ご夫婦の営みのリアルな描写を拝読して、私達よりもかなり激しい営みだと感じました。
セックスは、お互い信頼できる相手としかできない蕩けるイベントですから、夫婦ならたくさんすべきだと思います。
しかしながら、スレ主さんに離婚歴があったとは存じ上げませんでした。
離婚は、心身ともに疲れますよね。
私は、心が砕かれてしまいました。
私の場合は、前妻に意外な相手と浮気されました。
処女から仕込んだ可愛い前妻でしたが、時々足首や手首にアザがあることがあって、おかしいなと思っていた矢先、浮気が露呈しました。
相手は、信じられませんでしたが妻の元上司で私達の仲人でした。
SMホテルに入るところを見られて、出てくるところを撮影されて金品を要求されて、耐えられなくなって白状したのです。
当然、脅迫してきた男も捕まりましたが、前妻と浮気相手の仲人も大きな打撃を受けました。
前妻の手首足首のアザは、縛られた痕だったのです。
「旦那しか知らないで一生を終わるなんて寂しいよ。色んなセックスを体験しないといい奥さんになれないよ。」
とか何とか言われたそうです。
前妻は泣きながら、可哀相なほど何度もごめんなさいを言って謝っていました。
私は、まだ前妻を愛していましたが、今後、夫婦としてそのまま暮らしていくことが、どうしてもイメージできませんでした。
このクソジジイ!と言いたくなる50代の仲人と、SMホテルで破廉恥な行為に耽っていた前妻と暮らしていける自信はありませんでした。
「申し訳ないが、無理だ・・・」
と言って、離婚しました。
私29歳、前妻26歳でした。
2人には高額な慰謝料を請求し、娘の親権も私がもらいました。
前妻は、まるで復讐するかのような私からの条件を全て呑んで、家を出ました。
酷く憔悴しきって覇気も失せた前妻は見ていて可哀相でしたが、鬼と思われてもとことん嫌われてやろうと思ったのです。
娘は実家で両親と兄夫婦に面倒見てもらいました。
なので週末はできるだけ娘と過ごすようにしました。
仲人は離婚することなく、慰謝料を支払ったらすべて解決とばかりに、普通に暮らしていたようです。
一方前妻は、いまだに独身でいるようです。
前妻に最後に会ったのは5年前、娘が成人するときで、前妻から連絡があって会いました。
その時、昔、前妻が使っていた真珠のネックレスを娘にあげようとしましたが、娘が拒否して、寂しく帰っていきました。
その哀愁に満ちた後ろ姿が今でも忘れられません。
そして、娘が嫁いだことをどこかで知ったらしく、昨年、例の真珠のネックレスを郵送してきました。
”私には、これを受け継ぐ人がいませんから、お送りします。不要なら、捨ててください。”
と書いてありました。
娘に渡すことも、さりとて捨てることも出来ず、見るのが辛いので、今も私の机の引き出しの奥にしまってあります。
私の死後、遺品を整理する娘がそれを見つけて、20歳の時に産みの母が渡そうとしたものだと気づいてくれたら、そして、添えてある手紙を読んでくれたら、きっと受け取ってくれるんじゃないか、そう思ってしまってあります。
離婚以来時々思うのは、もし、あの時前妻を許していたらどんな人生だっただろうか・・・という事です。
「もし」なんてことは考えても仕方がないのですが、その「もし」があれば、それと引き換えに私は美しい同級生と再会しなかったわけです。
前妻と再構築して幸せになったかはわかりませんが、前妻と離別して、今が幸せなのは事実です。
前妻も、妻も、変態的マゾヒズムの中で不幸を招いたという共通点があるような気がします。
だからどうというわけではないのですが、何だか、そこに虚しさを感じるのです。
締めが湿っぽくなって済みません。
これで、私がお話しできることは全て書き込みました。
このスレのおかげで、夫婦関係を見つめ直すことができたのと同時に、前妻への想いがまだくすぶっていることも確認できました。
しかし、前妻とは遥か昔に赤の他人、関わることは無いと思います。
スレ主さん、書き込みに丁寧な辺レスを頂きありがとうございました。
またどこかで違うテーマでお会いできたら、また語り合いましょう。
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