ボランティアと飲食代の支払いは違うと思いますょ。嫌な思いをしたのですね。
でも、外国は、文化や歴史が違うので、日本みたいには行きませんょ。言い方が悪いかも知れませんが、ボランティアをしているつもりでいても、相手は、それを利用していたのかも知れないのです。
あなたのいる国は、はっきりとした意志表示が必要な国だと思います。
例えば、就職して、働いたとします。同じ時期に入った仲間は、通勤手当とか付いていて、自分には付いていなく、上司に、その事を文句を言ったら、上司は「何故、要求もしないで、怒っているのか理解出来ない」と言われるのです。
自分を主張しなければ、そう言う事をしても、この人はOKなんだと認識してしまうのです。
何でも買収してしまう企業が沢山有る日本から留学して来る位だから、飲み食い代位出せるのだと自分勝手に考えたのだと思います。更に、人との関わりが薄ければ、相手も薄い付き合い方をして来るのです。
無償の気持ちと、ボランティアの意味は別の意味で、食事代を払わさられる関係が嫌なら、貴方が、その相手に貴方の気持ちが伝わる様な付き合い方をしなかったせいも有ると思います。相手が、そんなやり方だから、それなりの対応しかしないのではなく、貴方が、自分の気持ちを解って貰おうとしないのです。されたからしないのではなく、貴方がして相手が答えてくれるねが、無償の気持ちなのです。
言われて嫌になるのは仕方ない事なのです。僕と貴方の考え方が違い、他の人もそれは同じ事なのです。意見が衝突して不愉快な思いをさせていますが、同じ意見同士で、「そうだよね。」で話が終わっては、心の変化は起きないのです。
人間完璧な心を持った人など存在しないのです。何かしら、光や、闇を持っているのです。心を形に例えると、尖った部分や、凹んだりした様々な形になると思うのです。形が悪ければ悪いほど、人と関わり合う度にぶつかり合い、相手を傷つけたり、相手から嫌な思いをさせらせるのです。相手と、お互いに、言い争ったり、嫌だと思う事を理解する事で、心の形の角を落とし合いながら綺麗な形の心になって行くのだと思います。
すれ違いや、勘違いは、貴方と会ってどんな生活をしてどんな苦しい気持ちでいるのかとか、親や兄弟や友達みたいに貴方を良く知らないし、顔の表情も解らない言葉のイントネーションも解らない、文字だけの判断しか出来ないのです。
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