結局は他人様のポッキーなしのバカンスでしたネ。ボクにすリゃ惜しかった
ような、安心したような複雑な思いだよ。目のさめるような体験もなかった
代わりに、予期してないような危ない目にも遭わずに済んでるわけだしネ。
でも、こうした衣装にもどんどん馴れ親しんできた日々は蓄積になった訳
だし、内なるエネルギーとして活かされるはず。楽しみにしてます。
カメラに入れ込んだ若き(といって年月はそうたっちゃいないんだけど)
日々を思い返しながら昨日は送稿した後、一人で晩酌してました。おいしい
焼肉セットを魚にしたので、もう甘口ワインじゃ合いません。ハンガリーの
いつものマスカットワインとペアの赤ワインがあって、こいつを飲むつもり
だったのですが、頼んだのに冷やしてなくてスコッチ(いつものシーバス)
にしました。普通は赤は冷やさず室温で飲むんですが、こいつだけ例外的に
冷やしたほうが旨いんです、フフ。
高山植物の接写から、人間の花びらの接写に入れ込んでいった他人ならぬ
自分の興味の変遷ってけっこう必然性のある芸術精神の発展史じゃないか、
なんてこじつけを考えてたんですよ。まったくロクなことを考えませんね。
古人いわく、小人閑居して悪をなす、ってヤツですよ全く。ただ、ホントに
必然くさい気もするんですよ。高山植物の花だって人間さまのオメコだって
おんなじ生殖器でしょ?最高に美しく作ろうとして当然ですよね。なにしろ
美しくなけりゃ誰も寄って来ちゃくれませんから。
ハテ、植物なんて目もないから、美しいかどうかなんてどうして分るの?
と思いませんか?たしかに雄しべが雌しべに向かって「ボクはあなたを」と
口説くシーンはどんな映画にも出てこないはずですが、植物の世界にも恋の
仲立ちをしてくれるキューピッドが必ずいるんでして、こいつが美と醜とを
きびしく査定するんです。それは昆虫です。昆虫の目に美しく映るように、
とお花さんたちは設計されてるんです。
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