2019/07/08 21:00:48
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この先の運命をかえたカップ麺。これは形で言えば日〇カップヌー〇ルと同様の形状をしている。だが、ローマ字で、「スパイシー ホット デリシャス」といった文字が印刷されているパッケージだった。
お湯をいれて3分というのは日本のメジャーな感覚と同じ。だが、お湯を入れるだけでなく、フタをあけてみると粉末状の調味料と油のような液体状の調味料、さらにドロドロした濃い黒色のチューブのようなものが入っており、(えらい、調味料おおいな。塩分大丈夫かよ)と思うような、そんな代物だった。
味としては、まぁそこそこ。別に悪くはない。だが、健康に悪そうな食い物であるという印象は今でもぬぐえない。辛くて印象に残る味。そんな感じだった。
そんなカップ麺をシリーズ制覇したくなり、週に1、2回のペースでベトナムショップに通っていた時の話だ。ベトナム人店主であるハンさんから、「最近よくくるネ。辛いの好き?」と聞かれたのである。まぁ、オッサンとの会話なんて適当に省略するが、ハンさん曰く、インスタント麺(ここでは袋麺の事)にもちゃんとした通の食べ方があるらしく、卵をいれたりチリソースを入れる方法とか、いろいろ伝授してくれたんだ。
それから、、、、不思議と俺は、このベトナムの食文化というものにハマってしまったんだ。
もともと、無趣味だったし、仕事の往復以外はこれといって何もする事を持っていない俺だった。この外国人のハンさんとの出会い、そしてベトナムショップとの出会い。今までにはない、異文化!っていうのかな、そんな環境に足を踏み入れて、様々な今まで食べた事のないベトナム料理を作ったり、そして、、、挙句の果てには自分で作ったベトナム料理をハンさんに食べてもらうよう、鍋にいれて持っていったりしている俺がいた。
ハンさんも、そんなベトナム通になろうとしている俺を一家総出、いや店に来訪するベトナム人に、「ベトナム好きのニイチャンなんだ。なんでも日本の生活でわからないことは彼にきいたらいい」と紹介してくる感じになっていった。
ハンさんのおかげで想像を絶する短期間で、ベトナムの人たちと顔見知りになり、俺はさほど大した人物でないにも関わらず、ベトナムコミュニティの中ではちょっとした名物になりつつあったのである。
そんな時である。
ハンさんから「明日、ベトナム人があつまる祭りがあるんだ。よかったら浩二(俺の事ね)もこい。ホンモノのベトナム料理にありつけるし、可愛い子もいるぞww」と意味深な事をいいながら、一枚のチラシを俺に渡してきたのである。
そのチラシはA4の紙に、ベトナム語と英語で何か書いていた。当然、俺のそれを読める訳もなかったが、そのハンさんが言うには、こんな事が書いているらしい
勝手な俺の翻訳
第6回 ベトナム祭り 第二〇〇公民館 時間18時~20時 ベトナムの民謡コンサート、
ベトナム料理の振る舞い みなさんご参加ください
そんな事が書いているらしい。俺は、「ああ、是非参加させてもらうよw」とハンさんに答えたのだった。
そしてそのベトナム祭の当日、俺はハンさんに連れられて会場である公民館へと行くと、おそらく、その地域全体のベトナム人が集まっているのであろう。どこをみてもベトナム人!っていう感じの祭りが公民館で開催されていた。
日本滞在期間35年のハンさんは、このベトナムコミュニティのちょっとした顔役らしく、いろんな人がハンさんに「いつもお世話になってます」みたいな感じで挨拶をしにきているのが印象的だった。そして挨拶にきた全ての人に、「この人は日本人の浩二だよ。俺の友達だ。なんでも困った事があったら相談したらいい」と、得意げになって俺の事を紹介するのである。
不思議と俺は来賓されたお偉いさんのような感覚に浸ってしまい鼻高々だった。そして時間がきて、民謡のようなものが始まった。最初はベトナムの学生が演じるダンスとか、楽器演奏とか、オバチャンの踊りとか、そういったベトナム伝統文化の催し事ばかりだったのだが、いきなりあるグループの公演前になって、周囲がざわめきだしたんだ。
すると、、、、舞台に登場したのは、年齢10代後半から20代前半くらいの、超モデル級(顔は不問)の女の子が、アオザイというベトナムの民族衣装をきて、颯爽と自転車で舞台に現れたのだった。
7名の彼女らが演じるのは、ベトナムの青春、学校、思春期、みたいな、そんなものをテーマにした小劇だったのだが、アオザイを知らない人はいまここで調べてみる事をおすすする。
その衣装っていうのが、エロ過ぎるんだよ。
もうアオザイで検索してくれているもの前提で話をするけど、舞台に立っている7名の女の子の、ブラジャーとパンツが透けまくり。
それを見ているオッサンどもは、みんな鼻の下を伸ばしてみているし、オバチャン連中は「なに、うちの男ったら。いやらしい目でみて・・ww」と、なんとなくふてくされてるような、そんな今までにない雰囲気だったんだ。
というのも、あとでハンさんに聞いてみたら、こういった光景は日常茶飯事なのらしい。そもそもアオザイっていうのが、ベトナムの伝統的な民族衣装であるのと同時に、おのずと、「若い子」「スタイルのいい子」しか似合わない、そんなハードルの高い衣装らしいとの事だった。
ベトナムの女の子の間では、(16歳? そこは地域差がって一概には言えないとの事)がきたらアオザイを堂々と着る事ができるのが大きな楽しみであるらしい。
そしてこのアオザイという衣装には市販のものが一切なく、すべてオーダーメイドだそうだった。だから、ベトナムの女の子は、このアオザイを着るためにプロポーション維持には力を入れているらしく、そしてアオザイが似合う子はベトナムの中で「アオザイが似合う」というだけで玉の腰に乗れるとの事だった。
ただ、このアオザイには下着が透けて見えるという欠点(ベトナムでは欠点でもなんでもない)があるらしく、やはりそこは男の目を釘付けにしてしまうこと。そして子供を2、3人産んで太ってしまったオバチャンからすれば嫉妬の目でみられること、そんな複雑な意味をもったのが、このアオザイという衣装なのである。
正直、俺も焦った。ここには60名近くの老若男女がいるし、そもそもこの祭りにエロ要素なんて一切なかった。それがいきなり、下着の上下を透けさせた女が堂々と演劇をし、それをここにいるベトナム人の全員が、これを「いやらしいもの」ではなく「輝かしい文化」として捉えている事に驚いた。
彼女たちの劇が終わると、彼女たちはそのままのアオザイの衣装で立食パーティーの場所に現れて、ハンさんに挨拶に来て、そして毎度の如く、俺はそのアオザイ娘たちに紹介されたのである。
この時は、このあとこの7名の中のアオザイ娘のうち2名と肉体関係を持つに至るとは夢にも思わなかった。
とりあえずその日は、平穏無事に祭りは終わっていったのである。