2016/04/10 21:32:35
(d.EQYCvJ)
今から8年ほど前に投稿させて貰いました。母子相姦を息子の18歳の時にと計画を立て途中までを投稿しました。
今回の投稿は、母子相姦の折々の出来事を日記のような物にして残してきた物を繋ぎ合せて投稿しました。
そのため、8年分のかなりの長文になってしまいました。かなり省略していますがそれでもかなりの長文です。
ウンザリしそうな方はスルーをお願いします。
足掛け10年越しの母子相姦を計画し息子が小4の時から下準備をし中1までの経過を前回に投稿しました。
前回も書きましたが息子は小5までは女房の体に興味を持って家族全員で常に風呂に入っていましたが息子の思春期にチン毛が
生え始めの頃に風呂に入らなくなり計画がとん挫しましたが中1の頃、センズリを覚えた頃からまた風呂に入るようになりました。
私がお風呂を利用した理由は、裸である事、親子、夫婦以外の男と女の目線でのコミュニケーションも必要と考えたのです。
私は陰湿な雰囲気はダメだと思い陽気なスケベ、母子相姦を目指していました。もちろん女房には息子が小5の時に触らせるだけ
と言って切っ掛けをつくり、最終的に女房を口説き落とすまで5年の歳月を費やしました。目標は息子の18歳の時ですから。
それに、道徳的な事はさておき女房はセックスが好きです。ほろ酔い加減の寝室のソファーでは良く私のチンポを握ります。
常に陽気に親子3人で風呂に入り、お互いに体の流し合いから始めました。息子の中2の頃には私と息子で女房を洗いました。
もちろん息子と交代で女房のマンコも洗い逆に女房が私と息子のチンポを洗ったりができるまでになりました。
その後は高2までは時々は3人で風呂に入っていましたが高2の秋位からは息子は3人で風呂に入らなくなり、
思うように行かないものだなと諦め半分になっていましたが、実は息子が女房に女を意識しての事だと後で分かりました。
ところが、母子相姦の切っ掛けは息子の高3の夏休みにありました。
夏休みが始まって間もなくの時です。起きてリビングに来る時にボクサーパンツとTシャツだけで来るようになったそうです。
そして、時には勃起したまま女房の前を通って冷蔵庫などに行ったようです。女房は体格が成長しチンポも大きくなっていた
息子に大いに戸惑ったようで私に話す声が少し上ずっていました。それもそのはずで高2の頃には女房に母子相姦を
受け入れさせていましたので現実味が帯びてきたことを女房は感じていたのだと思います。
ちなみに女房に母子相姦を受け入れさせるために女房の母親の事に協力しましたので女房としては否応は無いはずです。
その後は、息子の寝起きの勃起をからかったりのやり取りが息子との間であったようです。
息子もエスカレートして、ほぼ毎朝勃起状態で女房の前を歩くようになったそうです。私は何かが変わった事を感じました。
ちなみにこの息子の行動は後になり分かったのですが、息子は高2の頃から女房に女を意識し始めて女房のパンティで
センズリをかいていたようです。そうです、女房がオナペットだったのです。これも後日に息子の話で分かりました。
そして高3になり自分の男を女にアピールしたくなったのです。息子に限らず男の子にとって一番身近な女は母親ですから。
母子で寝起きのやり取りをしながら数日後に息子が寝起きの勃起したチンポを女房のお尻に押し付けてきたそうです。
そして「大きい?」と同じ言葉を何度も言ったそうです。女房は明るく「大きいねえ」とか言ってその場を離れたようです。
女房もある日突然だったのでかなり戸惑い、会話も「大きい」の言葉しか覚えていなかったようです。
その夜に女房から報告を受け、女房にいよいよ母子相姦に持って行く事の旨を伝えると躊躇する女房でしたがお互いに約束を
していましたので女房に覚悟を決めさせました。そして女房の生理初日でしたので避妊薬の服用を始めてもらいました。
