レズビアン体験告白
1:本物の感想
投稿者:
りん
◆NTo8OI54ww
2017/08/09 15:13:05(WIKoDawg)
2さんへまたまた丑三つ時の参上です本棚を見上げると、一番高いところに函入の澁澤の高丘親王航海記が鎮座してます。あのターメリックカラーの装丁は高僧の袈裟や高貴を連想させてとっても素敵。でも恥ずかしながら、積読なのです(完読したと見栄を張らなかった自分を褒めたい(笑))。セイゴーさんのお顔をお見かけしたのは随分前。白洲正子没後10年に際しての多田富雄さんの新作能の追悼公演で、中正面の一番後ろの席で腕組みなさってご覧になっていました。オーラがね、やはりおありになるのですぐに目に留まりました。セイゴーさんのイシス編集学校、受講しようかどうしようかその頃からずーっと保留しているんです。で、エロ話に戻る。>女性同士とはいえども>ネコの私からは>タチの彼女たちの気持ちはわからないのです。わたしは、いわゆるオフ会というのに2度程行ったことがあるのです。1回目は大箱、2回目は少人数。その2回目の時にタチの気持ちがわからん、と口に出したら一斉に「そうだよね~ わかんないよねぇ」とタチ気質の方々が同意してくれたのが印象的でした。女性同士のsexは二人経験があるだけですが、その二人とも、完ビではないのです。同性同士で肌を合わせることに抵抗がない、という感情にわざわざ理屈や原因を問う必要などないとは思います。が、あえて説明すると一人は異性との経験が30人程あるけど、男性に絶望していて女性を攻める方が興奮する、という人、もう一人は子供の頃男性に屈辱的な思いをしたことがある人で、異性との性交中退屈になってしまう人で、攻められるとどんどん乱れてゆく私を見て彼女達の心の中に自分が攻めることで相手を乱れさせたい、支配したい、という気持ちと同時に「自分もこんなふうに乱れられたらな~」という憧れ?みたいな気持ちも少しあったのではないか、ということがちょっぴり切なかったです。『わたしは彼女に何もしていないのに彼女が私を攻めるだけなのにそれなのに彼女は、イッテしまったから。』の彼女ですが、その時脳感覚だけでイッテしまったのかそれとも、わずかでもクリットなりに接触の刺激が加わったのかは聴いていないので、わからないのです。けど、まるで30階建てのビルの屋上から不意にバンジーしてしまった後のようなうなだれ方でした。顔色も表情も変わってしまうほどアップダウンが激しすぎたのか、イク自分を受け入れたくないのか、凄惨な様子でした。でもね、本当は彼女はね、イク時膣の中の入り口付近にざわざわっと100個ぐらい?の突起が出現するような、体に女性としての感度の良さがあるのです。でも、攻められるよりは圧倒的に9割9分攻めたい人でした。2さんは A感覚が発達してらっしゃるんですね。興味深い…私は未経験なのです。
...省略されました。
17/09/24 01:51
(MexTJitl)
りんさま、「2」です。積読の本の中には、買って十数年後に初めて目を通して買っておいてよかったというのもあるので、悩ましいです。気軽に捨てるのは、読んだけど面白くなかった、途中でやめた本、つまらない情報だけの本。何でこんな本を買ってしまったのかと購買衝動が明らかな本。松岡正剛の「空海の夢」は、司馬遼太郎の「空海の風景」のあとで読みました。あらためて、空海の詩(偈頌)はすごい。『五大に皆響きあり十界に言語(ごんご)を具す六塵悉く(ことごとく)文字なり法身は是れ実相なり』とか『六大無碍(むげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり』とか・・・。・・・・・で、りんさまの質問へのお答えです。『質問だらけですみません。ちょっとドキドキしますね。』ちょっとどきどきしますか?そういうところ、かわいらしいです。でも、わたしもそういう質問をするときは、やはり、どきどきします。『2さんは A感覚が発達してらっしゃるんですね。興味深い…』ある程度は発達しています。