2017/06/08 18:58:54
(6eP.O2hU)
その後、大学1年生の時に自動車学校で知り合った38歳の人妻と付き合いました。
ご主人が単身赴任中の人妻で、
「俊哉君、もしかして童貞?ねえ、私に童貞くれないかな・・・」
と言われて、童貞のふりをして関係しました。
この人妻さんには、クンニの仕方、すぐに射精しないで我慢しながら、挿入後の腰使い、体位の変化による腰使い、クライマックスへ向かうときの腰使いを徹底的に指導されました。
「今日、安全日だから、コンドーム外してセックスしてみようか。でも、中に出しちゃダメよ。出る寸前に抜いて、私のお腹に射精してみて。」
と言われて、初めて生セックスに挑みました。
コンドームをしていない挿入は、驚くほど快感度がアップして、指導された通りの腰使いをしていたら7分で射精してしまいました。
抜くタイミングは良いと褒められましたが、生セックスでは挿入時間がコンドームをしている時の半分くらいになったので、これでは結婚したときに奥さんを満足させられないと言われてしまいました。
この人妻さんとは、ご主人が赴任先から戻った私の大学2年生が終わるまで付き合って、膣外射精ができるようになって以降は毎回生挿入になり、生で女性を満足させられるよう躾けられました。
その後、3年生の時には、密かに好きだったサークルの仲間で同じ学年の他学部のF恵という美形女子大生が、先輩だった彼氏が卒業してフリーになったタイミングを見て告白して、付き合いました。
F恵は清純派の美形でしたが、私と初めてセックスしたときから大乱れで、
「ねえ、俊哉君って、セックス上手だよね。微妙に焦らしてくるし、女の子にもっと・・・って思わせるセックスするよね。」
と言われて、F恵の性体験は先輩一人ではなく、何人かの男に抱かれた経験があるような気がしました。
それでも普段は清純そうな美形なので、自慢の彼女だったし、週末はどちらかのアパートに泊まり込んで、セックスに限らずいろんな性行為を楽しんでいました。
たとえば、コンドームに色んな異物、例えば野菜、ゴルフボール、ドレッシングの瓶などを入れてF恵の膣に挿入して何度も逝かせたり、弁当の醤油さしでF恵の陰核を吸い上げてみたり、F恵が生理の時は逆に私の陰茎を髪止めゴムで縛ったり、何回連続射精できるか手コキ責めされたりしました。
そして、F恵が帰省したりしていない時は、以前不倫していた人妻に連絡して遊んだりもしました。
F恵とはかなりスケベな遊びをしましたが、それは、二人とも卒業したら地元に帰るからいずれサヨナラで二度と会うこともなく、学生時代の恥はかき捨てと思ったからです。
だから大学を卒業して地元に戻るとき、高校時代の彼女のE美と別れるときのような感傷的なシーンはありませんでした。
引っ越し荷物を送った後、ホテルで淫乱な性行為に耽り、思い切りセックスをして、翌朝、
「じゃあ、卒業式で会おうね。」
と言って別れて、2週間後に卒業式に出席するため上京したら、F恵は卒業式に欠席で、結局引っ越し後のホテルでのセックスが最後でした。
卒業式の後、F恵の携帯に電話しようかと思いましたが、ふと考えを変えて、
「F恵との思い出を東京に置いて帰るよ。そして、F恵のアドレスは俺の携帯から削除するよ。さようなら。」
とメールを送ると、帰りの新幹線で、
「卒業式、色々あって行けなかった。ごめんね。もう一度、俊哉に抱かれたかったな。私も俊哉のアドレス削除するね。さよなら。」
とメールが返ってきました。
新幹線の中で、F恵のアドレスを削除したとき、少し、寂しくなりました。
現在私は36歳、33歳の妻と結婚してもうすぐ10年になります。
妻は、私が就職2年目に入社してきた短大出の新人で、どことなく中川翔子さんに似た感じの明るくて可愛らしい女性でした。
気心が知れてきたら、人懐っこく私にまとわりつくので、
「なんだよ~~もしかして俺のこと好きなのか~~」
と言ったら、
「やっと気づいてくれましたね。けっこう鈍感なんですね。」
と言われて、前に、E美にも言われたっけなあ・・・と懐かしく思い出しました。
妻はとてもいい娘だし、そこそこ可愛かったので付き合いました。
妻は4人目の女性、元カノとしては5人目、そして、私が付き合った初めての年下女性でした。
妻には短大時代に彼氏がいたようで、処女ではありませんでしたが、F恵のような経験の豊富さは感じられませんでした。
10年前に結婚し、子供が2人生まれて、中川翔子さんに似て今でも可愛い妻と幸せな毎日を過ごしています。
そして先日、妻が風邪を引いて子供のPTAの会合に行けなかったので私が代わりに行ったら、
「俊哉君?・・・やっぱりそうだ、俊哉君だ!」
中学時代の元カノのM子でした。
「M子か・・・懐かしいなぁ・・・元気そうだな・・・」
M子の下の子と私の上の子が同じ学年でした。
「えー!あのショコタンに似た可愛い人が奥さんなの!へえ~~・・・」
と驚かれましたが、
「そう、奥さん風邪ひいちゃったんだ。でも、そのおかげで俊哉君と再会できた。私の初めての彼氏だもんね。あっ、そう言えば、俊哉君って、○組にいたE美と高校時代に付き合ってたって本当?」
「えっ?いや、その・・・」
「別に、責めてやしないわよ。私達が終わった後の事なんだから。でも、ショックだったでしょ。別れたとはいえ昔愛した人が亡くなるのは・・・」
「えっ?E美って・・・」
「俊哉君知らなかったの?ウソでしょ!E美、短大2年の時に、当時の彼氏のバイクの後ろに乗ってて、事故で・・・」
「そう・・・なんだ・・・」
全く知りませんでした。
別れた後に号泣したE美が、その後2年も経たずにこの世を去っていたなんて・・・
E美が亡くなって昨年で16年、きっと、十七回忌が営まれたことでしょう。
元カノE美がこの世にいないことを知って、E美との思い出が永遠の思い出になったような気がしました。
妻には言えない思い出の恋人、E美の思い出と私の元カノ列伝をここに書き記してみました。