私は夜に息子の部屋に行き、陽気に「母さんにチンポ見せたのか」と少し大袈裟に聞くと息子も明るくその話に乗ってきました。
この夜、息子と長い時間話をしました。そして女房の存在が私と息子の共通、共有の存在であることが確認できました。
意外だったのは息子は過去にお風呂で女房のマンコを洗った事は覚えていましたがマンコの様子や感触を覚えていませんでした。
子供の成長は早いので記憶が薄れてしまったのでしょう。息子は童貞だったので初体験を自慢の母さんに教えてもらうのは
どうかと言ったのですが、女房の女に興味深々な半面で母親という存在にも躊躇しているので私が切っ掛けを考えました
2週間後の息子の誕生日を利用する事にして、今度は女房と入念に準備と打ち合わせを行いました。女房も今までは想像の世界
だったのが現実の世界になった事を実感してかなりの緊張でしたが女房から拒否の言葉はありませんでした。
これは多分、女房のセックス好きと未知の世界への興味も少しはあったと思います。
息子は、私の伯父に見込まれてその会社に就職が決まっていました。それと誕生日のお祝いを計画しました。
当日、私は休みを取って隣町のオーシャンビューの旅館の部屋を取りました。
いつものように明るい雰囲気で息子のお祝いをやり、食事に家族風呂にと時間を過ごしましたが女房はかなり
意識してどこかぎこちなさを感じる事もありました。
入念な下準備で就寝前に再度家族風呂に入り、この時は女房に抱き着いたり乳やお尻に触ったり、私たちも女房の前で
仁王立ちでチンポを見せながらガッツポーズしたりしました。
風呂から出る脱衣場で私が「パンツは無し、浴衣だけ~」と陽気に命令し息子も陽気に同調し女房も従いました。
これは、いざセックスの時にパンツを脱ぐ、また脱がす行為は息子を急に緊張させると思い事前の下準備なのです。
この時に改めて息子の成長に気づきました。身長も10センチ伸び、髭も濃くなり、そしてなによりチンポの成長に驚きでした。
いつまでも子供と思っていたのがこれですから、女房も夏休みに息子の勃起を見て大人を感じたのでしょう。
夜の10時頃に隣の間に敷かれていた布団を3つくっつけて並べました。女房を真ん中にして就寝にはいりました。
そして私が女房のマンコを弄り始めて女房の変化に息子が気づいた時に私達3人で過去のお風呂の洗いっこの時の
話をしたりして息子が女房のマンコに触った事を話題にして息子にも触るように誘うとあっさりと女房のマンコに触ってきました。
この間も、私も女房も息子も明るくエッチは会話をしたり女房も演義のダメダメをしたりと雰囲気に注意をしました。
やはり大人への思春期の息子は母親の存在より目の前の女への興味が勝ったようで一心に女房のマンコを弄りまわして
そしてマンコが濡れたので私が息子に感想、感触を聞くと息子の陽気に「スゲーエッチ」の言葉を覚えています。
そこで私も陽気に息子に「チンポ キンキンか?」と尋ねると「キンキンだよ」
と空いている手で自分のチンポを握りながら
陽気に返事が返ってきました。この時は、女房にかけ布団がかかっただけで私も息子もかけ布団ははねてありました。
私が「母さんからね、おまえのチンポにお祝いのプレゼントがあるよ」と伝えると、息子も何かを感じていたようで
陽気に「なんだろー」と言いながら女房のマンコから手を放そうとはしませんでした。時折、マンコを弄っている指の
匂いを嗅いでいましたので、やはり童貞の女への興味が勝っていると思いました。いよいよと思い、私は女房の手を
強く握って打ち合わせ通りの行動を女房に即しました。
女房は息子の脇に添い寝をしながら息子のチンポを弄りました。息子は「あ~」とかの嬌声をあげながらくすぐったい旨の
言葉を連発していました。まぁ、初めて女にチンポを弄られたのですからそうだったと思います。その雰囲気を
壊さないように私も会話に集中しました。雰囲気がまだ陽気なままだったので女房にちょっとだけのフェラを要求しました。
