今から書く事は、この度私が投稿させて頂いた投稿理由です。私自身が投稿内で受けた性暴力。
しかしながら、それに反応して欲情した自分に対して許せない理由。それを語るには今から十数年前に
遡る事になります。私の人生の中で、決して忘れる事の出来ない人の事を書きます。読んで頂ける人からみれば、
読み終わった後、私の考えを理解して貰えないかも知れませんが、私は敢えてこだわっています。
書きますね。
私は高校卒業後、他県の短大に通いました。特別に勉強が好きだった訳でも無く、また有名な大学に受かる程の
能力も有りませんでした。取り敢えず、両親の勧めで短大だけでもと言う感覚で進学しました。
慣れない一人暮らしをしながら、出来るだけ親に負担を掛けたくないと思いアルバイトをしながら生活していました。
学校は男女共学ですが、比率は、8対2、位で女子が多かったです。そこで1学年上の男性に告白されて、交際が始まりました。
事実上、私の初めての男性です。彼も私が初めての相手だと言っていました。彼は大人しい性格で、私は特に気遣う事も無く、
楽に付き合える感覚でした。初めての性体験は、ただ痛いだけで、二度としたくないと思ったのが感想です。しかし、回数を
重ねる内に、痛みは無くなり、かと言って、欲情する程の快感も有りませんでした。私達は共に学生ですから、正しく避妊も行いました。
交際を始めて半年経った頃、彼に変化が表れました。原因は卒業後の進路が定まっていなくて、悩んでいたのです。結局、私には
何も相談無しで退学してしまいました。そして、実家に帰ってしまったのです。正直、それを知った時に、軽いショックを受けましたが、
そんなに引きずる程の事では有りませんでした。でも、私は交際期間は彼の事を想い、彼と初体験出来た事に後悔は有りませんでした。
ただ、その後落ち着いて考えると、男性なんてその場しのぎと言うか、(勝手なんだなぁ)と、決めつけてしまう自分になっていました。
それから私は、学生時代に数回交際を申し込まれましたが、男性不信が故に交際に踏み切れませんでした。やがて卒業を迎えて、その土地には
余り縁が無かったので実家に戻って、暫くぶらぶらして暮らしていました。家事をすれば両親も文句を言わなかったので、甘えて堕落した生活です。
実家では犬を飼っていたので、散歩も私の仕事です。そしてある日の犬の散歩中、向かいから歩いてきた若い男性が、「ユキ姉!」(ユキ姉さんの略)
と、声を掛けてきたのです。聞き覚えの有る呼び方に、私はその男性を直視すると、「帰って来たの?ユキ姉」と、再度呼ばれました。その男性は、
リョウジ君と言う、近所に住む二歳年下の幼なじみでした。「リョウ君!?」「そうだよ、俺だよ。ユキ姉黙って県外に行っただろ、俺寂しかったんだぜ」
私が、小、中学生の頃は、確かにリョウジ君とは遊んでいた記憶が有りましたが、高校生になった頃にはリョウジ君と話をしたり、それどころか、遊んだ
記憶も有りませんでした。5,6年振りに会った彼は見違える程の立派な青年になっていました。「リョウ君、大きくなったね。今何をしてるの?」リョウジ君の
近況を聞きました。「俺は今、自動車整備の会社で働いているんだ、資格を取る為に真面目に勉強もしてるよ」はつらつと話す彼に、私はとても新鮮な感覚を
受けていました。「ユキ姉は、何してるの?こっちに戻って働いてるの?」私は自分の今の状況を恥ずかしく思いましたが、「何もしていないの。堕落した生活」
「何だよ、ユキ姉、何か目標とか無いの?」「無いよ」私は取り繕う事もしませんでした。とても(無垢)に見えた彼の前では、見栄を張ることさえ恥ずかしく思えたからです。
「だったら、ユキ姉、車の免許は?」「免許は持ってるよAT限定だけど」自動車の免許は短大時代にアルバイトで貯めたお金で取得していました。「ユキ姉、車は?」
