僕は都内の大学を卒業後、国内では誰でも知っている通
信大手の企業に就職しながら、先輩社員の陰湿な虐めに
悩まされる日々が続き、一年後の春にはその先輩社員と
口論となり、結果的に職場を去る事になったんです。
大学の4年間に渡り、家賃や生活費を工面してくれた両
親には言い出せず仕舞いで、僕は精神的に疲弊していた
事も有り、再就職活動をする傍ら、僕が暮らすマンショ
ンからほど近いカフェで、アルバイトを始めていました。
場所が千駄ヶ谷の国立競技場に近接する事から、来店さ
れるお客様も割とハイソなお客様が多く、いつも賑わっ
ていた店のせいか、僕自身も以前の明るさを取り戻しつ
つ在りました。
そんな中で、同じバイト仲間だった恵子とは馬も合い、
彼女はポンジョ(日本女子大)に通う19歳で、24歳の
誕生日を間近に控える僕には妹のような存在でした。
お世辞にも美人ではなかったものの、頭の回転も速く、
時折り来店されるアメリカ人の御夫妻と流暢な英語で会
話をしてみせたり、快活でユーモアに富んた女子で、暇
な時には冗談を飛ばし合い、ボケとツッコミで厨房の
スタッフから笑いを取ったりで、それなりに愉しい日々
を送りながら、再就職活動も蔑ろになっていたんです。
そんな恵子との会話の中で、外苑前の邸宅に住んでいる
事から、彼女が御嬢様である事を何処となく想像もして
いたんですけど、或る日恵子のお母さんが来店された事
があって、恵子には大変失礼ですけど、とても若々しく
綺麗なお母さんで、僕は驚きを隠せませんでした。
恵子からはうちのママ!とも紹介され、いつも僕とのや
り取りを聞かされているとも言われ、思わず赤面する僕
に向かい、娘と仲良くしてくれてありがとう!と口角に
笑みを浮かべる表情はとても美しく、僕は茫然自失とな
っていました。
その後テイクアウトのシナモンロールを購入されて帰ら
れたんですけど、上品なワンピース姿に外巻きにカール
した髪を肩先で揺らす後ろ姿を見せながら、膝下から覗
く黒いストッキングが引き締まった足首を強調し、黒と
ベージュのハイヒールと相まって、セレブ全とした所作
がとても都会的で、大人の雰囲気を醸し出していました。
恵子のお母さんはその後も何度か来店され、その都度綺
麗なお母さんだね!と恵子に言っていたせいか、或る日
恵子のお母さんが来店された翌日でしたけど、僕がそん
な風に言っている事をお母さんに伝えたらしく、恵子か
らは、ママが隆君も可愛いタイプだからモテるんじゃな
い?と言ってたよ!と伝えられると、僕は本心では喜び
ながら、恵子には年上をからかうなよ!と笑って胡麻化
していました(〃▽〃)
4月から始めたアルバイトも7月になり、恵子からは7
月の中旬から9月の中旬まで、大学の夏季休暇に合わせ
、オーストラリアへ語学留学に行く事は予め聞かされて
いた事もあり、7月の初旬にはお店の閉店後に恵子の送
別会を催し、京都出身の僕は関西人らしい小ネタを考え、
お店のアイドルタイムに練習も重ねたせいか、送別会で
の恵子との漫才は大盛り上がりで、帰国後には再びお店
でアルバイトをする事となっていたんです。
さすがお嬢様大学、2ヶ月以上もある夏休みに加え、ホ
―ムステイでは在りながら、恵まれた家庭環境で育った
恵子との格差も感じながら、その後は相棒を失ったよう
な喪失感も覚えながら、賑わいを見せる忙しさに、何時
も昼食時に利用してくれるアパレル業界のOLさんに話
しかけられるなど、僕を目当てに来店される女性も、少
なからず増え始めていたんです。
そして恵子がオーストラリアへ旅立ち、10日程経った