チンポの先をフェラされた息子はくすぐったさに悶ええるように身をよじらせながら笑いのような嬌声を発していました。
少しの後、女房にファックの合図をしました。女房は息子にまたがるとチンポを握りマンコの穴に誘おうとしましたが、
息子のチンポがキンキンで角度が合いません。少し女房は苦戦していましたが体勢を変えて息子に被さりながら
もそもそしていましたが息子の「あ~」の声がしたので私が女房のお尻を覗くと息子のチンポが半分ほど入っていました。
しばらくして、今度は女房が「あ~」の声です。チラっと女房のお尻を覗くと
しっかりとハマっていました。
なんとも言えない感激というか達成感というか、この8年間の思いが頭を巡りました。
私は息子に陽気に「お~、おめでとう 大人だな。マンコいいだろう?」に息子もつられて陽気にうんうんの合図でした。
私は息子に「父さんは1時間ほど出かけるから、母さんのプレゼントを男らしく受け取るんだぞ」と言って部屋を出ました。
実は、これも女房との打ち合わせで私は外に出たフリをしただけで隣の部屋から襖を少し開けて見ていました。
これは、女房に絶対に言わせたいセリフがあったので、そのために女房にプレッシャーをかけるためです。
しばらく様子を見ていると女房のお祝いらしき言葉や息子のありがとうの言葉や例の如く慣れないチンポ快感の声などが
聞こえてきました。ここまでは皆さんが想像するより明るいというか陽気な雰囲気でした。
隣に私がいることを知っている女房はようやく約束のセリフを喋り始めました。それは、息子に、女房のパンティを
使ったりしてオナをしないように、そのためにいつでもエッチしていいんだとの意味のセリフを言いました。
このセリフの後は、ごく普通のセックスシーンのような言葉が少なくなり、息子の「あ~」や女房のさり気ない演義の
快感の声が聞こえてきました。女房のお尻がゆっくりと上下しているのを見て私は時間つぶしに部屋を出ました。
行為そのものは、ハメた後は母子に任せるしかありません。
その後は、女房は母子相姦の達成についてはあまり話してくれませんが、息子は全てを私に話してくれます。
この時、息子は私の存在を気にしていたようなので「父さんと母さんはもうお互いの存在に飽きているからエッチしないんだよ」と
言うと、息子は少し生意気に「じゃ、お母さん借りるね」と無邪気に言いました。初めてセックスをした後の興奮が
まだ残っているようでなにか可愛いやら可笑しいやらの気分でした。ただ、やはり再度私の事を気にしているようなので
「それじゃ、おまえが慣れたら3人でエッチするか」と言うと息子は大いに乗り気で3Pの想像の話に盛り上がりました。
童貞時代でも、AVだけは見ていたようで3Pの様子にかなり刺激を受けていたというか願望もあったようです。
その後は息子の話から、3か月程、正月までは週に4~5回ほど帰宅後にセックスをしていたようです。
そして、私がクリスマスの夜から女房を息子の部屋で寝るようにさせました。
息子もベッドはダブルでしたので、女房のドレッサーを運び込んだだけで簡単に夜の引っ越しが完成しました。
そして、この事が息子のセックスの上達に大いに役立ったようです。この時から今年の3月末まで毎晩セックスを
したようで、時には朝晩のセックスもあったようです。そして1月に入って間もない頃の息子の話から、どうやら
女房を毎回でないようですがイカせる事ができるようになったようです。それは、息子が「昨夜の母さんいつもと違った」の
話で分かりました。息子が射精する時に、いつもは「あ~」とか言っていた女房が「ん~」のように唸ったようです。
それからは女房に知られないように息子と「母さん イッたか?」とか「イッたよ父さん」の話に盛り上がりました。
そして、ついに2月になり3Pを始めました。女房は絶対NGでかなり抵抗しましたが最後は陥落しました。
この女房の気持ちについては特に心配はしていません。先にも書きましたが女房はセックスは好きですし割り切りの