つまりとても気持ちいいのですが、わたしが希求するレベル、ここまで欲しいというところまでのA感覚の感度は残念ながらわたしにはないみたいです。クリでは逝けますが、お尻(anusもrectumも含んで)だけでは逝ったことがない。逝くには、クリの協力が必要です。そこが限界。アナルレズマッサージの動画で、する側がお尻が好きで(自身のお尻の感度もよくて)技術もとても優秀な人で(たとえば、加納綾子さん)、される側もお尻の好きな人で、そういう場合は実際に、このひと、いま、確かに、お尻で逝っちゃったなあ、という場面が、たまにあります。わたしにはその瞬間がわかる気がする。そういう場面を見ると、うらやましい。『2さんは、anusはお相手に対して、して差し上げたいだけなのですか?』したいし、されたいです。でもお相手が、わたしほどの興味をお尻に持っていない場合はむつかしい。するときには、お相手が、お尻でも気持ちよくなれるように穏やかに丁寧に時間をかけるし、お相手もその心地よさのお返しをしてくれるのですが、でもお相手が、クリやおっぱいに対するほどの執着を持っていない場合もあります。そういう場合は、相手からanusを舐めてもらっているだけで嬉しい、と思うようにしています。『外側だけの愛撫でらっしゃる?』外画も内側も、です。だからanusとrectumということになります。私にとって女性のanusは生きた美術品みたいなものです。放射線状におだやかにすぼまった外側を見るのも、そのすぼまったところを指で触るのも、舐めるのも好きです。そのとき少し内側に舌先を挿し入れるのも好きです。それが外側の愛撫。anusの周囲に広がるヒップのすべすべ感も好きですが、anusは中心部やその周辺を舐められると気持ちがいい。内側は、痛みのないよう、傷つけないように慎重にします。ベビーローションで柔らかくしたワセリンをお相手のanusに塗り、わたしの指全体にもそれをいっぱいつけて、anusの入り口やanusの少し内側を時間をかけて滑らかにします。そうされると、外側だけよりも、もっと気持ちいいはずです。気持ちいい、という声がお相手から漏れる場合もあります
...省略されました。
17/09/24 12:29
(nRcN4w7u)
2さんへなんか、交換日記のようになってきましたね。今晩のBSプレミアムはライプツツィヒバッハ音楽祭のミサ曲を延々と流しています。宗教音楽は、お声明もグレゴリオ聖歌も好きなので今宵は良い夜更けです。空海は、私にとっては書と和歌の人なのですが偈頌のリズム感と世界観、心地よいですね。そして、早々にエロ話(笑)2さんのお話を読みながらドミニク・アングルの「グランド・オベリスク」の、あの滑らかな背中に続く臀部を思い出しました。人それぞれなのだなぁ、と。>わたしが希求するレベル、ここまで欲しいというところまでの>A感覚の感度は残念ながらわたしにはないみたいです。あぁ、なるほど。なんとなくわかります。そうですよね、理想とする逝き方を目にしてしまうと羨ましいですよね。それに、逝くのって、実は段階がたくさんあって特に他者との性交で本当に大逝きするのは、結構難しいですよね。あ、飛べそう…と思う瞬間にほんのわずかなそれを邪魔する動きがあると低くしか逝けない、とか。でも、逝ったは逝ったなのだけれど…みたいな。A感覚へのご丁寧な説明、ありがとうございました。少し、理解できたように思います。私には想像の世界でしかありませんが、淫靡で繊細ですね。そして疑問に思っていた清浄のことも。心配があると、気が削がれますよね。私は、お潮を噴き上げてしまうのだろうなと思う前は、万が一にもお小水の可能性があったら嫌!と直前にトイレに行かせてもらってました。同じようなものですね。>お尻の好きなタチ傾向の女性がりんさまの前に現れると>りんさまはA感覚の虜になる可能性が高い、ということですね。そうですね。その場にならないとわかりませんが、可能性は高いかもしれません。私は、自分に同性で愛し合う素養があるとは意識せずに40代も半ば頃まで過ごして来たのです。