先日、大学時代のゼミの同期会がありました。私は東京勤務でなかなか休みを取ることが出来ず5年ぶりの出席でした。最近は便利ですね。事前に幹事が作ったグループLINEでやり取りをしていたので卒業以来、会っていない同期とも連絡が取れるようになっていました。
出席者の中に大学時代に付き合っていた幸代もいました。幸代の初めての男は私で2年間の間にAVを見せてフェラチオや玉舐め、アナル舐めオモチャ遊びを教えました。社会人になって違う女を好きになり気持ちが離れ別れてから20年以上、40代で2人の子持ちになって少し痩せていましたが美しいままでした。
「久しぶり、元気にしてた?」気まずい別れ方をしたわけではないので私から声を掛けて向かいの席に座りました。昔話をしながら熟女になった幸代の裸を想像していました。宴が終わりに差し掛かった頃、幸代からLINEが来ました。「この後、少し時間ない?」「大丈夫だけど」解散後、少し離れた場所で待ち合わせをして他の奴らに見られないようにタクシーで二駅離れたオフィス街にあるBARに入りました。土曜日のBARは人が少なく密会にはもってこい。
「どうしたの?」
「私もいろいろあって…」
話を聞くと職場の先輩と結婚、子供にも恵まれ幸せな生活を送っていました。何年か前に旦那が異動になり単身赴任、そして数年前、旦那に肺ガンが見つかり検査をすると転移していて根治不可能という診断。旦那の体調は悪くなる一方でホスピスか自宅療養を選ぶことになり余命を家族と自宅で過ごすことにしたそうです。
「こんなこと話せるのマー君しかいなくて…」
幸代は仕事をしながら看病と子育てで疲弊しきっていました。何もかも背負うことになって無理をしていたのでしょう。元彼の私と会って安心したのか堰を切ったように話を始めました。
BARに2時間ぐらいいたでしょうか、幸代が落ち着いたので店を出てタクシーを拾おうとすると腕を組んできて「もう少し甘えさせて」
今日は同期会があると聞いた旦那の母親が気晴らしにと自宅で看病を変わってくれていました。
タクシーで移動してホテルに入るとキスをして20年の時間を埋めるように求め合いました。経産婦の幸代は体型の崩れはあるものの恥じらいと色気がありました。フェラチオが上手く絶妙な力加減で私がいちばん感じるカリの部分を舐めてきました。「ここが気持ち良いんでしょ?」「うん、よく覚えてたね」「教えたのマー君でしょ」バージンで挿入を痛がっていた女をセックスに目覚めさせ、20年ぶりに成熟した女体を堪能しました。そんな状況で長年、セックスレスだったんだと思います。私に甘え精神的なストレスを吐き出し久しぶりのセックスに酔いしれていました。挿入した幸代の膣内は狭く、久しぶりに受け入れた男根に痛みが徐々に快感に変わっていきました。「中に出して」耳元で幸代に囁かれ罪悪感がありましたがオメコの中に思い切り精子を注ぎ込みました。「このままでいて」射精後も挿入したまま抱き合っていました。
数ヶ月後、幸代からLINEがあり旦那が永眠したことを知りました。東京にいたので通夜や葬儀には行きませんでした。
喪が明けて、仕事で大阪に戻る度に幸代を抱いています。