頃でした。
炎天下が続いた7月の下旬で、その日は割と過ごし易く、
店内も天井のサーキュレーションを旋廻させる程度に留
め、久しぶりにオープンデッキも開放し、日除けのパラ
ソルも設えていたんです。
丁度ランチタイムの賑わいが止んだ時間帯でしたけど、
久し振りに恵子のお母さんが来店され、いつものシナモ
ンロールを買いに来られたと思いきや、店内の僕を見つ
け、にっこりと笑顔を滲ませると、オープンデッキの客
席に座られたお母さん。
僕は客席の合間を縫うようその元に向かい、手にしたメ
ニューを手渡し、冷たい手拭いとライムが混ざる冷水の
ピッチャーをテーブルに運ぶと、開口一番、隆君すっか
り板についたじゃない!といつもの笑顔を僕に手向ける
と、生成り色の麻のワンピ―スの胸元には、ほんの少し
胸の谷間を覗かせていたんです。
ゆっくりとメニューのページを捲る指の爪には流行色の
グレージュのネイルが施され、僕はメニューに見入るそ
の胸元の谷間に、暫し釘付けになっていました。
あの娘がオーストラリアに旅立ってから、何か心許ない
のよね!とも言い、恵子さんなら大丈夫ですよ!と励ます
と、僕の勧めるランチメニューに決めてくれたお母さん。
食後にオーダーされたアイス珈琲を届ける僕に、シナモ
ンロールも包んで置いてくれる?とオーダーシートと共
に黒いカードを手渡してくれたんです。
平日の昼下がりで、入店されていた数人のお客様を見計
らっていると、席を立ち、レジへと歩み寄るお母さんの
姿が人目を惹いたのか、周辺のお客様も眼で追うほどだ
ったんです。
そうこうしてレジに来られ、箱に入れたシナモンロール
とレシ―トを手渡す僕に、今度遊びにいらっしゃい!と
ご自分のスマホを取り出し、ラインのQRコードを翳し
ながら、携帯持ってるでしょ?とえくぼの浮かぶ笑みを
前に、僕は喜んで自分のスマホで読み取っていました。
じゃあね!と左手を振りながら店を後にする後ろ姿を見
送りながら、43歳と恵子から聞いていたももの、若々
しいその容姿は、とても40代には見えない美貌が備わ
り、24歳になっていた僕とは19歳の歳の差ですし、
当初は息子のように思ってくれてるのかな?と感じてい
ました。
お店は午前11時から午後の11時迄で、16時から18時迄の
休憩時間を挟み、定休日の水曜以外はフル勤務で、18時
以降の2部は自給も1.5倍になり、昼食も晩御飯も面倒見
の良い調理スタッフの計らいもあり、いつも彼等と同じ
賄い食を無料で食せる事もあり、月の給与も額面上で2
6万になり、家賃や光熱費を差し引いても、贅沢をしな
い限り、そこそこの生活を送る事が出来ていました。
恵子のお母さんとラインの友達登録も済ませながら、夏
休みが終わる9月20に合わせ、恵子が帰国するタイミ
ングにラインするつもりでいたのですが、8月の初旬。
火曜日の休憩時間に恵子のお母さんからのライン通知が
届くと、明日の定休日に晩御飯をご馳走するとの事で、
ご自宅の住所が記されていました。
僕はご主人とのご挨拶も想定しながら、無下に断るのも
恵子に対して悪いような気にもなり、伺う旨の返答をし
たのです。
仕事以外の僕はリーバイスのデニムに高円寺の古着屋で
見つけたデッドストックを得意げに着込んでいたんです
けど、当日はご主人が受ける印象も意識し、出来るだけ
小奇麗な身形で伺いました。
グーグルマップで調べてみれば、僕のマンションから徒
歩15程度の距離で、有名な神宮外苑の銀杏並木にも隣接
する邸宅に辿りつけば、鬱蒼と木立がそびえる庭園に囲
