愛し合う夫婦は、毎晩濃厚に絡み合い、交わって快感を分かち合いました。
キスで舌を絡ませ、唾液を混ぜ合いながら、やがて男根は、開発されつくしたポルチオで子宮ま口で達し、深く合体する夫婦になりました。
20代で父親になりたかった私の意向を汲んで、私が28歳になったら、生の亀頭を子宮口に差し込んで精液を流し込みました。
熱い精液を子宮で感じた妻は、気持ち良すぎて白目を剥いて気を失ってしまいました。
私は29歳で男の子、31歳で女の子の父親になりました。
出産を機に妻は家庭に入り、30代は子育てママ、夜はママから妻になって股を濡らしました。
40代は立て続けに受験生の親、子供の成績に一喜一憂しながら、それでも夜は夫と妻に戻って励みました。
正常位で抱きしめ合いながらの生セックスは、夫婦ならではだと感じていました。
愛し合う中年夫婦は、このまま一つに溶け合いたい思いで密着しました。
アラフィフ夫婦になる頃には、息子が首都圏の大学へ、2年後、後を追うように娘も首都圏へ進学しました。
2年間、夫婦二人暮らしがやってきて、結婚20年を過ぎたアラフィフ夫婦の性生活が活発になりました。
休日の真昼間、急にムラムラ来てTシャツ着たまま、テレビをつけっぱなしで騎乗位で腰を振る妻もたまりませんでした。
二人きりだから、寝室以外の自宅の生活感溢れた部屋で勃起させ、妻を喘がせました。
妻が二人で晩酌中にムラムラすれば、俺の隣に寄ってきて、大胆に足を開いて女陰を弄らせ喘ぎまくり、居間で下だけ脱いで始まることもしばしばでした。
息子が戻って地元に就職、娘は首都圏に就職、一昨年娘、昨年息子と相次いで結婚し、夫婦二人になりました。
妻は閉経しましたが、私たち夫婦はまだまだ現役バリバリで、週に2、3回は中出しセックスを楽しんでいました。
この歳になっても、熱く愛し合う幸せな夫婦でした。
お互い一人っ子、父親はとっくに亡くなり、実家には高齢の母が一人で暮らしていました。
色々考えた末、私と妻は卒婚を選ぶことにしました。
家を息子夫婦に明け渡し、私と妻は自分たちに実家へ戻りました。
「結婚して30年、あっという間だったわね。」
「そうだな。最初は親友だったんだよな。」
「そうだったわね。でも、今日からは恋人ね。」
「ああ・・・それじゃあ、週末のデートを楽しみに、家に帰るとするか。」
「しょなら、圭ちゃん・・・」
離婚したわけではなく、夫婦関係を維持したまま、恋人へ戻ったのです。
私57歳、妻55歳、平日は母親と暮らし、週末、妻と待ち合わせてデート、そして、
「今日、どうかな?」
「いいわよ。」
車で郊外のラブホへ向かいます。
久しぶりに見る妻の裸身にフル勃起、腰を振りまくります。
すっかり黒ずんだ妻の女唇が男根の抜き差しに引きずられて、ベロンベロンと捲れます。
家庭内で営む夫婦のセックスは卒業、こうして時々会って、近況を話し合い、ラブホでセックスするのもいいものです。
いつでもできた家庭内セックスよりも、貴重な逢瀬の時間を楽しむから集中できます。
さっきまでデートしながら、山口智子似の明るい笑顔を振りまいていた妻が、55歳の女体でアンアン楽しんでる姿は、グッと来ます。
そして女陰の奥に流し込む精液、女穴から逆流する白い液体と黒い女唇のコントラスト・・・たまりませんん。
時には、妻と白昼のラブホでまったりと過ごすときもあります。
55歳の熟女の女体は魅力がないと思う方もいるでしょうが、私にはたまらないムッチリボディなんです。
ムッチリも少しずつ緩んできて、年齢を感じさせるところがまた艶っぽいんです。
30年間愛用してきた女陰は飽きることなく、おいしそうに私の精液を搾り取ります。
夕方ラブホを出て、居酒屋でデートするというパターンは土曜日に多いですね。
「じゃあ、また明日な。」
「バイバイ。」
これが日曜の夕方だと、
「さよなら。またね。」
「ああ、暫くお別れだな。さよなら。」
と寂しく別れるのです。
いつか、母が亡くなったらどちらかの実家で妻と二人、老後を過ごすことになるでしょう。
その時、再び夫婦として寄り添いますが、その時にもまだセックスができるように、頑張ろうと思います。
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