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2023/03/11 18:44:43 (z/1TQqJl)
もう、10年以上昔ですが、結婚するつもりで、元カノと同棲してたこ
とがあります。
場所は仙台市でした。
付き合い始めたのは私が23歳、元カノが21歳、凄く惹かれ合って、出
会って2週間後には枕を交わしていました。
裸でベッドで向き合った時、元カノが、
「私、短大の時に彼氏いたから、その、初めてじゃないんだ。」
と言ったから、私も正直に、
「大学の時、2人の女性と付き合ったから、君は3人目になるよ。」
と言いました。

あえて2人の「彼女」と言わず、「女性」と言ったのは、大学1年の時
の初体験の女性は、40歳の人妻で不倫で、1年半、下半身を弄ばれま
した。
19歳の童貞が、セックス慣れした40歳の熟女に手ほどきを受けたので
すから、完全に下半身を囚われてしまいました。
私が誑かされたとはいえ、彼女とは呼べそうにありませんでした。
大学3年で付き合ったのは、今度は真逆で高校2年生の女の子でした。
この子は彼女と呼べます。

私は、元カノが最も年齢の近い付き合った女性だったのです。
年が近いと話題も合うし、凄く気が合う感じがしました。
もう、この人しかいないと裸で抱き合い、ディープなキスして、お互
いの性器を舐め合い、最初のセックスから生で激しく愛し合いまし
た。
ホテル代がもったいないからと、学生時代から住んでるお互いの安ア
パートで励みました。
お互い社会人になったばかりだったし、仕事してるから平日に会うの
は難しく、週末どちらかのアパートにお泊りしてセックスに励みまし
た。

ロクにデートもせず、土曜の午前中からギシギシアンアン、午後も夕
方も夜もずっとセックスしてました。
日曜の夕方、じゃあねとアパートの玄関を出るのが寂しくて、二人で
アパートを出て、駅前で別れました。
そしてそれぞれが自分のアパートに帰り、干してあった洗濯物を畳み
ながら、私はテレビで笑点を見ながら、楽しく気持ちいい土日が終わ
った寂しさに包まれていました。
だから今でも笑点を見ると、あの頃の気持ちが蘇ってしまいます。

そんな週末を過ごすうち、同棲すれば毎日会えることに気付き、長年
住んだアパートを出て、古いけど少し広めのアパートを借りて、結婚
生活の予行演習をしました。
朝、一緒に手を繋いで駅まで歩き、私は仙台市中心部へ、元カノは多
賀城市方面へ向かう電車に乗りました。
メールでやり取りして、先に帰る方が夕食の買い出しをして帰りまし
た。
アパートは、リビングと寝室を分けられる広さがあったけど、古いの
で、それまでそれぞれ払っていた家賃の総計よりずっと安くなりまし
た。
結婚に向けて貯金もできて、毎晩セックスできて、楽しい同棲生活で
した。

土日は、デートに出かける日もありましたが、天気が思わしくない
と、一日中素っ裸で、チチクリ合って過ごしました。
元カノの乳首を弄ってたり、元カノにタマタマを揉まれたり、元カノ
のクリを弄ったり、元カノに亀頭を弄られたり、そのうち我慢できな
くてセックスが始まりました。
シャワーで汗を流して戻ると、リビングでくつろぎますが、元カノの
オマンコが目に入ると我慢できなくて、広げて舐めたりしているう
ち、元カノが我慢できなくなって跨られました。
とにかく、お互いの性器が大好きで、弄ったり萎えたりしてると、若
いからすぐ復活して、土日だけでも10回以上セックスしてました。

そんな同棲生活が間もなく2年を迎えようという3月のある金曜日、建
設系の仕事をしていた私は、ある工事現場にいて、強烈な揺れに見舞
われました。
東日本大震災・・・咄嗟に多賀城市にいる元カノが心配でメールしま
したが、返事はありませんでした。
元カノは、営業で社用車の軽バンで仙台市内にいて、急遽帰社したも
のの、元カノの会社は海の藻屑と消えていました。

