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※感動した話、不幸な話、嬉しすぎて泣ける!などなど

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2024/09/28 17:12:04 (OW5.2f2V)
定年も見えてきた俺、ある地方都市に出張って欲しいと言われ、俺が手を
挙げた。
「済まないが、頼むよ。」
まあ、ちょっとしたことで頭を下げに行く役どころでみんな嫌がってた
が、それなりのポジションの者が行ったほうが良いし、それに、その地方
都市には別件で用事がった。
わざわざ行くことはなかったが、仕事で訪れるなら、一泊して、訪ねたい
ところがあった。
俺は、その地方都市に向かうために、新幹線に乗った。

遠い昔、最初の結婚をした。
まだ若かった二人は、毎晩若い性欲をぶつけ、愛し合った。
毎晩30分近く若い元妻のオマンコを舐め、舌をマン穴にこじ入れ、愛液を
啜った。
クリを吸い、皮を剥き、中身を舌先で転がした。
真珠のようなクリは辛く尖り、舐めれば舐めるほど身を捩り、普段見せな
い淫らな姿を晒した。
若い女が男の前で、ガバッと股をおっぴろげ、恥ずかしい穴を丸見えにし
たのだから、夫婦とは言え、元妻は相当恥ずかしがっていた。

そんな元妻のオマンコを味わうこと1年半の頃、そろそろ子どもをつくろ
うと言うことになり、毎晩元妻のオマンコの奥深くに中出し三昧を楽しん
だ。
愛しい女のオマンコの奥に、射精するときの幸せな快感、元妻も俺の精液
を欲しがって、オマンコを蠕動させ、一滴のこらず搾り取ろうとして、愛
し合う二人の子作りが繰り広げられた。
毎晩中出しするから、クンニは憚られ、前夜の残渣が残るオマンコにニュ
ルンと入れて、ドクドクと出しまくった。
逆流しないようにティッシュで穴を塞いでいると、元妻は再び感じて、
「もっと出して・・・」
と結局二回戦で、ヌルヌルのドロドロ、体液まみれになった。

やがて子供を授かり、元妻は出産のために実家のあるあの地方都市へ里帰
りした。
数日後、その頃手にしたばかりだった携帯電話が鳴った。
義父からで、もう生まれたのかと思ったら、元妻、暴走した車に吹っ飛ば
されて、お腹の子ともに亡くなった。
結婚して2年半、元妻はまだ26歳だった。
葬儀を終えた後、元妻の実家に泊めてもらい、翌日、義父母と義兄夫婦に
呼ばれた。
うなだれる俺に、義父が口を開いた。

「娘をそこまで愛してくれて、ありがとう。娘も、幸せだったと思う。出
産で娘を預かったのに、無事にお返しできなくて申し訳ない。だが、君は
まだ若い。これから先、娘の弔いは身内でやるから、もう、関わらないで
欲しい。」
「えっ?」
「四十九日も、一周忌も、来ないで欲しい。君が来ると、娘が成仏できな
いから。君は、娘のことは忘れて、新しい幸せをつかんで欲しい。」
そう言われて、元妻の実家を出て、帰京してきた。
元妻の荷物、一つひとつまとめ終えたら、一言お別れの言葉をしたためた
手紙に元妻が微笑む写真を添えて、元妻の実家へ送った。
元妻のことを忘れることはないけど、元妻の分まで幸せになれるように、
男30歳、もう一度前を向いた。

そして、今の妻と知り合い、22年前、俺33歳、今妻28歳で再婚、今年、上
の子が二十歳になった。
今妻は、元妻の悲劇を知ってるから、今回の出張先が元妻の実家がある町
だと言うことも、俺が、元妻のはkを参るであろうことも薄々気が付いてい
た。
出張先で一仕事を終え、その日は街なかに取ったホテルに泊まり、四半世
紀ぶりに訪れた元妻の故郷の居酒屋へ入り、元妻の分もコップを貰い、二
人で呑んだ。
「短い付き合いだったが、間違いなく家族だった。まあ、一杯やれや…」
隣に、元妻がいるような気がした。
「俺が駆け付けたときには、もう、口をきけなかったから、お別れ、でき
なかったな…」

