日常生活に変化をつけたところで、こころには、限界があります。
先月、用事があって、地方へ出かけました。こころに入るものよりも、疲れ
まし
た。わたしは、ここで何してるんだろう。もう、この辺でこのまま眠ったら
逝け
るだろうか、とか、一瞬たのしいな、と思って、他の時間は、泣いてまし
た。こ
んなに遠くに来てしまって、一体自分は何してるんだろうって。
人との関わりも、疲れのほうが先にたって、軽いパニックになってしまいま
す。
だって、私は、彼の傍にいることを願って、探しているんです。
アメリカに彼がいるはずないのに、バスの窓から、彼をさがしています。
考えないようにしようとしても、なぜ?という疑問が出てきて、尚更かなし
い気
持ちになります。彼は、私の気持ちに答えられないこと、承知してます。
だから、仲良かった過去の一瞬に、旅立とうか、ほんの一瞬の我慢で、
逝けるのだから、想い、なぜか、こうして、また朝が来て、生きています。
日常生活に変化をもたせる?日常って、これが、日常になるのかな。
彼のいないのなんて、日常じゃないよ。こんなの日常じゃない。
好きな人だけの子供を生みたいので、私には子供はいらないです。
いろんな形の愛ですか。。私の欲しいのは、1つだけ。
それをなくして、さぁ、他を取りましょう、なんて、ウルトラC級です。
まず、悲しい。だから、泣く。これが、毎日になってしまっただけ。
泣いたらダメ?頭の中は、彼との思い出で一杯です。思い出さないようにす
る?
思い出そうとして思い出してるわけじゃない。できないんだよ!
できないんだよ!
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