幼馴染の同級生の佳恵と初体験したのが中2になったばかりの春だった。
道路を挟んで向かい側の佳恵の家は大きな農家で、その道路が拡幅されるときに引っかかって、それまでの中階段から外階段に改造された納屋の2回がヤリ部屋だった。
俺の家がある道路の手前側は住宅地、道路を挟んで向かい側の佳恵の家がある方は、家屋もまばらで田畑が広がっていたから、今思えば道路が市街化区域の境目だったのだと思う。
納屋の2回で学ランとセーラー服で抱き合って初キス、まだうすら寒い季節、下だけ脱いで性器の見せ合い触りあい、そして、自販機で買ったコンドームをつけて処女と童貞を捧げあった。
小学生時代、手をつないで通学していた幼馴染の二人は、中学になっても仲良しで、クラスメイトからご夫妻とあだ名されていた。
中学になって性に目覚めた二人は、好奇心に導かれるように股間を見せ合った。
13歳の少女のワレメ、その肉裂を拡げて観察した。
恥じらいに頬を染めた上半身セーラー服の佳恵がとても可愛かった。
ギンギンに勃起した肉棒を不思議そうに観察する佳恵のセーラー服の襟足が、何とも言えず女を感じた。
それ以来、親の目を盗んで納屋に忍び込んでセックスしていた。
暑い夏は素っ裸で、寒い冬は防寒着を着こんでしただけ脱いで、サカリのついた中学生が、可愛い喘ぎで腰を振りあっていた。
中学3年生になって、二人はますますセックスに励んだ。
一緒に高校受験勉強しながら、激しく求め合った。
小遣いに占めるコンドーム代の比率が高くなってくるに従い、俺たちは生理が近くなれば、コンドームをせずに生挿入をして外に射精する技を習得していた。
セックス中に生理が来れば、そのまま中に出し、佳恵が生理中は彼女の手コキで射精するという中学生にあるまじき行為に耽っていた。
中3の冬、雪が舞う大寒波の中でも我慢できずに彼女と求め合ったが、あまりの寒さから電気ストーブを持ち込んだのが間違いだった。
消費電力の高い電気ストーブはやがてブレーカーを落とした。
何故落ちるのか疑問を持った佳恵の母親が部屋中を調べて、最後に納屋の2回にやってきた。
激しく交わっていた俺達は電気ストーブが消えていることにも気づかず、
「アアン、アアン、純ちゃん、気持ちいいよ~~~」
腰を振っていた。
そこへ佳恵の母親が入ってきた。
どうなったかはご想像のとおり修羅場。
俺達は引き離され、佳恵は県外の親戚の家で高校生活を送った。
俺は、高校に進学しても肉棒の疼きを抑えられず、気に入った女の子にすぐ近づいて仲良くなり、隙あらば口説いてセックスに持ち込んでいた。
自転車でラブホに連れ込み、若い性欲を爆発させた。
小遣いはあっという間にラブホ代で消えたから、ロクに勉強もせずにバイトに励み、それでも足りなければ女の子に払わせたりもした。
二股かけてバレて、またまた修羅場を演じ、それでも懲りずに下級生に手を出して、今度はバレないように他校の女子高生と二股かけたりしていた。
思い返せば最低野郎だった俺は、高校3年間で5人の女子高生とハメた。
同級生2人、下級生1人、他校の生徒2人で、5人中4人が処女だったが1人は非処女で彼氏持ち、高校生同士でダブル浮気のスリルに酔っていた。
そんな俺でも大学は東京にある三流大学に進み、それなりに勉強して卒業した。
もちろん肉棒は疼きっぱなしで、同じ大学の女子大生は10人くらいは喰って、種蒔き純次とあだ名され、キャンパス内では警戒されるようになっていった。
友人からは、
「お前、大してイケメンでもないのに、何でモテるんだ?不思議だぜ全く・・・」
と言われたが、それは、振られることを覚悟で気に入った順番に片っ端から口説くから、その数に比例して落ちる女も多いだけだった。
