女性は処女を捧げた男性を忘れることは永遠にないでしょう。
それは、処女を貰った男性にとっても同じことです。
私は、若い頃にバブルという時代を経験していますので、女性経験人数はかなりの数で、一晩限りや乱交もありましたから全員は覚えていませんが、私に処女をくれた女性だけは全員覚えています。
私が経験した処女の女性は15歳から19歳で、20代以上には処女はいませんでした。
あの頃は、そういう狂った時代だったのです。
処女の女性は共通して恥じらいがあります。
それは作られた恥じらいではなく、緊張を伴う恥じらいです。
これから経験する女性が一生に一度だけの神聖なイベントですが、初めて裸を見られる恥じらいはとても可愛いものがあります。
そして、初めて男性にオマンコを見せるとき、尻込みするような恥じらいを見せます。
私の経験上、15歳の処女より、19歳の処女の方が恥じらいが大きかったように記憶しています。
うら若き乙女が、両足をひっくり返ったカエルのように開かれて、オマンコを舐められるとき、恥ずかしさに加えて襲い来る快感にどうしていいかわからず戸惑う仕草は、絶対に忘れることはできません。
やがて、チンポを捻じ込まれて破瓜の痛みに耐えながら処女を失うのです。
射精を目前で見せてあげますが、それを眺める余裕などなく、初めての精液にまみれていくのです。
量に個人差はありますが、シーツについた赤黒い血を見て涙しますが、その涙は感激の涙なんだと私は理解しています。
やがて彼女達は、私のチンポを銜えて上手な舌使いで舐める事を覚えていきます。
全員ではありませんが、生理の時には、咥えたチンポから発射された精液を飲み干してくれるまでに成長した女性もいました。
彼女達は、私の激しい愛撫で乳房を揉み解され、キスマークをつけられ、チンポで突かれて快感に悶えるようになっていきます。
いつしか一筋だった綺麗なマン筋から変色してきたビラがはみ出し、吸いながら転がされたクリトリスは歪んで、エロサイトなどで見慣れた使い古しのオマンコになり、セックスが愛の確認だけではないと知るのです。
多分、非処女の女性の彼氏や夫は、最初の元彼はもちろん、その女性の元彼全員を超えることはできないのではないかと思います。
まず、処女を捧げた最初の元彼のみ、神聖な愛の儀式として純粋な愛でセックスに臨んだ唯一の男性だからです。
セックスの快感を知ってからは、快楽に悶える自分の淫らさと向き合っています。
そして、セックスの時に女性が男性にする行為は、元彼にした行為をなぞっているのです。
男性はどうすれば喜び。気持ちよがるか、それは元彼との体験で学習した成果なのです。
女性が大股を開いてオマンコを全開にして、男性のチンポで突かれ掻き回されて精液を浴びて悶えることは、これ夫婦の営みに等しいのですから、元彼人数は離婚回数に等しいのです。
違いは婚姻届けを出したか否かで、している行為は同じです。
過去は覆りません。
その女性は、過去の恋愛があって現在があるのです。
過去の恋愛で男を見る目を養い、チンポの味を比べて良し悪しを知るのです。
その女性が非処女だったということは、現在よりもっと若く瑞々しい女体を他の男性に提供していたということになります。
処女に拘らなくても、好きな女性が過去に知らない男性に両足を拡げられて、丸出しのオマンコを舐めれて悶え、チンポを深々と突き立てられながら男性の背中に腕を回して狂ったように喘いだ光景には嫉妬心を抱くでしょう。
元女子大生さんだって、そんな経験が何度もあったけれど、忘れないのは最初の男性で、愛しているのは今のご主人だけ、それでいいのです。
女性は、みんなそういう生き物なのですから。
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