2024/06/17 17:41:14
(jprJSA30)
多分、話題としては、ここが一番なのかな?
今では50歳を過ぎてしまいましたが、私には旦那には言えない過去
があります。
家が貧しくて、父は蒸発し、母はその影響からか働けずに、
お酒を飲んでばかりの日が小学生のころから続きました。
幼かった弟は叔母が引き取り、私も叔母の家に連れて行ってもらうは
ずが、
母の強硬な反対によってダメになりました。
叔母も数年間粘ってくれたのですが、母がどうしても私を連れ出され
ることに、
大暴れまでして反対しました。
日頃は母の八つ当たりで体中がアザだらけになり、母に指導員が面会
に来ることもありましたが、
その時は正気になっていて、保護されることはありませんでした。
中学に入学してから、家に帰りたくない私は、事情を知っている友達
の家を転々としていた時期がありました。
ある友達の家で、その家はすごく放任的で、特に友達のお兄さんの友
達たちがたむろしているような家でした。
そこで知り合ったのがAさんでした。
Aさんは4歳年上で、すごく優しく接してくれていて、私は好きにな
っていました。
Aさんに会いたくて、その友達の家に私も入りびたるようになりまし
た。
そして、告白して、その日のうちにAさんの家に連れていかれて、初
体験も済ませました。
Aさんのご両親も私の事情を汲んでくれて、しばらくAさんの家から学
校に通っていました。
毎日のようにHして、女としての喜びも感じられるようになっていま
した。
ある日、友達の家にいると、Aさんの友達に押し倒されて、そのまま
されてしまうと、
次から次へと男の人たちが現れて、結局出入りもあり、何人か分から
ない男たちにされてしまいました。
その日はさすがにAさんの家には行けずに、自宅に帰りました。
変わらずお酒臭い家でしたが、母の態度が怖いくらい変わっていまし
た。
八つ当たりもなく、それまで自分で用意していた夕飯もレトルトとは
いえ、母が用意してくれたので、
気持ち悪ささえ感じました。
次の日の学校帰りは母に対しての嫌悪感もあり、Aさんの家に泊まり
ました。
ただAさんの顔をまっすぐに見ることが出来ませんでした。
汚された女というのが、無意識にありました。
それなのにAさんはそんな事も知らずに私を抱いてくれました。
高校進学の事もあり、母と三者面談で学校に行った時でした。
なんだか普通でもおかしい母の様子に、さらに落ち着きを感じられま
せんでした。
学力的には中堅校も行けましたが、家庭指導員が頻繁に訪れてくる家
庭環境もあり、
少しレベルを落とさないと厳しいかもと進路指導の先生から母がまる
で叱られているような感じで言われていました。
帰りは母の八つ当たりがすごく、私は一度自宅に帰ったものの、Aさ
んに会いたくなり、Aさんの家に行ってから、
留守だと知ると、友達の家に行きました。
そこには私を無理やりした男たちもいました。案の定、また無理やり
されてしまいましたが、
その時の私はどうにでもなれと思い、されるがままにしていました。
しばらくしてからAさんにそのことがばれて、Aさんの家を出ていかざ
る終えなくなりました。
そこから体だけを頼りに、無理やりした男たちの家を転々と歩いてい
ました。
高校は三者面談の時よりもさらに下のランクの高校に受かりました。
中学の卒業式が終わり、しばらくしてから父親不明の妊娠が発覚しま
した。
友達たちと責任を取りたくない男たちから巻き上げたお金でおろしま
した。
責任を取りたくないのに、欲望にまみれた男たちの家を転々とまたし
ているうちに、
高校を辞めました。
母の様子を見に行ったときに、家に全裸でボロボロの母がいました。
大体察しがつきましたが、事後ではどうすることも出来ませんでし
た。
そうなったのは私のせいだと言い張る母に、
その場で勘当というか、縁を切るとはっきりと言われました。
持てる荷物を持って、私は家を出ました。
そんな私を男たちは放っておくわけがありませんでした。
保護すると言いながら、私の体を弄んでいくのです。
体中に卑猥な言葉が書かれたこともありました。
目隠しされて、何本も男性のを咥えさせられて、誰のか分からない
と、
容赦なく私の中に出されたりしたこともありました。
お尻もその時期に自分の意思関わらずにされてしましました。
そういう生活から抜け出したくて、住み込みのアルバイトを見つけた
ら、
オーナーさんの性欲処理もさせられ、自分というものの価値が分から
なくなっていました。
ただこの生活はお金を最低限しか使わなかったので、お金は貯まって
いきました。
18歳の誕生日の直前に、私とオーナーさんの関係に気づいてくれた
常連さんがいました。
また男だからと信用していなかったのですが、その人が「出ていった
方が良い。」と忠告してくれて、
都内の知り合いにも話してくれ、私は上京しました。
常連さんの知り合いの方が家賃交渉までしてくれた部屋に住むことが
出来ました。
まだバブルだったので、10代で何も知らなくても就職することが出
来ました。
それでもまだ男性不信を払しょくすることが出来ませんでした。
社長の奥さんにアドバイスを受けて、定時制高校に通うことになりま
した。
定時制高校と言うと、柄が良くないと言うイメージを持っている方も
いらっしゃると思いますが、
私が地元でつるんでいた人たちに比べたら、ものすごく良い人たちで
した。
先生だけでなく、同級生たちも様々な人たちがいましたが、少しずつ
信用できるような人たちと会うことが出来ました。
無事に高卒になれた後、また奥さんからのアドバイスで「何年かかっ
ても良いから」と夜間の大学に通うことになりました。
学費の一部は社長さんご夫婦が出してくれました。
夜間の大学(二部)に通っていた同い年の同級生が旦那になります。
大学卒業後に私たちは結婚しました。
結婚式には、両親の代わりに社長さんお夫妻に参列していただきまし
た。
家族が中心のこじんまりとした式と披露宴だったので、私は恥をかか
ずに済みました。
この時代、寿退社が主流でしたが、私は仕事をご夫妻が引退されるま
で続けることにしました。
子供が出来るかどうか不安だったのですが、無事に二人の子供にも恵
まれて、
二人とも社長ご夫妻に抱っこしてもらうことも出来ましたが、
6年前に社長さんが他界したことで、奥さんもあまり出社されなくな
りました。
すでに社長さんの息子さんたちが会社の切り盛りをしていたこともあ
り、任せていたこともあるのですが、
私みたいな古参には少し居づらくなっていました。
それから1年くらいして、奥さんと二人でお話をしていた時に、
「私が引退したら、どうする?」と聞かれて、「私も会社辞めま
す。」とはっきり伝えました。
「生活は大丈夫?」と聞かれて、主人の稼ぎだけでなんとかなる事も
あり、
安心していただけることを話しました。
昔と違って、私もお金には困らないと言うと、大袈裟ですけど、衣食
住には困らない程度の生活は出来るようになりました。
そのお話があってから、半年も経たないうちに、年度末があり、
奥さんは正式に仕事から引退することになりました。合わせて、私も
仕事を辞めて、今では専業主婦になりました。
上の子はすでに就職し、下の子もあと2年で大学を卒業です。
母が出来なかった親としての責任を果たすのが、私をさんざんにして
きた人たちへの見返しなのです。
奥さんとは今でも定期的に連絡を取り合い、お会いさせていただいて
います。