早い性格です。女房に限らず女性はセックスに関してはレイプでない限り本人が割り切ればなんでもできると思います。
3Pでは、私は息子に愛撫の仕方を中心に教えたり記録の写真撮影をしたりしました。
また、バックからのファックもこの時に覚えました。女房は初回こそ身構えていましたが2回目からは陥落しました。
愛情のようなものが絡んでいない息子は、陥落した女房の3Pにいたく興奮したようで2月3回、3月2回やりました。
もちろん息子は毎晩のセックスに励んでいたようです。
ところが、完全にではありませんが母子相姦の終焉もあっけなく訪れました。
3月、高校卒業前から伯父の会社に様子見に行くようになり、そこで同じ年の伯父の孫娘と付き合うようになりました。
息子より年上に見えるほど大人びて既に女の色香も感じる孫娘です。息子と孫娘はお互いの魅力にハマったようです。
4月に入り息子が「もう母さんとはしない」と言い出しました。理由を聞くと、孫娘の弾けるような女の若さを
知った息子にとって女房の寝顔を見ていると、ただの婆さんにしか見えなくなったと言うのです。言いにくそうに私に言いました。
確かに、私が母子相姦を計画した時の女房はまだ30歳でしたが、今は40歳です。化粧を落とした寝顔は
ハリも薄れ、目元や口元などに細かい小じわが出ています。体の線は問題ありませんが乳首周りのハリも衰えています。
女房が婆さんにしか見えなくなった事で女より母親である事が勝ったのだと思います。
これはこれで良いと思っています。女房には別の理由でウソをつきました。
ただ、3Pの刺激はまだ残っているようで、家族のイベントの時などはまた3人で風呂に入ったり3Pしようと
息子と意見は一致しています。ですが、近い将来、完全に母子相姦は卒業になると予感しています。
1週間前に女房の夜の引っ越しを終えた寝室で女房とも話をしました。女房が傷つかない理由を話してこれからは
家族旅行やイベントの時だけ3人でセックスする事を告げると女房は「また~?」的な返事をしながらなにか
ホッとした様子でした。
女房がホッとしたのを見て私は意地悪な質問に食い下がりました。それは、息子とのセックスの快感度合いの事です。
女房は言葉をはぐらかしたり笑ったりと答えませんでした。
しばらく考えていましたが、母子相姦をした後の私の気持ちの変化を探るような事をいいましたので、
この数年の女房に感謝の言葉や労りの言葉をかけると女房が話を始めました。
最初は精神的に考えたりセックスが負担だったりしたそうです。ただ息子のセックスが上達した後の事は言い難そうでしたが
しばらくして、以前の夫婦に戻り私のチンポを握りながら「だってさ~あの若さだよ、上手になったらかなわないよ~」とだけ
言いました。その言葉に女房の安堵と残念さの両方を感じましたが特に嫉妬は感じませんでした。
これを機会に、また近い将来息子も女房から完全に旅立つと思いますので女房とは別のセックスの道を考えるつもりです。
私達夫婦は、母子相姦の道徳的なものにはこだわっていません。
戦後にキリスト文化を押し付けられるまでの日本は先進国の中で一番の性に
自由奔放な民族だったからです。
かつては、長男の嫁は次男三男ともセックスをしました。都市部でも童貞の息子が結婚の時は母親や姉がセックスを
手解きしていました。姦通罪など、世間を騒がせない限り無いに等しいものだったのです。つい70年前まで。
詭弁だという方もおられるかもしれませんが。
ちなみに息子は様子が少し変わり以前にまして明るく陽気になりました。
出かけるときに「いってきま~す」と言いながら女房のお尻にタッチしていきます。女房も陽気に「こら~」とか応酬しています。
私達の場合は陽気で明るい母子相姦ができ、やがて卒業に向かっています。
今考えると、やはり息子の小さい時からお風呂などを通じて裸や性をオープンにしてきたからだと思います。
母子相姦3Pの記念写真で女房に意地悪をしかけながら今後のセックスの刺激を女房と考えて行きます。