私は、奈良県の総合病院で働いてる55歳になる看護士です。
高校を卒業して、大阪の看護学校に入りナースを目指していた頃のお話です。
私には、当時結婚して大阪の茨木市のアパートで暮らしていた二歳年上の姉がいるのですが、その頃ときどき遊びに行き泊まってご飯を食べさせてもらっていました。
姉の旦那様である義兄は、背が高くハンサムで優しい人でしたので、二人姉妹でお兄さんが欲しかった私は、義兄のことを実の兄のように慕っていました。
義兄は、いつも遅くまで仕事に追われていて、常に疲れている様子でしたので、私は泊まりに行くと、よくマッサージをしてあげたりしていました。
優しい義兄は、逆に腰の悪い私にマッサージをしてくれたりもしました。
ある日の夜、姉宅に泊めてもらったときのことです。
いつものように義兄に背中や腰のマッサージをしてあげ、そのお返しにと、義兄が寝転んでうつ伏せになっている私の腰をマッサージしてくれていたときのことでした。
そのとき、姉は台所で晩ご飯を作ってくれていました。
最初はただただ気持ちがよくて、ずっと続けていてもらいたいなんてことを思っていましたが、時間が経ち、やがてマッサージしてくれていた義兄の手が徐々にその揉む位置が下がってきてお尻の上半分くらいに届いてきたのです。
そして、ときどき脚の付け根辺りにも揉む手が来たのです。
私は、やばいと思いながら、胸がドキドキして何も言葉が出ませんでした。
また、正直なところ、エッチな気持ちが沸々と沸いてくる自分を恥ずかしくも思いました。
あのとき、「もう、お兄さんったら、エッチなんだからー。」などと言って、その手を叩いていたら、それ以上に進まなくてよかったのにと、いまは少し後悔しています。
そうしているうちに、徐々にエスカレートしてきた義兄の手が、風呂上がりでパジャマ姿でうつ伏せになってる私のズボンを無言でいきなりずり下げてきたのです。
私のお尻は丸出し状態になり、そして、義兄は、「お尻に腰痛のツボがあるんで、電気が走るような痛みを感じるところに当たったら教えて。」と、まったくいやらしい声の雰囲気はなく、そう私に指示したのでした。
義兄の言う通り、確かにそのツボがあり、そこをほぐしてもらうと腰が楽になるような気はしましたが、そんなことより、男性経験がほとんどなかった私は、義兄にお尻を見られているというとんでもない恥ずかしさでいっぱいいっぱいになっていました。
それに、こんなところを姉に見られたら大変なことになるとドキドキしていた。
すると、二つ隣の部屋のガラス戸を開ける音がして、やばいとと思ったら、義兄が私のパジャマのズボンをサッと戻したのです。
次の瞬間、私達の居る部屋の襖が開き、「お待たせー」という声と共に姉が晩ご飯を運んできてくれたのでした。
夕食の時間は、三人でテレビを見ながらときどき雑談もしながら姉の手料理をいただきました。
姉に気付かれないよう、何事もない雰囲気を醸し出すため必死でした。
でも、恥ずかしくて、義兄と目を合わすことはできませんでした。
ご飯が終わると、姉がお風呂に入ると言って部屋を出ました。
再び義兄とお部屋に二人きりとなった私は、眠くなったふりをするしかなすすべがなく、その前にトイレに行きました。
アパートの便器は和式で、しゃがんだ私は、用をたす前に思わず自分の性器を指でなぞってみたのですが、やはり間違いなくびしょ濡れになっていました。
ゆっくりと間をおいて、おトイレからお部屋に戻って見ると、義兄の方が寝たふりをしていました。
他に方法が見つからない私は、その狭い部屋で義兄と少し間を空けて寝たふりをしました。
何分か後に、「春江ちゃん寝たの?」と義兄の声が聞こえました。
その声ははっきり聞こえていましたが、私は寝たふりを決め込むしかなかったのです。
そのまま何も起こらない。そう思ったのも束の間で、義兄の手は、横向きに寝ている私の背後から再び私のパジャマのズボンを下ろしたのです。
そして、義兄の手は、私のお尻を円を描くように撫で回し、やがてその指が私の性器に到達して差し込まれてしまったのです。
そうなると、もう私は寝たふりなどしている余裕なく、真っ赤に紅潮しているのを自分でも感じるくらいになりながら、兄の顔を見つめ、「お兄さん、まずいよ。」と力の無い声で訴えたのですが、
義兄から帰ってきた言葉は、「春江ちゃんが、可愛すぎるからいけないだ。」でした。
その言葉に酔ってしまった私は、義兄になされるがままとなってしまい、義兄は自分のいきり立った物の先を私のぬるぬるになった柔らかいところに何度も擦り付けたのです。
そのときには、もうずぶ濡れ状態になっていたのを義兄にはっきりと気付かれていたと思います。そして、我に返ったときは、既に義兄のペニスが私のヴァギナの中で抜き差しを始めてしまっていたのです。
セックスの経験は、酔った勢いで一度医大生と過ちを犯した以外なかった私ですが、多分他の人と比べて性欲が強かった私は、ほぼ毎日看護学校の寮のおトイレで木のコケシや瓶などを使ってオナニーをしていました。
今でこそ、誰でも通販でバイブやディルドーを簡単に手に入れることができますが、昔はそのようないかがわしいおもちゃを売っているお店でしか買えなかったのでした。なので、私達の年代は、お部屋に飾っておいても不思議でない木のコケシか、なすびやオロナミンCの瓶、こんにゃくくらいしか、自分を慰めるものはなかったのです。
なので、既に異物を飲み込むことには慣れていて、最初一瞬だけ痛みを感じましたが、既に愛液でびしょ濡れになっていた私のヴァギナは、今になって思い出すと、義兄のペニスをしっかりと咥え込んでいたように思います。
その日を境に、姉の目を盗んでは、ときどき大阪市内の寮まで来るようになりました。
男子禁制ですから、私が義兄の車に乗って、何度かカーセックスをしてしまいました。
仲の良い姉を裏切り、その上に、義兄が来るときは、その寸前にしっかりと性器を洗って会いに行く自分を顧みて、当時純粋だった私は、それ以降、義兄と二人だけで会うのをきっぱりとやめることにしました。
その後、私は無事ナースとなりましたが、浮いた話が全く無い私は、結婚に焦ってしまい、友人から紹介された何の魅力もない現在の旦那と結婚したのです。
幸い子供は、男の子を一人授かり、その子だけが私の生き甲斐ですが、今でも義兄とのセックスを思い出し、オナニーをしてしまうことがあります。