俺が25歳の時は、それなりに羽振りがよかったと思う。当時は派遣社員ではあったけど月25万程度の金を稼いでおり、なおかつ実家暮らし。給料が入れば毎月5万円を実家に入れないといけないが、電気ガス水道、インターネット料金は全て実家持ち。食費も家で食べたらタダ。せいぜい携帯電話代と会社にいく定期券代ぐらいが、その時の俺の毎月の支払だった。いいかえれば、毎月18万近いお金を自由に使えるご身分であったのだ。
そんな親のすねかじり風情の俺が、ある時、大阪梅田の中古楽器屋の前を通り過ぎ、その時ガラスケースの中に並べられた金管楽器、木管楽器等を見かけた事があった。
俺は今までまったくクラシック音楽や楽器というものには興味を持ったことがなかったが、ガラスケース効果というのだろうか、キレイに並んでいる楽器を見て、(ほー。)とやけに関心したのを覚えている。
また、その日は財布に10万近くはいっていたという余裕があったせいか、ついつい普段興味のない楽器なんかに目を止めてしまったのかもしれない。
俺はその中で、中古のヤ〇ハフルートが7万円で売られている事に気が付き、(この7万っていうのはやすいのか、、それともたかいのか・・)とふと不思議に思ったんだ。そのライトに照らされて輝いているフルートが妙に俺に魅力的なオーラを放っていたというのも勿論あったが。
それから店員に展示されているフルートについて問い合わせたところ、このフルートは中古ではあるがオーバーホール済であり、マウスピース(拭きくち)が総銀製であり、可動部パーツも総銀製(他、銀メッキ)という、中級者向けのモデルである事を聞いた。むろん初心者でもこのクラスから始めれば、しばらくは買い替える必要もないだろうとの事だった。
これを衝動買いというのだろう。「じゃ、これください」と俺は7万円もする大きな買い物に身も心も躍らせながら、かったフルートをもって勇躍、家に帰っていったのである。
フルートを買った俺は、せっかく7万円もするものを買ったのだから練習をしてみよう。という気持ちになるのは当然の事であった。毎日、独学でフルートを演奏し、ネット、教科書、CD、youtube等を参照して、とにかく下手くそではあるが、自己満足できるくらいまで上達していったのだ。
フルートを購入してから3,4か月くらい経過した頃だったと思う。俺が趣味でフルートを始めたらしい。という噂が地元の友達とかに知れた時、俺の中学時代の部活の先輩が、「フルートっていや、谷口志穂を思い出すなぁ」と言ったのである。
俺はその、谷口志保なる人物を先輩に聞いてみたところ、谷口氏は俺と同じ中学の5コ上の先輩(なので俺が知らなくて当然)中学時代から吹奏楽部であり、大学は音大へ進学。そのまま社会人をしながら、〇〇(地名が入る)フィルハーモニー管弦楽団(仮称)で、今もフルート奏者として活躍している人がいる。との事だった。
俺は家に帰ってから、谷口志保 フルート 楽団名 でキーワードで検索してみると、出てくる出てくる。といっても地方の小さな管弦楽団のフルート奏者なので、何も有名人やプロミュージシャンという訳ではないが、それなりに活動をしているんだなというのは理解できた。と同時に、やっぱりクラシックしている人ってキレイな人が多いなw とも思った。
そして俺は、先輩に「谷口さんって今も地元に住んでるんですか?」とアテもなく聞いてみたところ、ここからは予想しなかった事ではあったのだが、「なんだ、会って弟子入りでもしたいんか?」と聞いてきたので「そんな事できるんすか?wwww」と勢いあまって返事した事を覚えている。
それが、全ての始まりだった。
実は谷口志保 なる人物は、今でも俺が住むA町の隣のB町、つまり同じ中学の学区内に住んでいるとの事だった。聞くところによれば社会人になって結婚し、一時は地元を離れたがどういう理由か離婚して、そしてまた地元へと戻ってきたとの事だった。
そもそも、俺の先輩というのと谷口氏は家も近所で、(たしか先輩の兄弟が谷口氏と同級生)で昔っから知っている間柄との事だった。当時フルートに夢中になっていた俺は、先輩に「会えるものなら会ってみたいです」と強い意思を示すと先輩からは「じゃ、今度会った時にでもお前の事話してみるわ」とその場はそれで終わったのであった。
それから1か月と半くらいして、俺は谷口氏の事など頭の片隅に残っていなかった時に先輩から連絡がはいり、「前いってたフルートの人と連携とれたぞ」とメールが入ったのである。「まじっすか?」とすぐに返答をすると、「相手は、いつでも来てください。」と言ってたぞ。」というのであった。