まれる邸宅は、蔦の絡まる洋館を彷彿とさせていました。
立派な門柱にはご家族3名が記された表札が埋め込まれ、
お母さんの名が裕子である事を知ったんです。
少々緊張を覚えながら踏み石を歩き、玄関のインターフ
ォンを押す僕に、小気味良い声で応答するお母さんは、
重厚な玄関の扉を開けてくれていました。
時間どおりの午後6時。
リビングに通され、着座する僕がお母さんが好むシナモ
ンロールを手渡すと、余計な気を遣わせたのね!とは言
いながら、快く受けってくれました。
テーブルに並ぶ料理は和洋折衷。お腹空いたでしょ?と
始めにカボチャの冷製のスープとナシゴレンが運ばれ、
一気に平らげ、滅茶苦茶お美味しいです!と言う僕に満
面の笑みを浮かべるお母さん。
恵子の幼少期のアルバムを見せられるさなか、紡績関連
の仕事に就くご主人は49歳で、4年前からバンコクに
単身赴任している事を知ったんです。
その後は恵子の自室を案内してくれたり、どうせなら家
のお風呂に入ってらっしゃい!と促されると、遠慮する
僕にバスタオルを手渡すお母さんは、浴室へと案内して
くれたんです。
内心こんなにまでして貰って良いんだろうか?とも思い
ながら、ご主人が単身赴任される前、改築したと言う浴
室の引き戸を開けていました。
浴槽の大きさも明らかに規格外の特寸で、ステンレスの
浴槽には、背を預ける部位と底面から繊細な気泡が緩急
をつけるように噴き出し、健康ランドと見紛う設えにも
驚きながら、他所様のお風呂と云う認識もあり、僕は自
由に使って良いと言うボディソープで躰を洗うさなか、
入り口の磨りガラス越しにお母さんの影を見覚えると、
脱衣籠に替えの下着を置いたと告げると、速やかにその
場から立ち去っていました。
僕も頭髪まではと思いながら、そこ迄してくれるお母さ
んに報いる意味でも、見た事も無いような、高そうなシ
ャンプーで髪も洗い、長居するのも失礼だと、20分程
で浴室からあがっていたんです。
気を利かせてくれたのか、脱衣室に出ると壁付けの小型
扇風機が首を振り、全身を拭い終え、脱衣籠に無造作に
置かれた下着を眼にすると、パッケージに包まれたまま
の、真新しい下着が置かれていました。
物音から気付いたようで、脱衣場の入り口越しにお母さ
んの声掛けがあると、下着は洗っておくのでそのまま脱
衣籠に入れておいて構わないと言うんです。
そこ迄気遣う理由が理解出来ずにいたんですけど、目上
の女性でしたし、僕は素直に従っていました。
やがて半渇きの頭髪もそのままに、再び着衣を身に着け
始めた時でした。
脱衣籠に投げ入れられたレース使いのブラに眼が留まり、
そっと手にしてみれば共生地のショーツが無造作に入れ
られている事にも気付き、お母さんの下着である事に違
いはなく、僕はそのクロッチ部分に染み付いた蝋の様な
痕跡を、鼻先に近づけながら、嗅いでいたんです。
敢えて投げ入れていたんだろうか?錯綜する思いを巡ら
せながら、僕は何事も無かったようにリビングに姿を現
すと、テーブルの上にはアイスピッチャーにウイスキー
のボトルも加わり、エプロンを外したお母さんは、胸元
の襟ぐりが大きく開いたTシャツにスキニーデニムの姿
を見せると、お風呂上がりの一杯は格別でしょう?と、
グラスに注ぐウイスキーを差し出してくれたんです。
チェイサーは有ったものの、ロックのウイスキーにあっ
と言う間に夢心地に誘われると、恵子の部屋に寝具も用
意したからと、泊まっていきなさいと手を引かれていた
です。
僕もかなり酔っていた事もあり、すみませんと謝りなが
