両親は何故、晶子母娘の面倒を見ることにしたのか、私は詳しいことを知らずに過ごして来ました。
幸せならそれでいいと、あまり深く詮索もしないで来ました。
父が晩年、私に理由を語りました。
普通、あの戦争当時、父の年齢なら当然、赤紙がきて召集されるのが当たり前です。
でも父は兵役についてません。
その理由は父、当時軍関係の建物の仕事をしてて、その人達に赤紙出すと、職人不足になり困るから、でした。
では何故晶子の父には赤紙が来たのか。
実入りのいい軍関係の仕事を、晶子の父が譲ったからそうなった、父はそう語りました。
つまり逆だった可能性もある、そうゆうわけでした。
先に人の親になった父に、晶子の父は仕事を譲ったんです。
戦争未亡人になった晶子の母のことも知りました。
「飯炊き女、お前も大工の息子ならわかるだろ」
よく言う、現場作業員のための賄いさんです。
「普通ならそうだ。だだトンネル工事の飯炊き女は、そうゆうものではない」
父は渋い顔して言いました。
「現場は何もない山、遊ぶとこもないのに、各地から作業員がたくさんくる。賄い、洗濯、掃除、作業員のシモの世話までするのが、トンネル工事の飯炊き女だ」
私が若い頃、いわゆる売春婦を、パン助とか言ってました。
「パン助とはわけが違う。あいつらは気にいった男に媚びを売る。でも飯炊き女は違う。好む好まざる関係なく、それをしなきゃならんのだ。しかもほとんど出稼ぎ作業員、チップみたいなのはほとんどあてにならない。賄いとしての金しか手にできないのに、やることはパン助以上を求められる。過酷なんだ」
私は知りませんでした。
「そんな状態の中に、仲間の娘晶子をいつまでも置いておけないだろ」
父は晶子に仕事を紹介したりし、山から連れ戻し、それでも生活がままならない晶子母娘。
共同生活なら負担軽く出来る、そうなったとき、聡明な子と晶子を気に入った父が、私の許婚にとなったそうです。
母は最初、猛反対だったそうです。
当然です。
よその女が入ってくるわけだし、ましてまだ中学になったばかりの私、私のことも考えての猛反対だったそうです。
母は、父と晶子の母、愛人関係ではないかと疑ったのも、当然と思います。
「断じてない!仲間の奥さんなんだ。俺の身代わりになって戦争にいったようなもんなんだ。その奥さんとなんて、俺はそんな男ではない」
そう突っぱねたらしいです。
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