しかし、いい時間は長く続きませんでした。
最初は妻とは別れると言っていた彼も、すぐには別れられないと考えを変え、私には狭いワンルームのマンシャンしか与えられませんでした。
彼は週に2、3回私を抱きにきてくれましたが、決して一緒に住もうとはしてくれませんでした。
また、私が離婚を急いだ理由に、40を過ぎて、早く彼の子を宿したいという思いがありましたが、彼は「お前を大事に思うからこそ今は待ってくれ」と言うばかりで、いつも避妊してばかりでした。
そんな日々が何年も続き、彼が避妊をやめてくれるようになったのは、私が閉経する年齢を迎えた前後でした…。
結局、彼は妻と別れることはなく、私は今も二番手のままです。
それでも、最初の夫との結婚指輪はすぐに処分したけど、彼から贈られたいくつかのアクセサリーは私にとっての宝物です。
お恥ずかしいですが、40半ばの頃には、彼の弟分の世話をしてくれと頼まれて、数人の若い男たちの相手をしたこともあります。
屈辱的ではありましたが、若い男の子たちが母親のような年齢の私に欲望を剥き出して求めてくる姿と、こんな仕事は妻には頼めないからこそ、私しかできない内助の功なのだと少し充実感も感じてました。
私もアラフィフを迎えましたが、今でも彼は変わらず私を抱きに来るのだから、彼の中でも私への愛着はまだ残っているのだと思います。
当時のことは仲間達への申し訳なさもあり、なるべく思い出さないようにしてました。
それなのに記憶が甦ってしまったのは、当時の仲間の1人で社長を務めていた女性が、彼と同じ世界の、それなりのポジションの人の妻になっているのを知ったからでした。
かなりのお嬢様育ちで、銀行員の旦那や子供たちと幸せに生きてた彼女がどのような経緯でそうなったのかは分かりません。
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