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2024/09/26 00:00:22 (n.Uz4h/x)
僕が中学二年、妹はまだ、小学三年くらいだった時、父は、
海外を飛び回る営業マンでほとんど家にはいないかった。
そんなとき母が病に倒れ一か月から一か月半ほどの入院生
活をすることになってしまった。なんとか父の会社に連絡
して帰ってきてもらおうと思ったが重要な要件抱えてて帰
れないという。いわゆる昭和の猛烈社員だった。そのお陰
でなんとか裕福な生活ができてるんだといつも母から聞か
されていたので文句もいえず、ヒデー父親だと思いながら
もどこか肯定していた。そんな父が、日本の本社に連絡を
とって母の入院三日目からうちに住み込みで家政婦さんが
来てくれることになってホッとした。掃除洗濯炊事その他
病院からの連絡対応などすべてやってくれるというので僕
は安心した。そして、何よりも母よりかなり若くきれいな
人でよく気が利き、妹などとは一緒にふろに入ってくれた
りして面倒見がよかった。中学生の僕にまで、三人でお風
呂入りましょうよなどといってくれたりして焦りまくった
が冗談だとわかってホッとしたのと同時に、一緒に入れな
いことがちょっとかなり残念に思えたりしたのも事実だ。
綺麗なオバサマというよりなんかお姉さまという感じで、
性にしっかり目覚めちゃってる僕にとっては正直、危険な
存在でさえあった。父からの伝言もあって、その家政婦さ
んの常駐してもらう部屋は、父母が寝室に使ってる部屋の
隣、妹の部屋の前の部屋を使ってもらうことになって、簡
易ベッドや、タンスなどが運び込まれた。その部屋は、僕
の部屋からは一番遠い部屋でもあり、おいそれと覗きにい
けない隔絶感があった。初めての紹介の時に、周子さんと
呼んでくださいと言われ、一週間もすると家族の一員より
いな気軽に話せる感じさえするようになり、妹はすっかり
なついてしまい、時間が許せば買い物なども一緒に行くよ
うになっていた。土日の昼間は休業ということで、いない
と聞かされていたから居なくて当然だったのだが、妹は寂
しがっていた。
すでに僕はそのころから、一日に何度か射精しないと落ち
着かないくらいのオナニストだったので、ゴミ箱にはそう
いうティシュ系のものが多かった。周子さんが来る前から、
その手のゴミはクローゼット内に別の袋を用意して、母や
妹に見つからないように隠しおき定期的にこっそり持ち出
し公園や学校のゴミ箱に少量ずつすてていたのだ。だから、
僕がオナニーに明け暮れてることをしっているのは自分だ
けのはずだったのだ。
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2
投稿者:(無名)
2024/09/26 00:47:17    (Oh1sj6xE)
書き留めてコピペじゃないのか…。
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