「母が乗ってた車を貰ったけど」「そうか、おばちゃんは、俺の会社で新車買ってくれたんだよ。その時、下取り無用って言ってたからユキ姉に譲るつもりだったんだ、納得」
私が知らない事実が分かりました。「ユキ姉さあ、まだ若いのに何もしないって時間が勿体無いよ、一緒に探そうよ仕事。」活発な彼の押し売りとも取れそうな勢いに
私はただ頷くだけでした。その日家に帰り、リョウジ君の事を母に話すと、「そうだよ、リョウちゃんのお蔭で色んな特典も貰ってね、アンタが帰って来たらと思って下取りに
出さなかったんだよ、リョウちゃんは下取りを勧めてたけどね。それより、リョウちゃんイケメンになっただろう?あの子はモテるよ、きっと」母が言うリョウ君の評価には反応しなかった。
母が言うまでも無く、リョウ君の容姿や話した印象は、私が感じ取っていたからです。その後、彼の協力も有って、私は自動車部品の製造会社に就職しました。特別な資格を持っていない
私は、事務職では無く、部品製造の流れ作業の1工程で仕事をしました。慣れない仕事に心身共に疲れる毎日でしたが、毎日の様にリョウジ君が自分の仕事が終わると私を訪ねてくれて、
それを心待ちにしている自分に気付きました。(私はリョウ君に恋している)けれど、決して私の口から、その想いは告げないと頑なに思っていました。最初の彼、優しかったけれど、
私に何も言わずに去って行った。その経験が私に(疑心)を植え付けていたのです。リョウジ君は、相変わらず元気なテンションで私に力を与えてくれました。彼の存在が慣れない仕事に
対しても、唯一私の支えでした。休みの日には私の家まで来て、私の車を洗ってくれたり、こまめに点検などしてくれました。「ユキ姉、この車はきちんと整備すれば、あと10年は乗れるよ」
「そんなに?でも、装備が古いでしょう?」「そうかなあ、俺は今の車みたいに過剰な装備は必要無いと思うけどなあ、これで十分だと思うよ。あっ、おばちゃんには内緒だよ、おばちゃんの車は
何でも付いてるからね。」洗車しながら、突然、「それはそうと、ユキ姉、彼氏って居るの?」私はドキッとして「どうして?そんな事いきなり聞く?」動揺を誤魔化しました。「いや、ごめん、
悪気は無いんだよ、ただ確認したかっただけだよ」「彼氏がいたら、今頃どこかにデートに行ってるよ」私は少し焦って言いました。彼は気取らないで「そうなんだ。だったら、この後俺の車で
ドライブに付き合ってよ、天気もいいしさ」私には断る理由など有りません。「別にいいけど、リョウ君こそ彼女はいいの?」私はドキドキしながら探っていました。「ああ、俺?俺は彼女居ないよ」
あっさりと答える彼に、私の動揺は何だったのかと、拍子抜けしたと同時に安心感とも言える嬉しさが込み上げて来ました。そして洗車が終わると彼の車に乗ってドライブに出かけました。思い起こせば
男の人と二人きりで車に乗るなんて初めてでした。最初の彼は免許を取得していなかったから。「ユキ姉、今日は無計画だったから、コンビニで何か買って食べようよ。」彼の提案でコンビニでサンドイッチを買い、
そのまま海に行きました。初夏の海はとても綺麗で、あちらこちらにカップルが居ました。(私達はどんな関係に見られているのだろう)私は人の目を少し気にしていました。リョウジ君は、いつもと変りなく、
私に話しかけてきますが、私は緊張していました。でも、聞いてみたくなり、「どうして、私を誘ってくれたの?折角の休日に」すると、「好きだからだよ」「えっ・・・!」「好きだからって言うより、
俺、小さい時からユキ姉が好きだったんだよ、今まで」思いもしない告白でした。心の中では、(もしかしたら、リョウ君も想ってくれてるかも)と、期待もしていましたが、一緒に遊んでいた頃からと聞かされ