数こそ挙げませんが男性経験は内容的にも普通以上にあり、いろんな意味で、レンジも狭くはないとも思います。膣の中で果てた後、そのまま中で回復するようなタフな人が相手の時は、4~5時間延々と性交したこともありました。もっとも、女性同士では長丁場は当たり前のことですが。そんなふうだったので、同性同士のきっかけは自発的にではありません。当時の唯一の親密な友達が仕掛けてきたので、それに呼応するように開いてゆきました。おそらく、私の場合は性交においての基本スタンスが惜しみなく与える、というところにあるのだと思います。自身が派手な快感を得ていたとしても。それが癒しを求める性交だとしても。同性においても、そうなのだと思います。だから、驚いたのです。自分の体のことを知らなかったことと、同性同士の性愛の深さに。以前は、女性が潮を高々と噴き上げるのはAVの中で何か作為があってスイッチを入れたら水が噴き上げているのだと思っていま
...省略されました。
17/09/25 02:12
(J67OGYmB)
「2」です。りんさまは夜更かしで仕事もお忙しいと思いますので、お時間のある時に目を通してください。『空海は、私にとっては書と和歌の人なのですが』書の手本になっている「風信帖」をわたしは書の手本というよりも(それは重要なそれとして)穏やかに喧嘩を売る手紙の見本だと勝手に思っています。風信帖は空海から最澄への「アッカンベー暖手紙」だと。空海にああいう手紙を書かせるとは、最澄もけっこうしつこいというかおねだりが過ぎるというか、密教のことをよくわかっていないくせに経典経典と、うざいなあ、読んでもわからないだろう、そんな背景があって、慇懃無礼なアッカンベーレターになったのでしょう。だからというのも変なのですが、りんさまの以下のような歯切れのよい啖呵風文体が気に入っています。正直なところ、この文体のファンです。『男の人が嫌いなわけじゃないけど黙って読むだけにしてほしいわ。当たり前のことなんだけど、男の人はさ。自分の射精への欲求を最終的に反故にしてもよい、なんて人はゼロに近いでしょ。そのぐらいの相手への思い入れがないとビアンのタチとは張り合えないのよね、正直なところ。ペニスの代わりはディルドでも、こぶしでもあるわけだからさ。』・・・・丑三つ時のお手紙のエロな部分への感想です。自身の身体や性に関して、けっこう知らないこと、気づかないことって多いのだ、ということに、今回の交換日記風で気づかされました。(1)潮『私の体はまるで出口に圧力をかけたホースのような勢いで何度も、何十回も、潮を噴き上げていました。』『私は、お潮を噴き上げてしまうのだろうなと思う前は、万が一にもお小水の可能性があったら嫌!と直前にトイレに行かせてもらってました。』これは、りんさまがそうおっしゃるので信じますが、あれはそういう気質の女性が感極まったときにするおしっこだと思っていました。あそこが驚くほど濡れる、興奮が昂進すると膣から白いドロッとした液体(ナチュラルローション)がでてくる、というところまでは納得できますが、それ以上はなにかまやかしがあるのでは、と。あれほどの勢いのある水分が、おしっこ以外にどこから湧いてくるのかしらと。と思いながら、りんさまのいちばん最初の投稿に戻ると『ニ人目の彼女はすでに経験豊富でベッドの上が湖になるくらい潮を噴かせまくるのが好きな人』とあって、最初読んだときはレトリックだと思っていたのが、どうもそうではないみたい、ですね。(2)フィスト『でもまさか丁寧に丁寧に毎日何時間も愛撫されたからといってその結果相手の望むように手首まで飲み込めるとは想像すらしたことはありませんでした。』うーん、これに関しては、わかりません。お相手は、彼女のフィストを飲み込んだ「りんさま」を観賞したかった。りんさまの「開く資質」を見抜いて、そうできるという自信があったのですね。わたしが、わたしの指が深く入ったお相手のanusを愛でるのが好きなように。(3)『清浄』とおしっこ『私は、お潮を噴き上げてしまうのだろうなと思う前は、万が一にもお小水の可能性があったら嫌!と直前にトイレに行かせてもらってました。』