翌日、遠い記憶をたどり、元妻の実家に行ってみた。
訪ねることはしなかったが、おぼろげに懐かしさを感じた。
歩いて、元妻の菩提寺に行き、元妻の墓を参った。
25年ぶり、元妻に線香を手向け、生花を供えた。
墓誌には、義父の名もあったが、義母はまだ健在のようだった。
手を合わせ、俺は再婚して、子供が二人生まれ、幸せになれたことを報告
した。
「お前の分も、幸せになれてるかな…お義父さんに来るなと言われたけ
ど、その報告に来たよ。もう一度、来ることはないけど、安らかに眠れ
や…」

元妻の眠る墓に背を向けたら、
「昨夜はごちそうさま…」
と聞こえて、驚いて振り向いたけど、そこには線香の煙が立ち上るだけ
で、誰もいなかった。
「お前、やっぱり昨夜、隣にいたんだな…じゃあな…」
ひととき、元妻と再会できたような気分になり、少し涙ぐんでしまった。
やっぱり、まだ元妻を愛しているんだなと、今妻とは違う形の愛に気付い
た。
元妻と暮らした2年半が、遠い昔になったことをしみじみと思い、帰路に
就いた。

帰りにも元妻の実家の前を通ったが、だいぶご高齢のお婆さんが玄関先で
日向ぼっこしてて、通り過ぎる俺に、
「はい、こんにちは・・・」
と声をかけたから、
「こんにちは。」
と挨拶を返した。
まさか、元義理の息子だとは思わなかっただろう。

今回の墓参りは、元妻への本当の意味でのお別れでもあった。
もう、関わらないでくれと言われつつ、元妻との結婚記念日には、毎年、
思い出の公園に行ってた。
あの公園で出会い、あの公園でプロポーズした。
もし、いつか元妻の墓参りに行けたなら、その日を最後に、結婚記念日の
儀式は止めようと思っていた。
今回、それが実現したから、もう、元妻のことは、忘れようと思う。
俺は、今の家族のことだけを考えて、残りの人生を生きていこうと思う。
だから、元妻にサラバと言おう。
6
2024/08/24 18:36:49 (/UK7pmOp)
ずっと忘れられない元彼と別れて10年の日に、ちょうど最後のお別れ
をした時間に、お別れをした公園に行ってきました。
さよならをした藤棚の下のベンチに座って、元彼元気かなって思って
たら、元彼と再会しました。
「お前も来てたのか・・・」
元彼も10年前を思い出して、10年の節目にもう一度公演を訪ねて、私
にお別れを言って気持ちを整理するために来たって言ってました。
元彼、結婚するそうです。
私はもう結婚してるけど、やっぱり元彼のことが忘れられなくて、ケ
ジメつけたくて来ました。

少しだけお話しして、
「それじゃあ、元気でな。さよなら。」
「幸せになってね。さよなら。」
10年前と同じように、それぞれ反対側の出口に向かって歩き出し、公
園を出るとき振り向いて、手を振ったらもう振り向かずに歩きまし
た。
10年前のことが思い出されて、涙が頬を伝いました。
心から好きで愛していましたが、別れを選んだのは、元彼の転職の邪
魔をしたくなかったからです。

元彼、結構リスキーな転職を考えてて、
「お前まで巻き込みたくないから、別れてくれないか。お前と一緒だ
と、思い切った行動ができないんだ。失敗してどん底になってから分
かれるのは、キツイから・・・」
そう言われて、数日間悩みに悩んで、お別れしました。
元彼の足手まといになりたくないなら、元彼を開放しなきゃ、それが
私の出した答えでした。
再会して、リスキーな転職はやっぱり失敗して、一度どん底まで落ち
たから、あの別れは正解だったよと笑顔で言われました。
その後、元彼は頑張って再び立ち上がって、だから三十路になってか
らの結婚になっちゃったって言ってました。

元彼と再会したら、元彼とのセックスを思い出しました。
キスが上手な人で、キスされると濡れました。
舌使いが器用なのか、クンニも上手で、クンニで逝かされてしまいま
した。
一度逝かされてから挿入されるから、身体が敏感になってて、もう元
彼のおちんちんで逝きまくりでした。
狂ったように逝かされて、泣き悶え状態で、あんな恥ずかしい姿、元
彼以外には見せられません。
本当に逝き狂うときって、「逝く逝く逝っちゃう~」なんて言う余裕
はなく、ただ呻くだけです。
初めて逝くという経験をさせてくれたのが、元彼でした。

