2024/12/19 00:34:53
(.9.PmJTk)
時間がないときは、駅やホテルのトイレで短時間で子種を頂くこともありました。
私は妻子持ちなのですが、家族ででかけた際に合間の20分ほどでKさんの子種を頂き、種が漏れない様にアナルを締めながら家族でレストランで食事したこともありました。
Kさんは子供を産んだ女性の様な乳首にさせたいと、乳首を責めるのが特にお好きでした。
首輪・手枷・足枷で自由を奪われ、SMグッズの裁縫用具みたいなニップルクランプで乳首に厳しい責めを受けました。
ニップルクランプは時間が経つとしびれる様な独特の痛みで身体が震えてきます。
これを時々ひぱって外されるのですが、激しい痛みで顔は歪み体が崩れ落ちてしまいます。
SMグッズの洗濯ばさみで胸を無数につままれて乳輪周りも真っ赤になり腫れあがります。
中心の乳首はクランプで責められ吸引器で吸われて腫れ上がって充血し、触れられるだけで痛みむのですが、その乳首を千切れるくらい噛まれたり、またつぶして責められ続けました。
これだけでも肥大していきましたが調教開始から半年ほどでしょうか、Kさんにオエストロジェルという女性ホルモン軟膏を渡されました。
家で腫れ上がった乳首とケツマンコに毎日塗り込んでマッサージする様を写メで送る様に命じられました。
流石に女性ホルモンは怖かったのですが、身も心もKさんに支配されたわたしは従いました。
乳首は徐々に黒く小豆大でしょうか、露骨に大きくなり常に勃つ様になり、胸も僅かですが膨らみました。
人に見せられない変態ですね、Tシャツ1枚では恥ずかしくて出歩けなくなりました。
普段は乳首にテープを貼って隠さなくては、シャツは着られません。
でも、感度はどんどんよくなって乳首を責められるだけで我慢汁が出るくらい感じる様になりました。
体毛は薄くなり、Kさんと会うときは女性様の下着を着ける様になりました。。
乳首に注射針を刺され貫通されたり、責めはエスカレートしていきました。
調教開始から1年くらいでしょうか、家族に嘘をついて初めて泊まりで調教いただいてついに乳首責めだけで逝った時、以前から宣言されていたのですが肥大した乳首にKさんの手でピアスを貫通して着けていただきました。
専用の針はそういう構造で我慢できるとはいえ激痛です。でもその痛みが奴隷の証で喜びでした。
喉尺はKさんに満足していただくためなら苦しさではなく快感で初めから得意?だったのかもしれませんが、喉奥を締めたりゆるめたりしながらKさん好みの奉仕をできる様になりました。
無理ならいいけど、と言われていたフィストは痛みで一歩手前でどうしても貫通できませんでした。
でもKさんの望みに応じたくて、お願いして人生でただの1回ですが当時合法だった○◎を使っていただいて貫通していただき、Kさんの拳も受け入れられる様になりました。
最初の出会いのときの想像を遙かに超えた経験と身体になりましたが、今思えば、この頃が私の人生で一番幸せだったのでしょう。
続きます・・