その後の顛末です・・・
あの人は、私の家のそばの田舎駅から2つ隣の大学前駅のそばに土地を見つけ、あの家を出て1年で戸建てを建てて、アパートを引き払いました。
まるで、私の父に嫌味をやり返したかのようでした。
一方の弟一家は、ミニバンも軽自動車に変わり、生活が苦しいのが目に見えていました。
月10万円を失うのが、あんなにも大変なんだと知りました。
そしてあの人の恐さも、知りました。
弟は、必死で我が家を守っていましたが、どうやらローンの支払いが焦げ付きそうな状態に陥りました。
それは全てあの人のせいだと怒り心頭の私の父が、ガレージに駐めてあったアルテッツアにガソリンをかけ、火を放ったのです。
アルテッツアとカローラとガレージと物置が半焼、車は2台とも走れなくなりました。
私の父は放火で有罪、塀の中へ収監されました。
もう製造されていないアルテッツアを前に、呆然と立ち尽くすあの人に、私は申し訳なくて、黙って離婚届けを置いて実家へ帰りました。
あの人は、アルテッツアをそのまま改修したガレージに残し、カローラだけ廃車にして、代わりにヴィッツRSというコンパクトスポーツを買って、そして損害賠償を私たちに要求してきました。
損額はとてもポンと払える額ではなくて、弟は土地建物を売って、あの人に全額弁済しました。
義妹は弟に三下り半を突き付けて、甥っ子と姪っ子を連れて自分の実家へ帰りました。
私と弟と母は、アパートに暮らし、土地建物を売ってもなお残ったローンの支払いのため、私も働きに出るようになりました。
毎日の通勤で、大学前駅に停まるたび、車窓からあの人の家を眺めていました。
焼け焦げたアルテッツアが、いつまでもあって、私の心を抉りました。
時々、中学生になった上の娘が自転車で家を出る姿を見ることがあって、元気にしてる姿に目を細めました。
本当は、私が養育費を払わなくてはいけないけど、とてもそんな余裕はありませんでした。
そしてある日、焼け焦げたアルテッツアが無くなっていました。
その数日後、軽自動車が収まると、エプロン姿の女性に見送られて登校する娘たちの姿を見ました。
あの人・・・再婚したんだ・・・娘たちは、私以外の人をお母さんと呼んでいるんだ・・・悲しかったけど、でも、娘たちをよろしくお願いしますと願わずにはいられませんでした。
そしてその日以来、ほんの数年だけでしたが、あの人と暮らしたかつてアルテッツアがあった家の方じゃない方を向いて、電車に乗るようになりました。
そしてそれは、朝はプラットホーム側を向く形となり、ある日の朝、大学前駅からセーラー服姿の女子高生が乗り込んできました。
それは長女・・・別れた時はまだ小学生だったあの子が、可愛いお嬢さんになって・・・私を見てもきっと気づかないと思いましたが、万が一にも気づかれないように、乗車位置を変えました。
そしてその2年後、長女といっしょに次女も乗り込んできて、姉妹でにこやかに笑っていました。
私だけがそこにいない、新しいあの人の家族・・・でも、羨ましいとか思いませんでした。
迷惑かけたあの人には、どうか幸せになって欲しかったし、娘たちには元気に育ってほしかったから、微笑ましく眺めさせてもらいました。
そして長女の姿はなくなり、次女だけ乗り込んでくるようになり、やがてその次女の姿も電車から消え、5年間、実の母娘のスクランブルの時間が終わりました。
それから、再び長女の姿を見たのは昨年、最後に長女を見てから、10年近い月日が過ぎていました。
長女は、身重でした。
長女だと分かったのは、持っていた肩掛けカバンについていた根付で、幼い頃に、私が長女のランドセルと次女のンランドセルを区別するために付けたものでした。
母になろうとしている娘が、大切に使ってくれていることが嬉しくて、涙ぐんでしまいました。
娘のすぐ脇に立ちましたが、さすがにもう実の母だとはわからないようでした。
そして今年、赤子を抱いた長女が、次女と共に電車に乗ってきました。
次女の左薬指にもリングが・・・二人とも結婚したことを知って、嬉しくなりました。
もう、私が母として暮らした時間より、再婚した母と暮らした時間の方が長くなっていました。
立派に育ててくれて、ありがとうと、久しぶりにあの人と暮らした家の方を向いて、あの人と再婚した女性に頭を下げました。
その後しばらく、娘たちの会話を背中に聞いていました。
「お父さんに孫の顔を見せられて、良かったね。」
「ほんと。ギリギリだった・・・お父さん、この子が生まれるのを待っててくれたんだね。きっと・・・」
え?・・・あの人、もしかして亡くなった・・・その言葉が、私の頭の中をぐるぐると回りました。
先日、あの人のご両親が眠るお寺を訪ね、今年あの人が亡くなったことを知りました。
60歳でした。
私は、お花と線香を手向け、かつて愛し、愛されたあの人の墓前に手を合わせました。
「養育費も払わず、ごめんなさい。あの子達を立派に育ててくれて、ありがとうございました。そうだ・・・あのね、私たちもやっと、借金を完済したんですよ・・・同じお墓に入れず残念ですが、さよなら・・・」
そう言って、あの人にお別れしました。
あの人の顔もおぼろげになっていましたが、それでも、私にとってあの人と暮らした時間は、今も大切な思い出で、生きる支えになっています。
妻として、母として、失格な人生でしたが、私はあの人との思い出だけで、余生を送ろうと思います。
せめて、一目でも会えてたら、一言、謝罪とお礼を言いたかったです。
そしてここに、あの人の訃報を知り、あの人との思い出とその後を書き記します。
長文、失礼いたしました。
※元投稿はこちら >>