私は、元彼に出会えたこと、付き合えたこと、良かったと思います。
付き合ってる時に、元彼が何度もそう言ってくれました。
好きなまま、身を引いたような別れだったから、何年過ぎても忘れら
れないですね。
でも、再会できて、あの頃に一緒にいてくれて救われたし、幸せだっ
たか伝えられて、お礼が言えて良かったと思います。
そして、私は結婚してしあっせなこと、元彼も結婚すること、二人と
も忘れられない恋に踏ん切りをつけるためにあの場所へ行ったこと、
分かり合えて良かったです。
夫のことを愛していますが、元彼と比較はできません。

これで、元彼のことは忘れられそうです。
きっと、あの後どうしたかなって気になってたことで、忘れられない
ことを許していたのかもしれませんね。
これから結婚する元彼の幸せを願いながら、書き込みます。
7
2024/07/09 14:59:04 (CDu0qLWj)
つい最近母が思わず口を滑らせました。
母は僕の子供を3回妊娠し中絶したそうです。
母子相姦を始めた頃の事のようです。
中学生だった僕は避妊ということを考えもせずに、
毎日毎日思いっきり母の中に射精していた時代です。
それはもう何十年も前の出来事ですが、今さらですが母に申し訳ない
と思い強く抱きしめました。
その夜は、父が寝た後に母を思いっ切り抱いて何度も逝かせて上げま
した。
8
2024/07/02 15:32:08 (l5H0PcXP)
高校受験で志望校が全滅してしまった夜、母が一緒に泣いてくれて
そのまま泣きながら抱かせてくれた。
その後も、テストや模試で失敗する度に抱かせてくれるようになって
しまった。
母と息子の悪い癖だと思う。
9
2024/06/17 17:41:14 (jprJSA30)
多分、話題としては、ここが一番なのかな?
今では50歳を過ぎてしまいましたが、私には旦那には言えない過去
があります。
家が貧しくて、父は蒸発し、母はその影響からか働けずに、
お酒を飲んでばかりの日が小学生のころから続きました。
幼かった弟は叔母が引き取り、私も叔母の家に連れて行ってもらうは
ずが、
母の強硬な反対によってダメになりました。
叔母も数年間粘ってくれたのですが、母がどうしても私を連れ出され
ることに、
大暴れまでして反対しました。
日頃は母の八つ当たりで体中がアザだらけになり、母に指導員が面会
に来ることもありましたが、
その時は正気になっていて、保護されることはありませんでした。
中学に入学してから、家に帰りたくない私は、事情を知っている友達
の家を転々としていた時期がありました。
ある友達の家で、その家はすごく放任的で、特に友達のお兄さんの友
達たちがたむろしているような家でした。
そこで知り合ったのがAさんでした。
Aさんは4歳年上で、すごく優しく接してくれていて、私は好きにな
っていました。
Aさんに会いたくて、その友達の家に私も入りびたるようになりまし
た。
そして、告白して、その日のうちにAさんの家に連れていかれて、初
体験も済ませました。
Aさんのご両親も私の事情を汲んでくれて、しばらくAさんの家から学
校に通っていました。
毎日のようにHして、女としての喜びも感じられるようになっていま
した。
ある日、友達の家にいると、Aさんの友達に押し倒されて、そのまま
されてしまうと、
次から次へと男の人たちが現れて、結局出入りもあり、何人か分から
ない男たちにされてしまいました。
その日はさすがにAさんの家には行けずに、自宅に帰りました。
変わらずお酒臭い家でしたが、母の態度が怖いくらい変わっていまし
た。
八つ当たりもなく、それまで自分で用意していた夕飯もレトルトとは
いえ、母が用意してくれたので、
気持ち悪ささえ感じました。
次の日の学校帰りは母に対しての嫌悪感もあり、Aさんの家に泊まり
ました。
ただAさんの顔をまっすぐに見ることが出来ませんでした。
汚された女というのが、無意識にありました。
それなのにAさんはそんな事も知らずに私を抱いてくれました。
高校進学の事もあり、母と三者面談で学校に行った時でした。
なんだか普通でもおかしい母の様子に、さらに落ち着きを感じられま
せんでした。
学力的には中堅校も行けましたが、家庭指導員が頻繁に訪れてくる家
庭環境もあり、
少しレベルを落とさないと厳しいかもと進路指導の先生から母がまる
で叱られているような感じで言われていました。
帰りは母の八つ当たりがすごく、私は一度自宅に帰ったものの、Aさ
んに会いたくなり、Aさんの家に行ってから、
留守だと知ると、友達の家に行きました。
そこには私を無理やりした男たちもいました。案の定、また無理やり
