神様は……
あなたであり、そして私です。
いつかお互い、神様になります。そして消滅します。
仏陀は神ではありませんが、無能な弟子たちにこう教えたと言います。
「人間は苦しむために生まれ、生きるということは苦しむということなのだ」と、
それ故「死」は悲しむべきことではなくむしろその者にとってはようやく安らかな時がおとずれたのだ、と。
ただ、こうも言います。
「人生は悪いこと、悲しいことばかりだという人がいるが実は悪いことと同じだけ良いことがあるものだ。それと気がつかないだけでね」と、
朝、目覚めて飲む一杯の水、鳥の囀りを聞き心地よい風を感じ木々の葉の香りを嗅ぐとき、このような幸せに見合うだけの悪いことや悲しみ、苦しみを捨て去り、忘れなさい……と、
釈迦が北枕でまさに今弟子たちに囲まれて入滅しようとするとき最後の教えを説いたと言います。
「よく聞きなさい。今から私はこの世から消えて居なくなるが決して嘆き悲しみ大く盛大な葬式などをしてはいけないよ。それこそが私の悟りと教えから最も外れたことなのだ」と、
そして静かに息を引き取ったと言います。
残された弟子たちは大いに嘆き、悲しみ、それを癒すためにきらびやかに飾り立て何日も何日も盛大な葬儀を行いました。
長く釈迦の弟子としてたくさんの教えを受けながら、その弟子たちは誰一人として釈迦の悟りを受け継ぐことができなかったんです。
仏陀がこの世を去った時、仏陀の悟りも消滅をしたのです。
現在の仏教が「葬式仏教」と揶揄される所以です。
ゴータマシッタールダ……インド北部のシーキャ王国の王子に生まれた彼は何一つ不自由なく過ごす少年期に遊びから戻った彼の足を洗う同じ年頃の奴隷の少年を見ながら疑問を抱きます。
「人間は生まれながらに階級が決められている。王の子は王子に生まれる運命であり、奴隷の子は何度転生しても奴隷として生まれるというのは本当なのだろうか」と。
死後の世界は本当に教えの通りの世界なのだろうか……と、
そして彼は一切の家督を弟に譲ると書き置きを残しボロ布一枚を纏い裸足で杖をついて悟りを得るための修行へと一人旅立つのです。
様々な槌行苦行を重ねますが彼に答えは訪れませんでした。
彼が最後に行った行は「断食の行」でした。
菩提樹の下で座禅を組み、何日も身動きもせず静かに瞑目を行いました。
その脇を毎日山羊の乳を絞りにいく村娘がいました。
娘の名は「スジャータ」
毎日痩せ衰えていくシッタールダを見ては心配をしていましたが、ある朝シッタールダが餓死をしているのを見つけるのです。
スジャータは抱えていた乳粥(オートミール)を持って走り寄るとシッタールダを抱き起こし絶命した彼の口に懸命にそれを流し込みます。
「シんではダメです。あなたはこの世とあの世の真実を求めているのでしょう!そのあなたが居なくってどうするのです。戻ってきなさい!戻ってきなさい」と、
すると絶命ししていたはずのシッタールダが薄く目を開けたのです。
シッタールダはこのとき、あの世とこの世を往復した唯一の人間となりました。
そして悟りを得たのです。
「天上天下唯我独尊」(この世に真実を悟るものは我ただ一人)
この釈迦の言葉を「私こそが世界で一番偉いのだ」と間違えて解釈されることが多くありますがそらは全くの誤解です。
彼は生き返ったことによって安らぎを得られず苦しみの世界に戻ったのです。
それはどんな槌行苦行よりも苦しいものでした。
そしてこう教えました。
「色即是空空即是色」
この世に見える全てのものは空しく、そのむなしいものがあたかも現実に有るかのように見えているだけなのだ……と。
「あの世など……なかった。ただ無限の無が永遠にあるだけだ」と。
つまり、夢を見ずに眠っている状態があるだけなのだと。
喜びも悲しみも、富も空腹もただ空しく、みな等しく行く先は同じであった……
だからこそ、命ある限り人として自分にも他人にも誠意を持って生きなさい。まばたきの如く短い人生を大切に、心豊かに生きなさいと教えたのだと思います。
拝めば幸せが、とか、金がわくとか、病気が治るとかそんなくだらない事は一言も言わなかった。
むしろ、そのような物を求めることこそが私の悟りから最も遠いところにあるものだよ……そう教えたのです。
女を抱くなとも、生き物を食うなとも言わなかったを酒を飲むなともね。
いつか、悟りの世界へと旅立つからこそ……
自分にも、誰かをも幸せにして生きていたい……
なあ~んてな(*^^*)
ご静聴有り難うございましたあ~
優美、起きてまとわりつてるのでまたね
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