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『無題』二十一(後編)
カテゴリ: 官能小説の館    掲示板名:ノンジャンル 官能小説   
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1:『無題』二十一(後編)
投稿者: 菊乃 ◆NAWph9Zy3c


今思えば、狂っていたのは、あたし自身だったのかもしれない。




走っていた。


息は、全く乱れなかった。


理由も無いのに見開かれた目には、きっと何も映っていなかった。

グワン、グワン、という音だけが耳に届いていた。



意味不明に笑いながら走っている、意味不明に涙を溢しながら走っている。


情景はみんな灰色で、周りの大人はみんな、顔が無かった。


しかも、連中の中には、その手に、背中に、鞄の中に、刃物を隠しているやつらが混じっているに違いなかった。


その刃物で、あたしの肌に傷をつけようとしているのだ。




健ちゃんが、そうされたように。



身体を傷つけ、心を殺して、意識まで盗もうとする。



やれるものなら、やってみろ。


捕まえられるものなら、捕まえてみろ。



そうして、みんな同じ顔、格好、行動、で調えて、群れて、潜んでいるんだろう?

隠しているんだろう?


隠している本当の顔を、その薄汚い姿を、晒してみろよ。




走っていた。


おかしくて、おかしくて、涙が止まらなかった。




捕まえてみろよ。はやく、追ってこいよ。


ずっと走っていた。




走って、走って、ようやく、駅に着いた。




制服のスカートのポケットから財布を出した。



取り合えず、売っている中で一番高い切符を買った。


目指すところは、遠いから。


物凄く近くて、物凄く遠いところ。


もう誰も、追って来れないところ。


健ちゃんのところ。





昼間は電車が少ない。


ブルーのベンチに座って、待っていた。




うつ向いてばかりいた。

暗幕みたいな長い前髪が、世界を隠していた。


どうせ灰色の世界なら、見る必要などないと思った。



少しも恐くなんかなかった。



健ちゃんの目が灰色に濁った時に、健ちゃんの手から温もりが消えていった時に、すでにあたしの世界は終わっていた。


少しも恐くなんかなかった。



人のほとんどいないホームに、アナウンスが流れて、もうすぐ特急列車がこの駅を通過することを知らせた。


缶を握る手が、汗をかいていた。

指が、震える。



少しも恐くなんかなかった。




立ち上がった。


ホームを、ゆっくりと歩き出した。

なんだか、まるでぬかるみを歩いたときのように、一歩踏み出す度に、足が、ホームのコンクリートに埋まるような、変な感じがした。


大した距離はないはずなのに、なかなか前に、進めない。



少しも恐くなんかなかった。



暗幕越しに、ぼんやりと線路が、見えてきた。




口の中がカラカラに渇いていた。



少しも恐くなんかないはずだった。



もう一層、駆け出してしまおうか と思う。


すぐに、終わるから。





駆け出そうとした、その瞬間だった。




「おねぇちゃんっ!」




右後ろの、とても下のほうから、声がした。




あたしは、反射的に振り向いて、声の元を見た。



とても小さいモノが、ちまちまと近寄って来るのをあたしの目がとらえた。




その瞬間、急行列車が物凄くたくさんの風を引き連れて、あたしの前を通過した。


バッ と風が吹き付けた。



制服のスカートを、捲り上げた。

太股の間を、涼しい風が通過した。


同時に、あたしの顔を覆ってた前髪を吹き飛ばした。



急に視界が開けた。


世界は、別に灰色なんかじゃなかった。


普通に美しいままだった。




声の主は、ピンクの頬した、まだ小さなガキだった。



「ねぇ、おねぇちゃん、みかんとりんごと、どっちがいい?」

と言って、両手を広げた。


小さな小さな、両の手に、橙と白っぽい濁った色のあめ玉が、載っていた。


「どっちがいい?一つ、あげるよ。もうひとつは、おかあさんにあげるの。」

にこにこしながら、言う。笑うと、えくぼができた。


まん丸なその目は、まったく汚れていなかった。本当に、綺麗だった。

「あのね、ぼくのはね、ぶどうだよ。…ほら!」

そう言って、ガキは小さな可愛らしい舌を見せてきた。

舌が綺麗にむらさき色になっていた。


何だか、懐かしかった。





「…じゃあ…ミカン…」

とあたしが言うと、ガキは、小さな指で橙のあめ玉をつかんで、差し出した。



あたしが手を出すと、掌にあめ玉を置いた。




指が触れた。



小さなその手は、ジーンと暖かかった。


生きていた。




泣きそうになった。


もらったあめ玉を、口に入れた。


カラカラに渇いていた口の中に、みかんの甘さがじわっと染みた。



あたしはガキの頭を撫でた。

こげ茶色の髪は、さらさらしていた。


「…ありがとう」

と言うと、




にこっと笑って

「どういたしまして。じゃ、 またね。」

と一気に言って、母親のところへ駆けて行った。




母親は、まだ若い、とても幸せそうな顔をした女だった。