...省略されました。
17/09/25 17:41
(wFskVVvJ)
2さん、こんにちわ風信帖、文字に現れるお人柄とか、時代性とか、美しさとかそんなことに気を取られていたので今迄内容を顧みることがなく、そんな内容でした?!と驚きました。この実物をご覧になったことありますか?若いころは書はモノトーンの世界だから印刷で十分と思っていたのですが出光美術館で拝見した際実物の放つオーラの凄さに立ち尽くしました。20年も前の話です。>正直なところ、この文体のファンですひゃ~ お恥ずかしや ( ;´Д`)人格丸出しですね。いや、男の人でもね。とても上手なsexなさる方、いらっしゃいます。暖数は少ないですけど。数パーセント…かなぁ…10人に1人は、いないなぁ…100人に5人、いるかなぁ…ペニスの硬さとか大きさとかが女性に与える快感に関係ないとはいわないけど、それが問題なる以前の愛撫のところが大抵の場合、残念。フィストの彼女なんて乳首だけで30分ぐらい、10回は逝かせてからようやく下半身に移りましたからね。世の中の男性たちは入れる前に正気を失うぐらい何度も愛撫で女性を逝かせておけば、もうあそこの大きさなんて関係なく挿入するだけで女性は逝ってくれるんじゃないかと思いますわ。なので、大きさにとらわれる気持ちがわからないではないけど未熟に思えてちゃんちゃらおかしい。そして、わたしも正直言ってお潮がお小水ではない、と完全には言い切れないのです。あれは未熟な小水だ、と書いてあるのを読んだことがあります。では、私にとって何が違うかというと、まず潮には色と匂いがありません。限りなく無色透明です。そして、普通の水よりも早く乾きます。そして、勢いが半端ありません。その上お潮を噴きまくった直後もトイレで普通にお小水は出ます。逆に、お小水に行きたいときにはお潮は出ません。なので、私にとってはお小水とお潮は別物なのです。感じたが故にきゅぅっと締まったところから出てくるんだな、と思うのはお小水の擬態語が「じょぼじょぼ」ならばお潮は「シャッ」という感じだからです。人にもよると思いますが、ベッドの上から壁面や天井まで届きそうな勢いの時もあります。自宅でしていた際、お相手が目測を誤って予想外の方向にシャッと飛んでいきそうになったのをまるで真剣白羽取りのように体の胸元とかタオルでばっと受け止められたこともあって。お相手が慌てたのがおかしくって最中にくすくす笑ってしまってました。わたしの場合は逝くタイミングで噴いてました。途中脱水症状になりそうになって水をごくごく飲んだりしてましたね。そのぐらいだと、少々タオルを引いても焼け石に水で、ベッドの上は直径1mぐらいの湖になっていました。(ラブホテルよ、防水マットをひいておいてくれてありが
...省略されました。
17/09/25 19:46
(J67OGYmB)
りんさま、「2」です。「風信帖」の実物は東寺で心ゆくまでゆっくりと、「聾瞽指帰」(漢字がこのサイトで出るかなあ)の実物は、どこかの空海展で人に押されて、しかし、高野山では独占状態でゆっくりと拝見しました。どうでも、いいことですが、ここでは特殊な絵文字や処理不能な文字は「暖」(あたたかい)という文字に置き換わるみたいですね。「アッカンベー「暖」手紙」がそうでした。「聾瞽指帰」が「暖暖指帰」になりませんよう。・・・『では、私にとって何が違うかというと、まず潮には色と匂いがありません。限りなく無色透明です。そして、普通の水よりも早く乾きます。そして、勢いが半端ありません。』この説明がいちばんわかる気がします。フィストの説明も、とてもよくわかりました。女性には赤ちゃんを産み出す骨と筋肉の柔軟性が備わっているのだから、しかるべき環境と心理的・肉体的条件がそろえばそうなれる。りんさまは実際にそうなった。それにしても、時間をかけてそこまでもっていったお相手の執念、思い、執着はすごいです。『「ふぃ、ふぃすとっていうのをしたいのですか?」と聞いたら「フィストってなんですか?」と。