前妻の遺骨については、私の一存で出来る事ではありません。
でも、一つの選択肢としてお寺に相談することも考えようと思います。
妻と前夫の実家とは、今ではかなり疎遠になっているようです。
妻は言い出しませんが、もう、前夫の墓に入るつもりはなさそうに思います。
でも、私の実家の墓に前妻の遺骨があるので、言い出せないのかもしれませんね。
ある休日、妻とクルマで買い物に出かけた帰り、妻は、
「ねえ、あそこに入ってみない?」
と言って指差したのは、何とラブホテルでした。
部屋に入ると、妻は、
「一緒にお風呂に入りましょうよ。」
と私の手を引いてバスルームへ入りました。
ベットに入ると、妻は勃起した私の男根をパクリと咥え、勃起させるとクンニを求めることなく仰向けで女陰を開き、
「早く早く、入れて・・・」
せっかくのホテルなので、焦らしに焦らして、妻を何度も逝かせてから妻の中にタップリと五十路精液を射精しました。
妻は、安全日になると私の精液を欲しがって妻から誘うようになっています。
つい先日の休日の早朝も、隣で寝ていた妻が私の朝起ち男根を握って、
「ねえ、しましょうよ・・・」
と言うと、妻は下半身裸になり、仰向けの私を跨ぐようにして私の下半身を露出させ、騎乗位で挿入して腰をクイクイさせました。
「あなた・・・安全日だから・・・中に・・・」
息子に喘ぎ声を聞かれないように押し殺しながら、しかし最後まで騎乗位で営みの主導権を妻が握ったまま、精液を搾り取られました。
40歳とは思えぬほど可愛い顔で喘ぐ妻を下から見上げながら、妻に対する愛しさを噛み締めていました。
同時に、前妻への思いはセピア色になっているのを実感しています。
妻は私の男根を慈しみ、時にはラブホで思い切り淫らに快楽を貪ります。
そんな妻を見ているとき、ふと前妻を思う事があります。
恥ずかしがり屋だった前妻は騎乗位で搾り取るような真似はしませんでしたが、安全日には中に欲しがりました。
もし、前妻が生きていたら49歳、どんな夫婦になっていたでしょう。
きっと、今でも身体を重ねて愛し合っていたでしょう。
そんな風に思うと、セピア色の思い出に少しだけ色がついたような気がします。
前妻のことを考えると、忘れ行く思い出が悲しくなってきます。
でも、この先、ともに歩む妻を大切にしていけば、前妻も許してくれるような気もしてきました。
ありがとうございました。
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