両親は晶子母娘と、私が知らないとこで、会っていたそうです。
晶子母の悲惨な状態に同情し、健気に生きる晶子を母も気に入りました。
まだ小学生の晶子に、きちんと育てば、この子なら守男を任せられる、そう思ったらしいのです。
何故私に話しがないまま、話しが進んだのか、それも父が説明してくれました。
「お前にぐずぐず言われないためだ」
私はぶっきらぼう、無愛想、でも真面目、そう評していた父、私に嫁さん探しが出来るのだろうか、そうゆう考えからでした。
もう一つ、結婚は早い方がいい、父の考え方でした。
年齢がある程度行ってからでは、お互い固定観念が生まれる。
共通理解するには、固定観念に捕らわれない、若いうちがいいとの考えでした。
私はすっかり、両親の目論見通りに進んでいったのです。
晶子も両親が目論んだ通り、非常にしっかりした考えを持つ人へと成長しました。
晶子は私に、タメ口を聞いたことがありません。
今でもそうです。
守男「さん」、普通子供が産まれたりすれば、お父さんに変わったりします。
でも晶子は守男さんなのです。
「だって私のお父さんは、亡き父と守男さんのお父さんですから。守男さんは私のお父さんではないんです」
ごもっともな理由です。
私は晶子と結婚したあと、片っ苦しいからその敬語、止めてくれないかと頼んだことがあります。
「今こうして居られるのもお父さんお母さん、守男さんのおかげなんです。その方に礼を尽くさないほど、礼儀知らずではありません」
生真面目、一本気な性格そのものです。
ここはエッチな場所です。
最後にちょっとエッチな話しを。
私の性行為が下手だったからでしょう。
晶子が淫らに乱れる姿を見るようになったのは、実は家を改築して次男誕生のちょっと前までありませんでした。
30前にもう一人、そう思うきっかけは晶子が淫らに乱れる姿を見れるようになったから、それが嬉しかったんです。
ただ両親に晶子母、二人の子も同じ屋根の下に住みますから、大人しめに悶えようとしてる晶子に興奮しました。
生活設計上、三人で打ち止めにしましたが、今でいうレス夫婦にはなりませんでした。
現在私、先に書いた通りの76才で、晶子は74才です。
私はED薬処方してもらいながらですが、まだ晶子を抱いてます。
晶子の方は、なにの頼りにもならず、私を受け入れること可能です。
近所でも元気なジサマバサマで通ってます。
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