昨夜、セックスが終わった後、妻に、
「君の過去も独り占め出来たらなあ・・・」
って言ったら、
「男の人って、彼女の元彼・・・っていうか、過去の性体験を気にするわよね・・・」
と言われました。
「あなたの前の彼ね・・・私が教員になってすぐの頃だったけど、銀行にお勤めの方で、凄く真面目で・・・彼、私を抱いた時、私が処女じゃなかった事がショックで、半べそかいて私の過去を根掘り葉掘り尋ねたの。もう、訊問みたいに・・・」
僕は何も言えませんでした。
「私、その彼見てて、この人は無理って思って、その日、別れを告げたんだけど・・・その後何度も、ごめん、二度とあんなこと言わないからなんて言って、ヨリを戻そうとしたけど無理よね・・・そう思ってっるってことがわかった時点で無理。だからそのあと3年間、あなたと出会うまで男の人とは付き合えなかった・・・」
僕は、天井を見つめて話す美しい妻のアンニュイな横顔が憂いに満ちていて、とても切なくなりました。
「私ね、あなたに抱かれたとき思ったの。今までの男の人と違うなって・・・元彼って、私とセックスがしたかったのよね。セックスって気持ちいいし、それに、お淑やかな私がエッチになるのを見たかったのよね。エッチな言葉言わせたがったり、変な道具使いたがったり、エッチな写真撮りたがったり・・・」
「そんなことされたの?」
「それが嫌で別れたの・・・でも、あなたは違った。あなたとのセックスも気持ちいいけど、快楽だけじゃなくて、愛情を感じるの。大切にされてるって思えるの。心も満たされるセックス・・・この人と結婚したい・・・そう思えるセックスなのよ、あなたって。」
僕は、嬉しさとともに、自分が情けなくなりました。
「ちん」さんのおっしゃること、何となくわかる気がします。
妻は、快楽だけを求めた元彼、妻を玩具にするような元彼、妻の過去を否定するような元彼・・・そんな元彼たちとのセックスを経験して、僕を相対評価したんですね。
僕は、セックスは神聖な儀式に思えるのです。
もちろん、その行為の本質は子孫を残す生殖行為ですが、人間にはもう一つ、愛情を交換し合う男女の究極のコミュニケーションだと捉えています。
お互い素っ裸になって(ならない時もありますが・・・)、普段は他人には見せることなく隠している恥ずかしい部分を相手の自由にさせるのですから、絶大な信頼関係が無ければできないことだと思うのです。
妻曰く、
「アソコを見せるのは、あなたにだって恥ずかしいのよ。でも、その反面、あなたには見られたい、触れられたいっていう気持ちもあるのよ。」
だそうで、それを聞いた僕は泣きたいほど嬉しかったです。
セックスにはどうしても快感が伴います。
それは、物理的な刺激によってもたらされる部分も大きいですが、視覚的な部分によってもたらされる興奮もあります。
美しい妻が乳房を露わにして、脚を開いて恥ずかしい部分を広げてくれるのです。
お互いの生殖器を舐め合い、交合して、平素は見せない恍惚の喘ぎを見せてくれます。
その興奮と快感を僕だけのものにしたいのに、過去にそれを経験した男たちが存在した事が許せなかったのです。
でも、妻に言われて気付きました。
快感だけと、快感を伴う愛情の交換は違うんだと・・・
「求められたから体を許した元彼と、私から抱いて欲しいと思えるあなたとでは感じ方も違うのよ。」
二人が繋がって抱き合い、そのまま融けて1つになってしまいたいと願えば、やがて二人が混ざり合った新しい命を授かるでしょう。
よく考えたら、30歳過ぎて結婚できるとは思っていなかったし、それも、これだけの美人を妻にできたのだからと、もっと自信を持とうと思います。
ここに書き込んだことでスッキリしました。
明日から出張で書き込むことができませんので、ここで御礼を申し上げます。
みなさん、お騒がせしました!
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