ら、結局は恵子の寝室に組み敷かれた布団で眠りに就い
ていました(-_-;)
その翌朝の事です。
充分に睡眠を摂り、目覚めを覚えたのが午前6時を少し
周った時分で、何とはなしに違和感を覚えると、僕の傍
らには裕子さんが眠っていたんです。
驚いたのは勿論の事、上半身は丸裸でハイレグのショー
ツ一枚の姿。
おそらくは入浴を終えた後だったんでしょう、スッピン
の表情を見せながら、僅かな色素沈着を見せる表情が妙
にセクシーで、少し下垂しながら、項垂れた乳房の頂を
あからさま突起させる姿に、ぼくは完全に理性を失い、
その乳房にむしゃぶりついていました。
当然の如く眼を覚ましたお母さん、娘には絶対に内緒よ
?と耳打ちすると、静かに頷く僕のペニスを右手に捕え、
長い吐息を溢し終えると、縦横無尽に舌を這わせながら、
その口腔へと何度も深く含んでくれました。
正直、僕が童貞を失ったのは大學1年の19歳。
お相手は音楽サークルの一つ年上の先輩女子で、キーボ
―ド担当の可愛らしい女性でした。
サークル活動後は恵比寿横丁の学生にも優しい居酒屋で
朝まで飲み倒すのがルーティンで、その時も先輩女子に
誘われるまま、アパートの一室で事に及んだんです。
初めての事で、あっという間に終えた僕に、明け方近く
に再び奇襲されると、僕の項垂れたペニスを咥え直す姿
を眼に、むくむくと復帰を遂げる僕に跨ぎ乗り、激しい
腰使いと共に、その膣内に射精してしまったのが初体験
でした。
情けない話、裕子さん(恵子のお母さん)は二番目に充た
るお相手でしたけど、重ねた経験値の違いなのでしょう
か、特にオーラルセックスのテクニックは群を抜き、ぺ
ニスやアナルに這わす舌使いは格段に違うもので、それ
以来、裕子さんとのセックスに溺れるようになっていま
した。
そうこうするうち恵子も帰国し、再び同じお店でアルバ
イトを始めたんですが、母である裕子さんと僕との関係
は知らぬままで、もう2年に及びます。
今春、現場スタッフの推薦もあり、僕は正社員として雇
用される事となったんですけど、大企業には有り得ない、
皆でお店を盛り上げて行こうと言う仲間意識に支えられ、
僕が知らない処で来店していたオーナー社長にも認めら
れ、先々の新規出店の際には店舗マネージャーとして
任せるからと、思いもよらぬ好待遇で働いています。
裕子さんとの関係も今現在続いていますけど、今は水曜
日の昼下がりに時間借りしたシテイホテルの一室で落ち
合い、お互いの肉体を貪り合っています。
あれから2年。
僕は26歳になり、裕子さんは45歳になりましたけど、
僕らの関係は褪せる事無く続いています。
最近は僕以外の男性を交えた複数での性交に興味を持ち
始めた裕子さん。
近いうちにナンネットで募集をするかも知れませんけど、
その節は宜しくお願い致しますm(__)m
裕子さんの条件としてですけど、年齢は50歳迄の健全
な男性で、既婚未婚は問わないそうです。
あとは歯の綺麗な事は必須で、非喫煙者で有る事は絶対
条件と言います。付け加えて、身長の高い低いに拘りは
無い代わり、刺青やタトゥはご法度で、体重は70㎏未
満の方との事ですm(__)m
例えて言うなら和久田麻由子アナに凄く似てるんですけ
ど、一度スイッチが入ると納得行くまで求めて来るタイ
プです。
ご自分に自身に有る方はコメントをとIDを寄せて下さい
!裕子さんと僕とで精査し、ご連絡を差し上げたいと思
っています。
但し、何も当方からの連絡が無かった場合ですけど、大
変恐縮ですが、それ迄だったとご理解下さい。
使いや