追伸です。
息子さんからきたのは年賀状、ではなく、喪中ハガキでした。
もし長山さんがいなかったら、私は三年の単身赴任任期を全うできたか。
やはり慣れない土地で、私は友人も作れず、仕事関係の仲間しかいませんでした。
その仕事関係でも、東京からきたよそ者扱いでしたし。
もし長山さんがいなかったら、会社辞めてでも帰っていたかもしれません。
今私は48才で、会社でそれ相応の地位にあるのは、長山さんのおかげと言えます。
洗濯や食事、セックスまで、現地妻とでも言うのか、家政婦さんとでも言うのか、そんな扱いをしていたこと、甘えに甘え、それを嫌な顔一度もすることなく、私は長山さんに申し訳ないと今でも思います。
食事の代金としてお金を渡そうとしても、長山さんは一度も受け取りませんでした。
一人分も二人分も、食費は全然変わらない、むしろ一人分だと無駄が出るから、効率がよいと、いつも笑って受け取らなかった。
東京のお土産を受け取るくらいでした。
年代が違うため、妻と長山さんのセックススタイルも対象的でした。
妻は自分の欲求をきっちり満たそうと、あれこれ要求するのに対し、長山さんは常に受け身、あれこれこうしてとかはほとんどありませんでした。
バックは私のお願いでしてもらってましたが、長山さんは騎乗位はしませんでした。
上から人を見下ろすのが嫌だとの理由からで、その理由聞いてからはお願いしないようにしました。
生体して、身体を密着させて、お互いの温もりを感じあえる、正常位が一番好きと言われました。
近所でも品のいい、綺麗なおばあちゃんで通っていた長山さんでしたから、私が寝泊まりしてるなんてなったら大変です。
私は一度アパートに帰ると、長山さんに電話、長山さんは裏玄関の鍵を開けててくれて、私は向かいの長山さんの家に、誰にも目撃されないように小走り、さっと裏に回り込んで、素早く入る。
運がいいことに、長山さんの家の隣は空き家、裏手は月極駐車場と、誰にも見られないことに都合も良かったのです。
いつか機会があったら訪れてみたいと思っていましたが、そうなる前に他界されてしまいました。
71才くらいでお亡くなりになったんですが、単身赴任中の長山さんの若々しさから、そんな早く逝くとは想像できませんでした。
今の私があるのは、長山さんのおかげです。
ありがとうございました。
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