私も元カノも自宅待機となり、何とかアパートまでたどり着いたとき
はもう夜でした。
アパートの家具は地震対策してたので倒れてはいませんでしたが、中
身が散乱していました。
数日後、元カノの会社は十数名の犠牲者と社屋喪失で廃業が決定、元
カノは失業して落ち込んでしまいました。
更に原発事故、私は福島(内陸部)の出身、いてもたってもいられま
せんでした。
そして同棲解消決め手は、震災の数か月後、お盆明けごろに出され
た、同棲している古いアパートの半壊認定でした。
このまま住み続けることは不可能、元カノも次の仕事が見つからない
でいたこともあり、私たちは同棲を解消し、元カノは岩手、私は福島
のそれぞれの実家に戻ることにしました。

私が仙台を去ったのは、震災だけでなく、原発事故を受けて除染が必
要となり、福島の建設業が深刻な人手不足となったからです。
実際、私の勤務してた会社にも福島の会社から応援要請が来てたの
で、私が手をあげ、会社を移籍する形で帰郷しました。
家具などはハードオフに持ち込み、引っ越し荷物は単身パックで収ま
る程度にして、アパートを出ました。
震災以降、セックスの回数も減っていた私たちは、最後にお別れセッ
クスをして、お互いの体液を身体に付着させたまま、最後のキスをし
てアパートの玄関を閉めました。

「暫く、冷却期間だと思って、それぞれ頑張ろうや。元気でな。さよ
なら。」
「うん。いつかまた会えるかもしれないからね。それまで元気でね。
さよなら。」
被災した後の冷却期間だみたいなこといって、お互いの連絡先を消さ
ずに別れたけど、本心では、もう一生会うこともないし、連絡するこ
ともないとわかってました。
岩手と福島、これだけ遠く離れたら、もう会うこともないでしょう。
仙台駅新幹線ホーム、私は上り、彼女は下り、エレベーター前で別れ
ました。
二人とも、涙が止まりませんでした。

最後のお別れの言葉は、元カノから、
「元気でね。」
そして私が、
「今までありがとう。」
だったのを今でも覚えています。
先に、元カノが乗る新幹線が入選してきて、手を振る元カノを乗せて
走り去りました。
元カノを見送った私は、その後入線してきた新幹線に乗り、帰郷しま
した。
福島まではあっという間、席には座らず、ドアにもたれて泣いていま
した。

あれから、今年で12年が過ぎようとしています。
今年、私は38歳になります。
私はあれから、震災復興に従事しました。
除染に人手を取られる中、必死で頑張りました。
必死で頑張ることで、元カノの事を考えずに済むからでした。
非ssに頑張る中、私を慕ってくれる女性が現れ、元カノの時のような
燃え上がる恋ではありませんでしたが、穏やかな恋愛をしました。

帰郷して2年、その女性との結婚話が持ち上がった頃、元カノからメ
ールが届きました。
「私、来月お嫁に行きます。」
「そうか。良かったな。おめでとう。俺も、結婚したい女性が出来た
よ。お互い、幸せになろうな。」
と返しました。
それが、元カノとの最後のメールでした。

元カノと別れて数年後にガラケーから替えたスマホ、先日、5G対応
機種に替えました。
その時、移行するデータの中に、元カノの連絡先を見つけました。
今は届くかどうかさえ分からない連絡先でしたが、消さずにそのまま
移行しました。
なぜなら、お互いとっくに結婚しましたが、私と元カノは、長く続く
冷却期間だからです。
私の中では、元カノは、2年間一緒に暮らしたから、元カノではな
く、元妻のような感覚があります。
だから、元カノとは、まんざら赤の他人って感じがしないのです。
遠く離れてで暮らす、家族のような感じなのです。
いまでも、そして、きっとこれからも・・・
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2
投稿者:(無名)
2023/03/12 15:17:08    (nVy7OLkc)
時の経つのは早いもので、12年過ぎて、それでも忘れられんないんだね。
震災が引き裂いた愛は、たくさんあるからね。
俺も同じだよ。
大切な人と遠く離れた。
この季節になると思い出すよ。
3
投稿者:(無名)
2023/03/31 12:56:26    (oUpxkGoB)
震災やコロナで引き裂かれた恋人達って、たくさんいるよね。
俺も震災が元で破局したから、この話はよくわかるよ。
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