遠洋漁業で短くて半年、長いと1年半は単身赴任と同じだった。
水産高校卒業して船に乗ったが、女っ気のない社会、若い者だけでなく船長もみなsexに飢えていた。
「可愛がる」というのは・・・始めた激痛だったが、年配者の可愛がり方は絶妙で何回もトコロテンで逝ったものだ。
18の時、船から下りた時幼なじみの圭子の妊娠を知った。行きずりの男からもらった子胤。親父さんから頼まれ仕方なく圭子と結婚した。
その時は数人の男とsexしていたようで、新婚の寝込みを襲う電話に悩まされた。「今何回やったか」という卑猥なものばかり。
船に戻ると、毎日のように女役をさせられ、最後にはおじさんが扱きながら同時に逝く、女になったり男になったり快感は2倍だったのかも。
子どもが2歳になった頃、またまた俺とは違う男の子を孕んでいた。
半年も抱いてやれない、可哀想な女だと思ってみたが、聞けば近所の酒屋の親父を咥え込んだという。
すっかり「させる女」として名をはせていたらしく、夜這いに来た5人の青年とsexしたという噂があった。
圭子は床なれしていただけあって、半年ぶりのオマンコは俺を有頂天にしてくれた。寝物語にいろいろな男の話を聞かされ、嫉妬もあって何回も犯しまくったような気がする。
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