私には未婚の母と双子の姉がいます。
母は18歳で二つ年下の高校生と付き合っていて、その年に私たち双子の女の子を宿し、私たちは生まれました。
母はその彼と一緒になることをせず、彼(私たちの父)の前からいなくなったと、小さな時から口癖のように言っていました。
若かった母は、水商売で得たお金で私たち姉妹を育ててくれました。
今も思い出すのは、小さなアパートに男の人を呼んで隠れるようにして、身体を売っていました。
厭らしスナックの雇われママと売春婦、そんな母でも私たちにとっては唯一の肉親です。
母には両親・兄弟・姉妹が居ると聞いていますが一度も会った事はありません。
だから、母は私たちにどんなことがあっても、優しく接してくれました。
私たち双子の姉妹は、二卵性双生児で小さな時はよく顔立ち・容姿・性格がよく似ていて、よく間違えられました。
しかし、10歳になった春に私たち双子の姉妹は同時に生理を迎えました。
母は、モジモジしている私たちに生理用品と生理用のショーツを買ってくれました。
初めての生理にナプキンやタンポンの使い方を、自分の身体を使って教えてくれ、男の子との付き合い方やセックスの仕方など同級生の知らないような性教育をしてくれました。
10歳の秋、姉の香織がおたふく風邪になりすぐに私にうつりました。
この時には、母が急いで大きな病院に連れて行ってくれて、大事にはならなかったそうですが、その時からいつも私たち姉妹は母と一緒にダブルのベッドで寝るようになりました。
その頃、母には歳の離れたお金持ちの彼が出来、自分のお店を持つことが出来たようです(今も、そのお店はあり、陰で売春もしているようです)。
母の彼が、突然の病に倒れたのは私たちが中学に入った年の夏でした。
お葬式にも参列させてもらい、初めて母の彼の遺影を見ることが出来ました。
亡くなった母の彼の兄から、たくさんのお金とお家をもらいました。
自分が、もう死ぬ事を覚悟できていたおじ様は、母と私たちが不自由なく暮らせるようにと残してくれたそうです。
母が30歳を過ぎた頃から、趣味が変わってきたようです。
これまでは、私たちを育てるために自らの身体を売ってでも(買春です)生きてきていましたが、その頃から二十歳そこそこの女の子を、お家に呼んで一緒に生活しだしました。
一人ではなかったようです。
多い時には5人位いたようです。
そんな母でも、私たち双子にとって唯一の肉親でしたし、すきでした。
私たち双子が女子高校に入学した時から、また母の趣味が・・・。
これまで一緒に住んでいた女の子の中から、一番若い子(18歳だと思います)を残し、2人を独立させました。
残ったお姉さん:若菜さんは母にキッチリとレズの教育を受けていました。
私たち双子を自分の妹の様に可愛がってくれ、それからは母と同様に愛してくれました。
1年生の夏休み、寝苦しかった夜。
私も、姉の香織も寝付けずに悶々としていました。
汗をかいたのでシャワーで、汗を流していると同じように香織もシャワーを。
後ろから姉・香織に胸を触られ、大事なアソコにも手が。
しばらく、香織が好きなように私の身体を弄んでいましたが、いきなりのキス・・・ディープ・キスでした。
舌を絡ませながら唾液を交換し合い、この行為でより感じてしまいました。
香織のお部屋のダブルベットの上で、お互いの身体を弄り合っていると、いきなり母と全裸で腰にペンスバンドを着けた若菜さんが入ってきました。
私たち双子の愛し合って悶えて出した声を聞いて、いつもの様に愛し合っていた母と若菜さんが私たちに、女の子同士の良さを教えようとしてきたみたいです。
初めて見る二人の行為に、目が点になりました。
若菜さんのペニスバンドのペニスをいとおしむ様に、母はフェラし・若菜さんは母の豊満な胸を揉んでいました。
香織は母の股の中に潜りこみ、母のオマンコを舐めはじめました。
私は背後から若菜さんの胸を掴み・・・。
どれくらい時間が経ったのか分かりません。
私のオマンコに母の持った大きなバイブが、姉のオマンコにはバックから若菜さんのペニスが。
夜も明け、雀の鳴き声が聞こえる時間になっても4人で、女同士の淫らな行為が続きました。
夏休みが終わる頃には、香織もあゆみも立派なレズビアンになりました。
2学期が始まり、女子校の仲の良いお友達もレズの仲間に入り、2年生になった今では、母と若菜さんを含めて、8人で女同士の楽しみを感じています。
じつは、香織も私も男の人とは1度も経験がありません。
多分、このままずっとですね。
怖いくらい、女の子が好きな私たちです。