「年寄りの冷や水」とは、老人が年がいもないことをする。
この「冷や水」は、文字どおり冷たい水のことですが、
そんじよそこらの水とは違い隅田川のまん中から、
すくってきた水なのです。江戸時代の水売りが売っていた水のことです。
夏になると「隅田川の水はまん中がきれいだ」といって、
桶の水のまわりに杉の葉を立て、小さな氷片を浮かばせ、
「冷や水やァ、冷や水やァ」とかけ声とともに売り歩いたのです。
どんぶり一杯、一文で、いまのお金にすると、20円ぐらいです。
この「冷や水」は、なにしろ川の水ですから、それほど清潔とはいえず、
若者はともかくも、からだの抵抗力が弱った年寄りは、
おなかをこわすことが多かったのです。
「冷や水を呑んで息子に叱られる」と川柳に詠まれたように、
年寄りが冷たい水を飲むなど、年がいもないこととされ、
「年寄りの冷や水」という比喩が生まれたのです。
現在では考えられもしない、この日常用の飲料水売りが、
なぜ行われていたかというと、江戸の町は、井戸を掘るにしても塩水が出て
きて、非常に深い井戸を掘らなければなりませんでした。
飲める水といえば、溜池や池袋、沼袋といった、
地下にたまった宙水や伏流水の池が、
ところどころに点在しているだけだったのです。
そこで、「はばかりながら、水道の水で産湯をつかった江戸っ子だいッ」と
いう、江戸っ子のたんかにもあるとおり、江戸には水道が引かれるようにな
ったのです。
最初の上水道は小石川上水、または神田上水といわれるものです。
しかし、もともと水源の水量が少ないうえに、
地下水道の途中にできた大名屋敷が、その水を庭園などに使うために、
すぐに不足してしまいます。
そこで、なかなか江戸のすみずみまで、うるおうことがなかったために、
水屋という商売がはじまったというわけです。
江戸の人口増加にともなって上水道は増設されていきます。
江戸の三上水というのは、神田上水、玉川上水、仙川上水です。
時代が進み、飲料水用の水も十分に確保されてくると、
しだいにこの水屋もすたれていきました。
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