当時、大した人間関係も持っていなかった俺にとって、ちゃんとした楽団に所属している音大出のプロの人物と、人間的な関わりを持てるだけで何か、自分が偉くなったような錯覚を起こしたものだった。
それから俺は相手が言っている「金曜の夜か土曜の夜なら」という金曜の夜を選んで、俺は単身ひとり谷口氏が住むマンションへと足を運んだのである。
隣町、自転車で20分くらいの距離だった。俺は先輩から聞いていたマンションへの存在を確認し、中に入るとオートロックとなっており、谷本氏のすむ部屋番号を入れて呼び出しボタンを押した。すると「はい」と女性の返事があったので、「あ、樋口と申します。〇〇さん(先輩)から聞いてると思いますがフルートの件で・・」というと「はいはいー。ちょっと待ってね」と言い終わった後、ガシャンとマンション入り口のカギが開錠されたのであった。
俺は少し緊張しながらエレベーターに乗り、そして谷口氏の部屋の前へと到着し、そして今度はインターフォンを鳴らした。すると「ガチャリ」と音をならしながら玄関ドアを開ける谷口氏が居たのである。
谷口志保(30歳)ネットでみたイメージ通りの方で、ほんとなんというか、クラシック奏者という雰囲気を持つ美女であった。今まではインターネットの中でドレスを着て、髪の毛をアップスタイルでまとめている正式な姿しか見た事がなかったが、今はリブカップTシャツ、スキニージーンズ、そしてサイドポニーテールという、簡単に髪の毛を肩でくくっている普段の谷口氏の姿がそこにあったのである。
それから俺は室内へと案内されたが、ここは意外と。。。。普通に生活感のある部屋に住んでいた。てっきり部屋の内装も家具もクラシックなイメージなのかと思いきや、そこは普通の女性の部屋というか、散らかってはいなかったが、特にゴージャスという訳でもなかった。ただ印象的だったのは部屋に置いてあった電子ピアノの上の棚部分に莫大な量の楽譜そして、本棚には音楽関係の著書が入っていた事には圧倒されるものがあった。
それからは初対面という事もあり、フルートを志した切っ掛け、そして今、どれくらい演奏できるようになったか、どのような方法で練習しているか、今、直面している問題は何か、というテーマについて語り合った。
するとさすが相手はプロ、俺の様々な質問、心境、困難な事、そういった事にわかりやすいアドバイスをくれたのである。ただ残念なのは、ここはマンションなので実際にフルートを演奏して模範演技を見せるといいう事が出来ないという点だけだった。
だが俺は実際の演奏が出来なくても非常に満足していた。ここにいる2人は相手は音楽のプロ、そして俺は(あくまで当時は)フルートに熱心に傾倒する若者である。音楽の話、フルートの話をしているだけでアッと今に時間が過ぎていき、きっと谷口さんもそうであっただろう、健全で楽しい時間があっという間に過ぎていった。
それから俺と谷口さんは、2週間に1回くらいのペースで俺が谷口さんの家にフルートの基礎の勉強をしにいき、適当な合間をみて徒歩3分の場所にあるカラオケBOXで実技指導を受けるという、しかもタダで。という極めてラッキー展開へと転がり込んでいくのであった。
俺のフルートが上達したかどうかは分からないが、ただ楽しい時間だけを過ごす事はできていた。そしてそういった関係が3か月くらい経過する頃には、最初、俺が谷口さんのフルートを借りて演奏するときに最初にマウスピースを拭いたりする行為(つまり間接キスを防ぐ行為)もなくなってきており、お互いがお互いに慣れてきたのだと思う。それからはフルート以外の話で盛り上がったり、酒を持ち込んでたまには飲んだりという関係にも発展していったのである。
だが俺は、この谷口さんを口説いてやろう。とかそういった下心は一切なかった。なぜなら、相手はちゃんとハッキリと「彼氏がいる」と俺に明確な立場を示していたし、そもそも、その彼氏も最近になって俺という存在が現れ出したことも知っているとの事だった。
谷口さんの彼氏も、相当人間がデキた人なのか、俺が谷口さんの家に通っている事に対し、「地元の後輩でちゃんとフルートを勉強したい。っていってんだろ?そんな相手になぜ俺が嫉妬するよ」と言っているとの事だった。
だが、俺はこの人間の出来た彼氏を、影で裏切ってしまう事になってしまうのだった。
言ってみれば、男と女が夜遅くに何時間も酒を飲んだり同じ空間で時間を過ごすのである。結果、、、こうなったか。。。という展開になっていくのだが、この時俺は、何も気が付いていなかった。