コメントいただき有難うございます。
調理師学校出て、料理の道に入りましたが、修行が厳しく辛く、辞める寸前だったんです。
先輩達より早い出勤して、先輩達や親方の準備するのに七時出勤、帰りも雑用済ませて店出るのは夜十一時回る日々でしたから。
和食会席料理屋でした。
先輩達が休憩してても、私は納入業者さんが配達してきた物のチェックとかで休憩はできません。
こんなんでは体が持たないと思いました。
毎日怒鳴られ怒られ、精神的にも参ってました。
そこに、中居さんとして高卒で入ってきたのが妻でした。
妻も作法や接客で怒られる毎日、同じぺーぺー同士で仲良くなって、付き合うようになりました。
辞めるつもりだったのを、妻が止めてこう言ったんです。
「人に使われるのが嫌だったら、今はとにかく頑張って腕磨いて、独立すればいい」
明確な目標を妻は与えてくれました。
私には大きな和食レストランや、高級ホテルや旅館の板長になって、多数の板前のトップ立つ才覚はない、そう感じてました。
高級じゃなくていい、みんなが楽しめる食事が出きればと考え、修行してました。
三年ほど修行したのち、親方に私の考えを伝えると、親方はあるドライブインの調理師の仕事を紹介してくれました。
そのドライブイン時代に妻と結婚しました。
そしてそのドライブインから暖簾分けみたいな感じで、私は独立を果たしました。
修行時代の親方も、サポートしてくれました。
借金もしたし、子供も産まれてたし、がむしゃらでした。
店、育児、家事、私の何倍も妻は大変なのに、夜までがむしゃらな私を、快く受け入れてくれたから、今があるんだと思います。
借金完済しても、次は子供達の将来の資金と大変でした。
だから二人で打ち止め~のはずが、まさかこうなるとは(笑)
四十過ぎた中年夫婦、来年の今頃は育児にまた翻弄か。
娘や息子が助っ人してくれると期待してます。
妻がこうゆう状態ですから、セックスは出来ない現状です。
そうなると早く安定期に入ってくれないかな~が、今私が一番思うこと。
お医者さんからは、年齢的に障害がある子の率が上がるなど言われましたが、芽生えた命には何ら変わりなく、肉魚野菜、日々命ある物を食べ、私はそれを商売にしてる、粗末になど出来ないのです。
ですからおろす、そんなことは、毛頭にもないんです。
障害があると分かればおろす人もいるみたいですが。
お父ちゃん頑張ります。
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