全部、入れたい。入るような気がする、と。』の、「全部、入れたい。」という思いの凄さ。わたしも、排泄物は、お相手のものも自分のものも好きではありません。どちらかというと嫌悪感の方が強い。だから、これからという場合はきれい(りんさま用語では清浄)になったと感じられる程度に前もって自分できれいにします。毎日、シャワー浣腸で中をきれいにしている女性もいらっしゃるそうですが、わたしにはそこまでは無理ですし、その必要もありません。『若いころおじさまにお小水飲ませて欲しいって言われて頑張りましたが、緊張して、なかなか出ないものですもの。』そういえば開高健の小説に、知的な若い女性のおしっこを浴びる、おしっこを飲む場面がたしかあったと思い出し、ページを繰ったらありました。その一節。『杯のふちに口をつけたら底までとことん飲み干さなきゃいけない。バッチイだの、不潔だのなんてことはここにはない。・・・「立って、立って」「たっぷりとございますわョ」「まんべんなくふりかけてくれ」「溺死なさらないよう」・・・淡い金色の飛沫がふりかかる。あたたかいその滴が、顔に、眼に、胸に、腹に落ちると、その点、その点から膚がとろける。不潔もなく、汚辱もない。・・・』りんさまは、結局、そのおじさまに、緊張でなかなか出ないのを克服して、おしっこを飲ませてあげたのでしょうか?わたしの想像のなかでは、『杯のふちに口をつけたら底までとことん飲み干さなきゃいけない。バッチイだの、不潔だのなんてことはここにはない。』という情景に落ち着きました。りんさまの文章には興味深い言葉が繰り返し現れます。「受容」「受け入れる」「開く」「です。受容する、受け入れる、心を開く、気持ちを開く、体を開く。肉体的に凸凹な関係のときに体を開くというのは分かりやすいのですが、そういうのではなくて、肉体的に凹凹な関係のときに、受け入れて体を開くこと。そういう場合は、体を開くことと心を開くことが同義語でりんさまは受容し、受け入れ、開き、相手を包み込み、そして、溶け始める。形而下のエロに形而上のエロが重なり、同居する。
...省略されました。
17/09/27 05:44
(Ps.nZha8)
こんにちわ!
今日は、鈴木大拙館行きました。
水鏡を見ていて、
ふと睡魔に襲われました。
気付きとは不思議なもので、
その一瞬の眠りの間に
新しい閃きや理解が訪れたりします。
ここは、日本人よりも白人の訪れる人が多くて、その上静謐で、不思議なところです。
そういえばfistの彼女が
濡れそぼった自分の手を見ながら
「中に入れていると、どんな傷でも治るような気がする」
と言ったことがありました。
ある意味、名言だと思います。
男性にとっての性は
女の私には測り知れませんが、
女性の性の多様性には
ため息の出る思いがします。
通常上記の彼女は
長年抑圧していた性欲の発露とばかりに
私を征服&独占することに執心し、
それを地で行くような生活をしていました。
けれど上に記した発言は
母胎回帰欲とも取れますし、
癒しとしての性の在り方とも思えたからです。
口が
食物を摂取し、
言葉を喋り、
呼吸をする役割を兼ね合わせて持つ器官であるように、
神様は性に
いろんな役割を持たせたのだなぁと感じます。
>文章には興味深い言葉が繰り返し現れます。
>「受容」「受け入れる」「開く」「です。
全く意識していませんでした @@
けれど、もしかするとそれは
逆説かもしれません。
相手を受容する以前に、
本当は
私自身が許容され
受け止められたいのかもしれないな、と。
代替行動の可能性もあるわけで、
その感覚が
依存心が根底にはないと断言出来もしないのですが、
give&takeなんて即物的な遣り取りではなくて
優しい気持ちのキャッチボールを
気の巡りや循環とでもいうような流れの中で
相互にしている感覚でいたいとは、
正直思うのです。
ちなみに「2」さんは、
私が自分のことをなーんも知らなかったのに
こんな一面があると知ったように、
お尻の快感をご存知なかった方を開眼させたことはおありですか?
