そして私が20才になり、それまではあくまで婚約者、から正式に結婚をと動きました。
まだ18才の晶子は、母の承諾を得て役所に籍を入れ、私はそれまでお世話になった方々を呼び、簡単な結婚式も挙げました。
昭和35年、9月吉日。
場所はあの成田旅館、大広間宴会場でした。
あの日を知る女将さんの計らいで、間違いなく赤字と思える酒と料理の量でした。
父は大工仲間はグデングテンに酔っ払い、私を中学時代冷やかした奴らも祝福、私が勤める会社の上司、晶子の服直し店の奥様、入り乱れての宴会でした。
女将さんはさらに粋な贈り物を用意してました。
宴会終了後、私達は普通に家に帰る予定でした。
でも女将さんは、初夜なんだから二人っきりさせなさいと、私達に部屋を用意してくれたんです。
もちろんあの部屋です。
披露宴と言うより宴会がお開きになり、両親も晶子のお母さんも帰宅していきました。
部屋に通されました。
「あれ(避妊具)、持ってきてないぞ」
晶子は言いました。
「あの日を思い出して、今宵はあの時と同じで良いです」
宴会で多少飲んだお酒、あと疲れもありましたが、私は晶子を抱き寄せました。
そして深々と繋がり、あの頃よりは多少上達したか、晶子の奥深くにて終わりました。
晶子も相当疲れたとあって、私達はそのままぐっすりでした。
翌朝、女将さん二日酔いのためと起こしにきた仲居さんの声で目覚め、慌てて浴衣を着ました。
朝風呂、朝食、そしてまだ二日酔いの女将さんに挨拶をして帰宅しました。
我が家では父の大工仲間と宴会の続きをしたらしく、一升瓶はゴロゴロ、仲間や父はぐったり寝てました。
「寝るとこなくなったから、守男の部屋使わせてもらったよ」
不機嫌な母と、笑ってた晶子の母でした。
今のうちにと二人の母は、私達に封筒を渡しました。
「どこか温泉に一泊程度のお金しか用意出来ないけど、ちょっと、いつか暇みて新婚旅行にいってきなさい」
二人の母が、やりくりして作ったお金でした。
汽車で隣の県の、有名温泉に行けるくらいの金額でした。
有り難くいただき、ちょっとした新婚旅行も予定外に出来ました。
晶子も順調に服直しの仕事を身につけ、収入も多少上がり、世はまもなく東京オリンピック景気、私の給料も上がり、私と晶子は団地の抽選に見事当たり、私達は団地に移り住みました。
昭和37年、四月でした。
それまで両親や晶子母を気遣いながらの性交渉でした。
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