【22年と7か月前】の続き
※前話に続き記録も兼ねて、添削しながらUPしていきます。
正人さんと私は約2年ぶりに再会しました。
場所は名古屋でした。
66歳になっていた母は、私でも目を細めるぐらい
正人さんにのめりこみ、完全なM女になっていました。
(スレ違いなので母の部分は省略)
ある日「おへその上あたりがキリキリするのよ」と
母が正人さんに言っていたそうです。
健康診断など10年近く受けていなかった母に正人さんは
「とりあえず受診したほうがいい」と助言してくれたと聞きます。
ある意味M女だった母は、素直にその翌日病院で検査を受けました。
すると、十二指腸ガンと尿管結石ということでした。
母から電話を受けた私は、父があと10日は仕事で戻れないというので
名古屋に向かうのでした。
木曜日の仕事を終え、次の日の有休をいただいて夜間高速バスに乗りました。
長女も高1、次女は小3になっていましたし、主人も出張がほとんどない部署に
勤務していたので私自身も2年前とは違い気持ちに余裕ができていました。
ちなみに正人さんへの借金ですがお借りした1年後に100万
そして再会する約一か月前に100万を返済していました。
1度目の返済時に、契約書に返済に関する文章がないのに気づき
主人が正人さんへ返済方法を確認したのでした。
正人さんは「利子はいらない、返済は100万単位だとありがたい」
「領収証はきちんと出すよ」と言ったそうです。
利子がない・・・これだけでも私達は大変ありがたかった。
早朝、名古屋に着いた私は久々の実家に向かいました。
母はケロッとした感じで「あら、来たの?」と一言。
「今から病院に行くよ」と私は父の車を運転しました。
病院で今後の治療計画など説明を受け、自宅に帰ったのは
14時を過ぎていました。
とりあえず父が帰ってきてから精密検査の後に手術とのことで
少し緊張があり帰りの車内では一言も会話がありませんでした。
帰宅後、まず仕事で航海中の父に電話を入れ説明しました。
すると、日曜日の夜には帰って2週間の休養をもらったといいます。
そのあと、仕事中の主人に電話を入れ説明し日曜日に帰る旨を伝えました。
少し家事をして、テーブルで母とお茶を飲みながら雑談していました。
すると母が「正人さんの件だけど・・・」と。
私も気にはなっていましたが、考えないようにしていました。
(母)「私はここまでだと思うの」
(母)「少しはYちゃん(長女)、Kちゃん(次女)の為になったのかしら?」
(紗)「うん・・・」
(母)「お父さんね、おそらく船を降りると思うのよ」
(紗)「えっ?」
(母)「68歳だしね、後輩の育成っていいながら続けてきたけど」
(母)「退職するつもりで降りてくると思う」
(母)「正人さんと3人になったときあったでしょ?」
(母)「あの時正人さん、お父さんは相当敏感なはず・・みたいなこと言っていたの覚えていない?」
(紗)「なんとなく。。」
(母)「たぶんお父さん、気づいていると思う」
(紗)「は?えっ??」
そこに私の携帯に会社から電話がありしばしのブレイク
ちなみに私も個人の携帯を作って1年過ぎていました。
この時点では正人さんには教えていません。
(母)「もう正人さんには会わない、明日携帯電話を解約から」
そしてテーブルの上に銀行の封筒があり
(母)「100万入ってる。返済の足しに使いなさい」
(母)「お父さんの知らないお金、私が働いていた時のへそくり」
(紗)「貰えない、こんなの」
(母)「孫の為よ!」
かなり添削しましたが、こんな会話が続き
(母)「正人さんとの約束事、あるんでしょ?」
(紗)「・・・・・」
(母)「私はここまで」
(母)「哲さんには日曜までのこと内緒にするから・・・」
母の言いたいことは理解しました。
私は30分ほどテーブルに伏していたと思います。
気持ちの切り替えが分かった瞬間、私は意を決して正人さんに電話しました。
(紗)「お久しぶりです。」
(正)「お~、元気だった?」
(紗)「母の報告をと思って。」
それから母に関することを色々話し・・・
(紗)「今日どちらですか?」
(正)「大阪」
(紗)「明日でもお会いできないかと。」
(正)「名古屋だろ?今から行くよ」
明日会う気持ちで心を整理していた私は
少しづつ正人さんのペースに飲み込まれていきます。
そして名古屋駅にて約2年ぶりに再会しました。