>意見を聞かせてください。あくまで意見ですが、まずハッキリ話を分けましょう。・生物学的な話・社会を回る話一緒に考えてはいけないし、これらは交わらない平行線です。生物学的に言えば、LGBTは生物学的な異常です。なかには人が増えすぎたことによる自爆プログラムという人も居ます。アポトーシスとか言われて、小説のネタにもなっていたと思われます。骨が折れていたら?を想像してみてください。当たり前過ぎますが、超痛くて365d24h、気になって気になってしょうがなくて寝ても覚めても気になって、何より苦痛です。その痛みに該当するのが性の問題で、骨が折れてたら何としてでも直したい、せつなくて仕方がない。という思いから、行動に出るのです。それが病院だったり手術だったり。性の問題もそれと同様で、決して変な気分ではなく、痛みに勝るか同等の苦しみがある事が性の人達の問題として分かっています。ネットや責任編集の無い、誰かの意見が入ったり、ステマが入ったネットの情報ではなく、本を実際に図書館で5冊も読む頃には、考え方がかなり変わっていますよ。私もスレ主と同じ気持ちでしたから。生物学的問題は、そうした痛みや苦しみが性の問題に転嫁していて、周りにカミングアウトする事で苦痛や苦しみが減るという事で、自分は正常に生まれたからその苦しみが分からないだけで、もしも逆だったら骨折しても病院を利用したり人に頼るな!という意見と同等になります。最低限、そうした苦しみである事を考えてから意見をしましょう。次に社会を回す話です。生物学的な問題を抱えているので当然社会ではそれらが機能しません。男性の格好をしているのに心は女性の人が、女性トイレを使えば捕まります。他にも結婚が出来ない、扶養者控除を使えないとか福祉の面とか権利が無いので認められず、場合によっては犯罪になります。しかしながら、犯罪とは法律を犯した事を指します。はぁ?当たり前だろ?と思われると思いますが、法律は何故あるかと言えば個人個人の人権を守るために憲法から辿って制定されています。つまり、ダイレクトに言えば身体と性が違う人は権利が無い。という事になり、権利が無い=人権もない という所まで話が広がります。飛躍し過ぎでもなく、現実施設が使用不能、差別につながり何より個人個人を守る予定だった法律が一周回って機能しません。LGBTの人達も不満があり、そしてそこの矛盾と仕事に漕ぎ着けるために弁護士が集まって派閥を作り過度にやり始めたのが、現状の流れです。身体の問題は生物の問題を引き起こし、社会の問題は、権利の矛盾と弁護のデファクトスタンダードを生み出して捻じれてしまっています。それが今です。だから、生物学的の話で否定し続ければ、人権侵害、今度は保護をし続けると社会が機能しなくなるという矛盾を孕んでいます。やはり力仕事は男性の身体の方が「機能的」に優れていて、家事や食材の脳の部分的機能は「女性の脳」の方が男性と比べて優れているのは科学的事実です。そこに良いも悪いもありません。解りづらいかもしれませんが、この身体的な問題、社会の問題は分離しているが同時に解消するために別々に解消していく必要があると私個人は考えています。国会議員の先生方でも、キチンとこの辺りを分離して考えている事が出来ていませんので(だから失言が目立つ)一般社会で色眼鏡で見ずに尚且つ汚染されたメディアや本に影響されずに考えることは至難の業だと思っています。情報も正しく仕入れ、思考は論理的にクリアに考え、最後は人を守る自愛の精神、だから、まぁ難しい問題なんです。という、非常に広域的で平等に考えても居るのですが、現状のLGBTの社会の成り行きは社会に混沌を生む問題である事、権利は守ってあげるべきだし、差別は駄目だが過度に守ることもしてはいけない。と個人的には思っています。例えば先日、経済産業省の職員が、職場の女性用トイレの使用が制限されているのは不当な差別だと国を訴えた裁判がありました。別にトイレは別フロアで使用がOKなのに、他でも使えるようにしろ。という主張です。こんな事は在り得ませんが、もし経済産業省の職員全員がLGBT問題を抱えていたと仮定したら、全ての職員が全て使えるようにしろ!とは到底言わないと考えるからです。せっかく周りが配慮していたのに、まだ権利が無い!足りない!世の中が遅れている!など言うのは、性よりもその人本人の自我が強いだけのような気もしてなりません。使えないなら話が分かりますが。このケースだけ、限定させて言いますが「主張すんな!」というのが自分の意見です。
...省略されました。