もしくは
お相手が全くそれに興味がなくとも、
なんのわだかまりもなく
幸せに付き合い続けたことはお有りですか?
17/09/28 23:30
(Sp6GBInz)
りんさま、「2」です。
鈴木大拙館@金沢ですか。
りんさまは、神出鬼没ですね。
『ここは、日本人よりも白人の訪れる人が多くて、』
そうですか。彼は英語の著作が多いし。
大拙の著作で好きなのは、「仏教の大意」。
・・・
『fistの彼女が・・・・
「中に入れていると、どんな傷でも治るような気がする」』
は、うーん、と、うなづくしかありません。すごい言葉だな、と。
・・・
いただいたふたつのご質問ですが、こちらに対しては
別のニュアンスの、うーん。
お答えするのがけっこうむつかしい質問です。
お尻の快感をまったく知らない人を、その快感に
開眼させたという経験はありません。
わたし自身が一定レベルの快感までしか知らないので、
ということもありますが、お尻に興味のある人は
お話ししているうちになんとなくわかるし、わたしも
それとなく聞くので。だから、まったく知らなかった人、
まったく興味のなかった人を目覚めさせたという経験はない、です。
でも、まったく自分の潜在資質に気づかない人を
そうしてみたいという願望はあり、妄想は抱きます。
あるものを媒介とした目覚めと啓発のプロセスに対する妄想。
・・・
お尻に興味のない人が、かつて、いたとして、でも
わたしは『なんのこだわりもなく』というのはなくて、
お尻を見てもいい? まあ、きれいなお尻、
さっきお風呂入ったから触ってもいいよね、舐めてもいい?
と尋ねて、そのひとのanusを見る、すぼまりを
舐めるというところまでのこだわりはあって、でも、
そこを見て舐めるのは、お尻の近所の敏感なところを
見て舐めるのと同じことだし、そのひともそう
感じていると思った(お尻に対して特別な拒否感
のあるかたの場合はそうじゃないのかもしれませんが)。
わたしは、女性の「質感の柔らかさ」が好きで、それが
気持ちの底にあって、わたしにとっては、それを
感じられる場所はみんな同質です。
触るのも触られるのもとても気持ちがいい。
そういう意味では、わたしにとっておっぱいに触れる、
背中を撫でる、クリットを舐める、お尻(ヒップとanus)を
撫でる、足の指を舐めることの間に差はありません。
(anusがとくに好きというのはあるとしても。)
お相手から、体だけでなく、言葉も雰囲気も含めて
「質感の柔らかさ」が感じられたら、けっこう幸せです。
(そういうお相手じゃないとダメともいえますが。)
だから、裸でなくても、手をつないだり、指をからませたり、
くっつきあって話しているだけでも幸せなときは幸せです。
お恥ずかしい話、それだけで湿ってきたりもします。だから、
『なんのわだかまりもなく』というのではないけれど、
そういう場合はお尻やanusへのわだかまりやこだわりは
希薄。お尻に興味がある人ではなかったので、それ以上は
求めなかった。
なんか、わかりにくくてすみません。
では、また。
17/09/29 19:24
(Qo/tUmxo)
2さん こんにちわ
ご丁寧に説明して下さって
ありがとうございました。
なんとなくイメージが出来ました。
女性的にな心遣いの細やかさを感じます。
ふんわりとした
柔らかい肉体のありようと、関係性。
そして柔らかい交わりと。
ルノワールには
ピアノと女性とモチーフとした絵が何点かありますが
その中でもオランジュリー所蔵の
『ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル』を
連想してしまいました。
ピアノの先生の、椅子に伸ばしている右手が
生徒の肩にそっと置かれたら…なんてね。
でも、その半面
気性の激しい方や
怒髪天を衝くような怒り方をする人が
人並み以上に苦手、ということは
あるのでしょうか。
いや、そういう人を
むしろ好きと仰る方の方が
少ないでしょうけれど。
では、私の場合
「こういう人やシーンに惹かれる」と
説明しやすいシチュエーションとか
カテゴライズできるようなタイプとかあるかなぁと
