「一緒に住むとなったとき、お母さん(晶子の母)から言われたんです。守男さんは年頃の男の子だから、部屋を覗かれたり、お風呂覗かれたりするかもしれない。けど晶子、貴方は許婚なんだから、それを騒いだりしてはいけないのよって、言われました。でも一度もそんなことされたことないし、私に気を使ってるのかな、優しいんだなって思いました」
優しいのではない、ただ晶子に興味がなかった、私の正直な気持ちでした。
でも少しずつ、私の心に変化が出始めた時期でもありました。
最初見た晶子は、ガリガリの小さな女の子でした。
戦後の混乱の母娘は、おそらく食べ物にも困っていたのか、一緒の生活で晶子はぐんぐん変わっていきました。
変わらないのは、相変わらずの敬語と礼儀正しさでした。
晶子が中学三年に上がり、すぐでした。
私は両親に言われ、晶子の亡き父の墓参りに同行することになりました。
墓前に語りかけるように、晶子が独り言を言いました。
「お父さん、晶子だよ?大きくなったでしょ」
私は数歩、下がったとこにいました。
晶子の声が少し小さくなりましたが、私にはしっかり聞こえました。
「お父さん、私ね、赤ちゃん産めるまで成長したよ。今日はその報告です」
私はそれを聞こえないふり、してました。
家に帰ると、晶子の母と私の母が共同で、赤飯を炊いてました。
晶子の母が言ってました。
「この日が来なかったら、どうしようかと思っていた」
晶子は恥ずかしいような様子でした。
いよいよ私は晶子に女を意識するようになっていきました。
晶子の裸を見てみたい、その気持ちを少し持つと、それが一気に膨れ上がり、その衝動を抑えれなくなってました。
「覗かれても騒いだりしてはいけない」
晶子は騒がないはずだの頭もあり、私はついに行動に移しました。
夏、晶子は学校から帰宅すると、風呂沸かしが晶子の最初の手伝いが日課でした。
暑いからなのか、晶子はどうやら水浴びをしてるみたいな音がしてました。
風呂場には通気用小窓があります。
私はそこから覗きました。
白い肌に盛り上がる胸です。
想像より遥かに大きい胸でした。
時代は昭和30年代初期、まだ女性用下着は粗末な物、特に都会から離れた私のとこなどは、胸にサラシを巻いてってのがまだまだ主流でした。
晶子もその口、おそらくサラシでかなり押さえつけてたようで、その予想を上回る大きさに驚いたのです。
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