興醒めさせてすみません。
確かに本名では書き込んでいませんから、変換ミスがあっても気づきませんでした。
このお話には、続きがありますので書き込みます。
その後、美帆夫婦との夫婦交換は数回しましたが、茂樹も新しい職に就き、震災から1年後、美帆の娘が中学になるタイミングで美帆一家は近所にアパートを借りて、私達の家を出て行きました。
茂樹も新たに車を購入して、美帆夫婦とは月に1回、ラブホテルで夫婦交換をするようになりました。
私は、可愛い美帆のロリボディに夢中になっていきました。
美帆も幼い頃から好きだった従兄の私に抱かれることに夢中になっていきました。
震災から2年後、私の一人娘が大学進学で東京へ出ました。
私と妻が二人きりになったことで、ついに美帆夫婦との乱交が実現したのです。
美帆の娘も中学では部活、その後は高校受験と土曜や日曜も出かけることが多くなり、そのすきに美帆夫婦は私の家にやってきて、寝室に布団を二組敷いて、私は美帆と、涼子は茂樹と交わりました。
今までは夫婦を交換するだけでしたが、今度は目の前で自分以外の男に抱かれる妻の涼子を見ることになるのです。
隣の布団で、茂樹の陰茎が妻の涼子の膣穴を貫き、出し入れされるたびに涼子のドドメ色の陰唇がベロンベロンと引きずられていました。
涼子の小振りだが形のいい乳房にむしゃぶりつきながら腰を振る茂樹に、
「ああん、ああん、あんあんあああん・・・」
涼子はしがみついて完全にアクメの波に呑みこまれて、エロい喘ぎを見せていました。
妻が、涼子が、俺以外の陰茎で・・・目の前で繰り広げられる婚外セックスの光景に嫉妬を爆発させて、私は可愛い従妹の美帆のロリ膣を抉っていました。
「カズ兄、好きよ・・・ああっ・・・兄・・・お兄ちゃん・・・ああ~~」
この時、私はいっそ美帆と添い遂げられたら・・・と一瞬思ってしまい、すぐ横で仰け反る妻と美帆を見比べて、本当に愛しているのはどちらなのかわからなくなっていました。
二組の夫婦の乱交は毎週土曜の恒例になり、私は美帆と、茂樹は涼子とお互いの伴侶の目の前で激しく愛し合いました。
嫉妬と愛欲が渦巻く同室乱交の夫婦交換は、お互い後背座位で向き合い、大股を広げた股間に陰茎の出し入れを見せつけたりもします。
愛する美人妻が他人の陰茎を出し入れされて、愛液を垂れ流しながら喘ぎ悶えて逝き果てる姿を真正面に見ながら、もう一人、愛する可愛い従妹の膣を抉ってムッチリボディを楽しむのです。
毎週繰り広げられた夫婦交換は、普段の夫婦の営みも活発にさせます。
嫉妬に狂った陰茎が本来掻き回すべき妻の膣を生で抉るのですから、妻の涼子も何度も逝き果てます。
今年2月下旬、娘が大学卒業を前にアパートを引き払って戻ってきました。
そして、3月上旬、美帆夫婦は立ち入り制限を解除された故郷へ戻りました。
以前に制限は解除されてはいましたが、娘の高校卒業を待ってという名目で、美帆は私と、茂樹は涼子との愛をもう少し燃やしたかったのです。
美帆の娘の高校卒業で、もう、この地へ留まる理由が無くなりました。
茂樹の実家は流されてありませんが、すぐそばの高台のニュータウンにある茂樹と美帆の家は無事でした。
「美帆、元気でな・・・」
「カズ兄・・・色々ありがとう・・・」
「涼子さん・・・さようなら・・・」
「和樹さん・・・さようなら・・・」
美帆の家族を見送るとき、何故か、もう、二度と会えないのではないかと思いました。
車で3時間かかる私と美帆の家、もう、自分の親の世代の親戚付き合いより、自分の兄妹や妻の姉弟との親戚付き合いの方が多いように、美帆たちも従兄妹の付き合いがこれで終わるだろうということは、薄々感じていたように思います。
6年間の夫婦交換で涼子が刺激に抱かれた回数は、たぶん200回を軽く超えていると思います。
同じだけ私も美帆を抱いていますが・・・
今、妻の涼子を見て、しみじみ綺麗だなと思います。
47歳でこの美貌は、きっと、私以外の男に6年間抱かれたからではないかと思うのです。
私の生陰茎で喘ぐ涼子に、
「茂樹を思い出すか?茂樹のチンポの味が恋しくないか?」
と言いながら、
「止めて・・・あれは幻・・・一時の夢・・・」
などと言う涼子を見つめて、今も嫉妬に狂う私です。
仰け反って逝き果てた涼子は、余韻にまどろみながら、
「美帆さん・・・あなたの事、忘れられるといいけど・・・」
と、可愛い美帆が逝き狂った様子を思い出していたようでした。
「茂樹さん言ってた・・・美帆さんのあんな淫らな逝き方、初めて見たって・・・あなたに嫉妬してたわ・・・」
「いい潮時だったな・・・俺達・・・」
「そうね・・・でも、嫉妬に狂ったあなたのオチンチン、凄くいいわよ・・・」
と言って抱き付く涼子が、とても可愛く感じた。
美帆夫婦との夫婦交換で、私達夫婦の愛が、深まったような気がしました。
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