ガキの笑顔が、母親と繋いだ小さな手が、春の黄色い日だまりのような、とても暖かな光に見えた。




生きていたら、あたしもいつか、あの光に触れることができるだろうか。





あたしは、次に来た各停の電車に乗り込んでいた。



巨大な歓楽街へ向かった。



ドラックストアの試供品で濃いめの化粧をしてから、街を当てもなくただフラフラしていると、夜がやってきた。


でも、暗くはなかった。



歓楽街のよるは、ネオンの派手な光で、昼と見紛ふほどだった。




駅前の植え込みのところに座っていた。



いろいろ思い出して、涙が溢れた。

でも堪えていた。


すると、

「…きみ、一人なの?誰かと、待ち合わせ、してるの?」

と知らないオッサンが話し掛けてきた。


オッサンは品定するように、あたしの身体を舐めるように見た。



あたしは、涙で濡れた目でオッサンを見上げ、口元だけで、にやり と笑ってみせた。


オッサンは釘付けになった。



…案外、簡単なものだ。



いや、しかし、マスカラを、ウォータープルーフにしておいてよかった。




あたしは、オッサンに腕を絡ませた。



そして、ネオンの光にたかっている人の群れの中へと消えた。



光に吸い寄せられるように、どんどん、人がやって来てはその群れに加わった。





誰もが、光を探して、街をさまよっていた。



誰もが、必死に生きていた。




2007/10/03 22:59:03(qgDQyvSS)
2
投稿者: 菊乃 ◆NAWph9Zy3c
ゆー さん、 ゆう さん、

書き込みありがとうございました。

ようやく後編をのせることができました。


やっぱり書き方を変えることはできませんでした。


コーナーファン さん、 コーナーファン応援団 さんには、申し訳ないと思ったのですが…。


あと少しなので、最後まで読んで頂けたら嬉しいです。

ありがとうございました。
07/10/03 23:09 (qgDQyvSS)
3
投稿者: ゆー
やっぱり、これが菊乃さんのスタイルですよね(^-^)


07/10/03 23:41 (G24L6EPr)
4
投稿者: マフィン ◆M/towN6yE
菊乃さん初めまして。
以前から楽しみに読んでいましたが、今回ついに足あと残します。今回の投稿も待ってましたよ!そしてストーリーも新たな展開になっていき、また次作が気になる感じです!!早く、とは言いません。言えません。どうか菊乃さんが込めたい想いをしっかりと込めた状態で、次作も投稿してくださるのをお待ちしています♪

それから、もう1つだけ菊乃さんにお伝えしたいです。今回読むにあたり前作を読み直しにのぞいたところ、コメント数の多さに驚いて読んでみました。どうやら文章の書き方についてご意見があったようですね。たしかに大勢の方の目に触れる場ですから、なかには批判的なご意見もあって当然とも思います。(他の板でもみられるように。)けれど、あたしは菊乃さんの書き方は好きなので、どうか変えないでと思っています。
この行間の取り方は、いわば菊乃さんの文章の特徴とも言えますよね。あたしはこの作品に途中話で出会い、文章の雰囲気やストーリーが気になり、好きになり、こうして次作の投稿を待つ1人のファンとなりました。行間のあるこの文章に、です。あたしはその空間に時間の流れを感じ、だからこそあたしの中で想像する夢ちゃんや健ちゃんの表情や風景の変化を描くことができます。単純な表現ではありますが、あたしにとっては読みやすく、好きな雰囲気です。

どんな意見に対しても真摯な姿勢で受け止める菊乃さんをあたしは素敵な方だと思いますし、謙虚なの気持ちを持って書かれていることは返信コメントから伝わっていますよ。(烏滸がましい言い方ですが...。)長々すみません。また次作、想いの込められた素敵な作品が投稿されることをお待ちします(^-^)
07/10/04 02:30 (CpG.zOlK)
5
投稿者: マフィン ◆M/towN6yE
連続投稿ですみません。

先程のあたしのレス中に書いた《単純な表現ではありますが》というのは、“菊乃さんの文章が”ではなく、“菊乃さんの文章に対するあたしの気持ちを述べるには”という意味です。言葉足らずですみません(>_<)
最後まで閲覧のみで居ようと思っていましたが、前回のコメントを読んだらアツくなってしまいました(苦笑)。乱文お許しください。
07/10/04 02:37 (CpG.zOlK)
6
投稿者: ボンヌマール
菊乃さん
初めまして
1話から欠かさず読ませて頂いております。
コメントは初めてですが。前回のレスを読んで私なりの感想を書かせて頂きます。
私は菊乃さんの行間のとり方は、携帯小説での表現としては、非常に感動しております。
あの行間のおかげで、作中のキャラクター達の空気まで伝わって来るような文章に仕上がっていると思います。(携帯で読んでいない方は違うかもしれませんが)
更新はいつも楽しみに待っております
しかし菊乃さんのペースで進めてくださいね
気温の変化が激しくなっております。お体ご慈愛下さい。
長文失礼しました
07/10/04 08:47 (tmCAqLtG)
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