娘を預かってくれている預かり保育は、俺より9歳年上の愛子という未亡人が切り盛りしていた。
保育士の資格を持つ愛子は、娘を預けはじめた当時、中学3年生の娘さんと暮らしていた。
娘さんも保育士志望で、時間があるときは愛子をアシストしていた。
娘を預かってもらって2年過ぎた頃、愛子に促されて、娘を預かり保育の隣にある幼稚園へ入園させた。
俺が朝、幼稚園に娘を送り、隣が預かり保育なので幼稚園から直帰だった。
幼稚園に通わせつつ、その後の面倒も見ると言う上手いシステムだから、多少高くても、俺は愛子に預けた。
娘が小学生になると、朝は集団登校で帰りは預かり保育で愛子が特別に面倒を見てくれた。
しかし、これには訳があった。
実は、俺が34歳の時、43歳だった愛子と一線を越えてしまったのだ。
40代の愛子は、身体中から女の色香を漂わせていた。
俺もまだ若く、女体に飢えていた。
40代の愛子も女盛りの身体を疼かせていて、求め合ってしまった。
休日、午前中は娘はアニメタイムでテレビに釘付けだから、このわずかな時間、休日は子供たちがいない預かり保育の準備室で、そそくさと事に及んだ。
亡きご主人と8年間過ごした夫婦生活で、女陰は使い込まれていたが、中身は熟して旨かった。
恭子の少女のような女体と違い、程よく熟れた女体は柔らかく、熟女たる魅力に溢れた。
県庁所在地の本社に赴任して6年、愛子の娘は保育士となり、家を出て独立した。
娘は小3になっていて、俺は、愛子の家に越して同棲を始めた。
俺と愛子の中を知っていた愛子の娘は、
「一緒にいてくれた方が、私も安心だし。再婚しても構わないわよ。」
と言ってくれたが、俺も愛子も、亡くなった連れ合いのことが忘れられず、再婚はしなかった。
ただ、一緒に暮らすと色々便利だったし、俺の娘も居場所ができて助かった。
女盛りの40代の愛子と、まだ女体に飢えていた30代の俺は、性欲の組み合わせが良く、毎晩のように励んだ。
熟女だが、体力を使う保育業で愛子の女体は緩むことはなかった。
引き締まった女体にそこそこある乳房、クビレもあって艶かしかった。
本社に赴任して10年、愛子は50歳、俺は41歳、娘は中学生になった。
娘にも初潮がやってきて、その時は愛子にすっかり世話になった。
もう、この頃はすっかり夫婦同様だったし、愛子も俺も、性欲は衰えはじめ、営みの回数も週3~4回程度になっていた。
その営みも激しい者からネットリした絡みになり、結合を楽しむ大人のセックスだった。
男根に絡みつく女唇もドドメ色になり、やがて閉経した愛子には、女穴内で射精ができるようになった。
ドドメ色の女唇の間から、ドロドロと流れ出た拍でく精液の眺めは、すこぶる卑猥だった。
愛子が52歳で閉経した頃、愛子の娘が27歳で結婚した。
そして、俺の娘が県庁所在地にある短大を卒業して社会に出て2年、本社内の転勤が続いた俺に、20年ぶりに最初の勤務地の支社へ転勤の内示が出た。
51歳の俺と23歳の娘、還暦を迎えた愛子とその娘家族が集まり、今後を話し合った。
そして、愛子は保育士を引退、預かり保育は愛子の娘が継ぎ、俺と娘は愛子の家を出て、俺は赴任地へ、娘はアパートで独立することになった。
一見家族のような関係は、解散することになった。
俺と愛子は最後のセックスをし、翌朝、娘と家を出た。
「何か困ったことがあったら、連絡してね。さよなら・・・」
「長いこと世話になった。元気でな。さよなら・・・」
こうして、俺達は17年続いた家族のような関係を解消して、それぞれ新しい生活へ進んだ。
20年ぶりに舞い戻った街をブラついた。
恭子と住んでいたアパートは、あの頃のままの姿で佇んでいた。
少し歩くと小川が流れ、20年替えはその両側に飲み屋が立ち並んでいたが、今はだいぶ少なくなっていた。
恭子を酔わせた居酒屋も無くなっていた。
少し駅に向かって歩くと、駅裏のアーケード街にぶつたったが、そこもまた空き店舗が目立っていた。
駅を抜けて表通りに行くと、再開発でもされたのか、新しいビルが建っていた。
20年という、時の流れを感じた。
暫し、恭子との思い出をたどった。
出会ったサマーセールをした店、デートした公園、恭子の処女をもらった俺が住んでいたアパート、そして、恭子の実家・・・
ミニバンと軽自動車が停まっていたが、ミニバンは恭子の従兄家族のものだろう。
もう、縁を断った一家だったから、今更訪ねることはしなかった。
でも、転勤の既設にやってくる恭子の命日に、墓を訪ねた。
「恭子・・・久しぶりだな・・・俺は再婚してないよ。俺の嫁さんはお前だけだ・・・娘も立派に社会に出たよ・・・」
そう言いながら、生花と選考を手向けた。
人の気配がしたので、恭子の墓を離れた。
そこには、老夫婦と俺と同年代の夫婦がいた。
間違いなく、恭子の両親と兄夫婦だった。
煙を上げる線香の萌えた長さから、花を手向けた人間が近くにいるとみてキョロキョロしていたから、俺は身を低くして潜みながら、墓地を後にした。
俺は今、独りで恭子との思い出に浸って生きている。
いつまでこの街にいられるかわからないが、いられるうちは、恭子の思い出に寄り添い、恭子の魂と共に生きてみようと思う。
懐かしく、切ない思い出のあるこの街で・・・
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