されてしまいましたが、
その時の私はどうにでもなれと思い、されるがままにしていました。
しばらくしてからAさんにそのことがばれて、Aさんの家を出ていかざ
る終えなくなりました。
そこから体だけを頼りに、無理やりした男たちの家を転々と歩いてい
ました。
高校は三者面談の時よりもさらに下のランクの高校に受かりました。
中学の卒業式が終わり、しばらくしてから父親不明の妊娠が発覚しま
した。
友達たちと責任を取りたくない男たちから巻き上げたお金でおろしま
した。
責任を取りたくないのに、欲望にまみれた男たちの家を転々とまたし
ているうちに、
高校を辞めました。
母の様子を見に行ったときに、家に全裸でボロボロの母がいました。
大体察しがつきましたが、事後ではどうすることも出来ませんでし
た。
そうなったのは私のせいだと言い張る母に、
その場で勘当というか、縁を切るとはっきりと言われました。
持てる荷物を持って、私は家を出ました。
そんな私を男たちは放っておくわけがありませんでした。
保護すると言いながら、私の体を弄んでいくのです。
体中に卑猥な言葉が書かれたこともありました。
目隠しされて、何本も男性のを咥えさせられて、誰のか分からない
と、
容赦なく私の中に出されたりしたこともありました。
お尻もその時期に自分の意思関わらずにされてしましました。
そういう生活から抜け出したくて、住み込みのアルバイトを見つけた
ら、
オーナーさんの性欲処理もさせられ、自分というものの価値が分から
なくなっていました。
ただこの生活はお金を最低限しか使わなかったので、お金は貯まって
いきました。
18歳の誕生日の直前に、私とオーナーさんの関係に気づいてくれた
常連さんがいました。
また男だからと信用していなかったのですが、その人が「出ていった
方が良い。」と忠告してくれて、
都内の知り合いにも話してくれ、私は上京しました。
常連さんの知り合いの方が家賃交渉までしてくれた部屋に住むことが
出来ました。
まだバブルだったので、10代で何も知らなくても就職することが出
来ました。
それでもまだ男性不信を払しょくすることが出来ませんでした。
社長の奥さんにアドバイスを受けて、定時制高校に通うことになりま
した。
定時制高校と言うと、柄が良くないと言うイメージを持っている方も
いらっしゃると思いますが、
私が地元でつるんでいた人たちに比べたら、ものすごく良い人たちで
した。
先生だけでなく、同級生たちも様々な人たちがいましたが、少しずつ
信用できるような人たちと会うことが出来ました。
無事に高卒になれた後、また奥さんからのアドバイスで「何年かかっ
ても良いから」と夜間の大学に通うことになりました。
学費の一部は社長さんご夫婦が出してくれました。
夜間の大学(二部)に通っていた同い年の同級生が旦那になります。
大学卒業後に私たちは結婚しました。
結婚式には、両親の代わりに社長さんお夫妻に参列していただきまし
た。
家族が中心のこじんまりとした式と披露宴だったので、私は恥をかか
ずに済みました。
この時代、寿退社が主流でしたが、私は仕事をご夫妻が引退されるま
で続けることにしました。
子供が出来るかどうか不安だったのですが、無事に二人の子供にも恵
まれて、
二人とも社長ご夫妻に抱っこしてもらうことも出来ましたが、
6年前に社長さんが他界したことで、奥さんもあまり出社されなくな
りました。
すでに社長さんの息子さんたちが会社の切り盛りをしていたこともあ
り、任せていたこともあるのですが、
私みたいな古参には少し居づらくなっていました。
それから1年くらいして、奥さんと二人でお話をしていた時に、
「私が引退したら、どうする?」と聞かれて、「私も会社辞めま
す。」とはっきり伝えました。
「生活は大丈夫?」と聞かれて、主人の稼ぎだけでなんとかなる事も
あり、
安心していただけることを話しました。
昔と違って、私もお金には困らないと言うと、大袈裟ですけど、衣食
住には困らない程度の生活は出来るようになりました。
そのお話があってから、半年も経たないうちに、年度末があり、
奥さんは正式に仕事から引退することになりました。合わせて、私も
仕事を辞めて、今では専業主婦になりました。
上の子はすでに就職し、下の子もあと2年で大学を卒業です。
母が出来なかった親としての責任を果たすのが、私をさんざんにして
きた人たちへの見返しなのです。
奥さんとは今でも定期的に連絡を取り合い、お会いさせていただいて
います。
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