キャンパス内で警戒されてもめげずに女子大生の尻を追っかけていたが、
「種蒔き純次に近寄ると妊娠させられるわよ・・・」
と、俺に遊ばれた女たちが言い始めて、俺と付き合う女は尻軽女とレッテルが張られるようになり、キャンパス内では総スカン状態になった。
それを見越して、俺は、金目当てでなく女目当てでバイトを掛け持ちしていたから、バイトで知り合った女子高生、女子大生、OLや人妻まで色んな女と浮名を流す、いわゆるチャラ男だった。
俺は、アパートには隠しカメラを仕込んでいて、連れ込んだ女との卑猥な動画を隠し撮りして編集するのが楽しみだった。
4年生になった時には、その動画は20人分を超えていた。
俺はそのうち、同じ大学の女子大生と18歳未満の女子高生を除いて、数名の他校の女子大生やOL,人妻とのハメ撮りを学友や後輩に見せて自慢していた。
4歳年上の兄貴が結婚したので、実家を兄貴に託して、俺は地元に戻らずそのまま東京に職を求めた。
女に対するリスペクトを完全に失ったまま社会に出た俺は、入社早々高卒で入った可愛いロリ顔の裕美に手を出し、
「いずれ夫婦になるんだからいいでしょ!」
と結婚をチラつかせながら、ブルマーやセーラー服を着せてハメ撮りした。
そのあまりの可愛さに夢中になり、徹底的にマゾ調教した。
肉芯を吸出し真っ赤に肥大させて、そこにマゾ妻の証の結婚ピアスを通し、俺25歳、裕美21歳で結婚した。
俺は毎晩のようにハメ撮りした。
夫に凌辱される羞恥にビラ肉が潤み、
「ヒャアァァァ~~~」
と次第に目覚めていくマゾの快楽にヨガリ泣いた。
吸い出されて肥大した肉芯に通されたピアスローターで嬲られて、
「ヒイィィィィィィ~~~」
と潮を噴き、快感に耐えるたびに収縮する肛門にも生肉棒を突き立て、
「アグゥゥゥゥゥゥ・・・・」
と直腸射精に悶絶しながら、被虐幼妻のハメ撮りアルバムが綴られていった。
休日はセーラー服コスプレで、まるでAVの撮影だった。
赤や青のロープで縛り、幼な妻を凌辱して撮影に耽った。
処女喪失した頃はピンクだった裕美の肉裂も、恋人期間を含めて5年の凌辱荒淫ですっかりグロテスクになった。
赤く熱した肉ビラは伸びてはみ出し、執拗な責めに蕩け出したピアス肉芯は拉げた。
裕美は体中が緊縛調教で痣だらけになり、俺はDVを疑われるようになった。
結婚して3年、子供も作らず破廉恥遊びに興じていた俺は、DV男として裕美と別居させられた。
性欲の吐け口を失った俺は、我慢できずに社内のOLに手を出した。
待ってましたとばかりに裕美の実家から三下り半を突き付けられた。
一度だけ裕美に会わせて欲しいと懇願し、最後に喫茶店で会った。
裕美は、
「ごめんなさい・・・両親の言うこともわかるし、冷静になってみれば、私、変態にされていたことに気付いたの・・・これ・・・返すね・・・」
肉芯を貫いていた結婚ピアスを返却された。
慰謝料は300万円、仕方なく支払った。
28歳で再び独身に戻った俺は、再び元のチャライ男になっていた。
手当たり次第に口説いては嫌われつつも、中には落ちる女もいたから、セフレには常に事欠かなかった。
俺が32歳の頃、元妻の裕美の再婚を風の便りに聞いた。
どんな男が裕美と再婚したか気になったので、折を見て裕美の行方を探った。
裕美は、中学時代の同級生と再婚していた。
優しそうな草食男子と言った感じの男だった。
彼は、裕美のはみ出した肉ビラや、赤く肥大して拉げた上に穴が開いた肉芯を見ても、裕美を愛する決意をしたのだろう。
遠くから眺めながら、裕美をよろしく頼むと心で呟いた。