日、台所で夕食の支度を始めるのを待って俺はすぐに母親の部屋に行き何か無いかと証拠を探した。
あっさりとハンドバッグから出てきたのは、隣町の産婦人科の診察券と中絶手術後の注意というプリントだった。
実際は密かにこっちに戻って中絶をしていたのだった。やはり母親は妊娠していたのだ。
俺は無性に母親とセックスしたくなった。
その日以後、母親の下着に精液をつけておいたり、掃除の時に見つかるように母子相姦モノの雑誌を置いたりと一通りの挑発をしてみたが全く無反応だった。
1月後俺はしかたなく、強引に襲う決心をした。
俺の母親も男とエッチして妊娠までしていたんだから、本当はエッチが好きに違いない。
最初は抵抗しても、所詮感じてくれば自分から入れてと言うに違いない。
俺はついに決行した。
就寝中の母親に襲いかかった。
母親は俺の予想以上の力で抵抗した。
俺は力ずくで母親を丸裸にしてベッドに押さえつけた。
おっぱいをもみ始めると少し抵抗が弱まった。
それでもまだ抵抗をしていたが、俺は母親にお尻を見せる形で胸の上に座り上半身を押さえつけながら、オメコを舐めた。
やがて抵抗もなくなり、俺はついに感じ出してきて抵抗しなくなったんだなと思った。
このままもっと感じさせて、母親に入れてと言わせてやろうと思い、クリトリスをひたすら舐めた。
やがて母親の吐息と鼻息が聞こえてきた。
やっぱり感じてきたな。所詮母親と言えども女だ。これは入れればきっと自分から腰を振ってくるに違いない。
息は荒いが俺の前で声を出すのはさすがに恥ずかしくてこらえてるんだろう。
そう思ったとき、俺もついに入れたくてたまらなくなった。
向きを変えて母親の上になり、チンポでオメコの入り口を探そうとした。
そのときだった。
吐息と鼻息が荒くなった本当の理由を知ったのは。
そこには、大粒の涙をこらえている母親がいた。
俺は、彼女との経験上、どんな女でもされれば感じると信じていた。
事実、俺の彼女は今日は嫌とどんなに抵抗しても、強引にクリトリスを舐めてやるとやがて陥落した。
しかし、俺の母親は違った。
俺は母親の大粒の涙によって我に帰った。
さっきまであれほど猛り狂っていた俺のチンポもフニャフニャになっていた。
俺は母親の涙に負けた。
俺は母親に謝った。
すると母親は大声を出して泣き、相変わらず大粒の涙を流していた。
俺のしたことは一生、俺と母親に心のキズとして残るだろう。
しかし、母親の涙のおかげで最後の一線だけは越えずにすんだことを今でも感謝している。
変な例えだが「女は弱し、されど母は強し」まさにそのとおりだと思った。
母親はどんなことがあっても最後まで母親だということを思い知った。