想像を巡らしてみるに、
思い浮かばない、ということがわかりました。
強く強く求められないと、
心が動かないのかもしれないです。
そういう意味では、
私は積極的な同性愛者ではないのですが、
2さんはかんびでいらっしゃるのかしら。
17/10/01 19:12
(4FOqqRkP)
りんさま、「2」です。ご返事、ありがとうございました。ルノワールの『ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル』のお二人の女性は、裸の状態を想像すると、わたしには肉感的すぎます。(もっとも、それ以外のタイプの女性をルノワールは描きませんが。)りんさまのおしゃるように先生の手が生徒の肩に伸びたら、という想像はそれ以降の展開を考えると、とても刺激的です。再び「質感の柔らかさ」に戻ると、ルノワールの女性のようでなくても、スリムなかたや肉感的でないかたにも「質感の柔らかさ」は十分にありますし、わたしはどちらかというと、そういう質感の柔らかさのほうに引き付けられます。・・・『2さんはかんびでいらっしゃるのかしら。』わたしは「かんび」ではありません。(わたしは、こういう専門用語が得意ではないのですが、とりあえず、ここでは使います。)りんさまには及びもつきませんが、男性経験もあります。もともとビアン傾向があって、でも、男性とも、そうしないといけないと感じて経験して、でも結局、「質感のやわらかさ」の世界に戻ってきたというのが流れです。だから、女性の部分に男性のものが入ってくるときの感覚、凸で凹をふさがれる感覚も場合によっては嫌いではありませんでした。硬い身体の質感も、場合によっては悪くないとは思います。でも、わたしの好きな「質感の柔らかさ」が溶け合う世界とは別の世界です。・・・『でも、その半面気性の激しい方や怒髪天を衝くような怒り方をする人が人並み以上に苦手、ということはあるのでしょうか。』人並み以上ではないかもしれませんが、人並みに、苦手です。得意ではありません。・・・この『気性の激しい方や怒髪天を衝くような怒り方をする人』ということですが、りんさまのお相手だった二人の女性は気性が激しいというか、それぞれ激情的なところのあるかただったみたいですね。りんさまに潮を吹かせずにはおかない、りんさまのあそこに手を全部を入れてしまわないと気が済まない(気持ちの底に、「中に入れていると、どんな傷でも治るような気がする」という思いがあったとしても)そして、りんさまも、そういう激情型の思いを持ったお相手、強く求めてくるお相手(だけ)には、防御壁が溶けるように反応していく。ネコとしての資質が開いていく。求めを全部受け入れ、開き、そして与える。だから、『お尻の快感をご存知なかった方を開眼させたことはおありですか?』の、対象にりんさまを想定すると、次のようになります(わたしの妄想では)。あなたをお尻で逝かせたいの、あなたにお尻で気持ちよくなって欲しいの、そうさせてほしいの。お尻の気持ち良さをまだ知らないでしょう。教えてあげる。ねえ、お尻で逝って。あなたをお尻で逝かせたい。お尻の汚れが気になるのだったら、浣腸してあげる。何回も浣腸してきれいにしてあげる。恥ずかしい?でも、慣れたら浣腸も気持ちいいものよ。中がきれいになったら、快感の波にためらいなく乗っていけるわ。さあ、お尻をよく見せて。きれいなanusだわ。舐めさせて。舌、入れるわね。気持ちいい?動かないで、じっとしてて。今度は指よ。ここ、気持ちいい?こっちはどう?クリットもいっしょに舐めてほしい?どう、気持ちよくなってきた?・・・さきほど、お相手が『気性の激しい方や怒髪天を衝くような怒り方をする人』だったようだと書きましたが、これは、りんさまの性格の一部でもあるのでしょうか?つまり、受け入れ、開き、与えるのだけれど、とても気性の激しい部分をかかえたネコさんとしての、りんさま、
...省略されました。
17/10/03 18:03
(y0rvtmZf)
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