私の期待を超えていました。何も言わない私に、「ユキ姉、俺と付き合ってくれない?付き合うってさあ、恋人としてだよ、俺、年下だけどユキ姉を大切にする自身があるんだ」私は声になりませんでした。「ユキ姉、
俺じゃ、ダメかなあ」「そんな事無い・・・」やっとの思いで絞り出した声でした。「やったあ!思い続ければ願いは叶うんだ、諦めなくて良かったよ」そう言うと彼は私をギュッと抱きしめてくれました。
その日家に帰った私は、母に「お母さん、私ね、彼氏が出来たの」母は、私の言葉に嬉しそうに「リョウちゃんでしょ」「ええ、どうして分かったの?」そして母から聞かされた事は、私が高校を卒業後、他県に進学した
事を知ったリョウジ君が、私の事を想っていたと言っていたそうなのです。リョウジ君との交際は、私の両親も向こうの両親も賛成してくれて、元々近所だったので、より一層深い家族ぐるみの付き合いが始まりました。
リョウジ君と付き合い始めた私は、毎日が楽しくてとても幸せでした。そして、「ユキ姉、今度の連休にさあ、車で旅行に行かない?」「うん、行きたい。連れていって。」初めて泊りで旅行に行きました。私達はキスは
デートの度にしていましたが、それより深い関係にはなっていませんでした。そして、旅先での初めての夜、「ユキ姉、そっちに行っていい?」二組並べられた布団の片方から彼が声を掛けてきました。「うん、来て」私は
心から彼を求めていました。「ユキ姉、俺、経験無いんだ。うまく出来ないかも知れないから教えてよ」私は今夜結ばれる事を確信していたので、避妊具は準備していました。彼もそれを気にしていたのか、準備していました。
部屋の薄明りの中で、彼が優しく愛してくれて、避妊具を着けると、私は彼を誘導して一つになりました。そして彼に愛されている間、私は彼の存在をしっかりと確かめる様にその喜びに浸りました。行為が終わった後、
「リョウ君、私は初めてじゃない事、分かったでしょう?」「何言ってるの?ユキ姉。そんな事言わなくていいんだよ。そんなものに大した価値は無いよ。拘らなくていいよ。俺は今、ここにユキ姉が居てくれればそれだけでいいんだ」
私は後悔していた。最初の彼の事は、勿論あの時点では好きだった。だからそんな行為に至ったのですが、愛情の重さの違いに気が付いた時に、(もっと待っていたら)そう思ってしまいました。私は暫くしてもう一度彼を
求めました。本当に好きな人に愛され抱かれる事の喜び。私はこの人との巡り合わせに感謝していました。それから交際は順調に進み、彼との結婚も意識して将来の生活設計についても話をしました。彼の語る夢は大きくて、
私もワクワクしながら聞いていました。「ユキ姉、結婚したらさあ、暫くは節約してお金を貯めてさ、大きな家を建てようよ。俺達二人だけじゃなくってさ、子供が出来たら子供達も、伸び伸びと育てられる大きな家がいい。たまに、
どちらかの親が訪ねて来ても、余裕で泊めてやれる大きな家だよ。」「そうだね、大きな目標だね」私は彼の抱く未来を想像していました。「ユキ姉、諦めなかったら願いは叶うって、俺が言った事覚えてる?」彼が私に交際を申し込んでくれた
日の事だ。「ユキ姉を諦めなかったから願いが叶ったんだ。だったら、金で買える物なら頑張れば簡単だよ」夢を語る彼の顔は生き生きとしていた。何事にも前向きな彼の姿勢には、本当に頼もしさを感じていました。そんなある日、
「ユキ姉、紹介するよ。俺の会社の仲間だよ。ヒロシって言うんだ」「こんにちは、○○です。リョウジには話に聞いています。宜しくお願いします」「こんにちは、○○です。こちらこそ、お願いします。」現在の夫と初めて会った時の挨拶です。
「ヒロシは塗装専門でね、俺は整備だから、仕事場は別だけど歳も一緒で気が合うんだよ。ヒロシも彼女居るから、今度四人で遊びに行こう」彼は行動力が有るので、私は必死に彼について行きました。それは幸せな時でも有りました。
交際を始めて1年が経った頃、彼が「ユキ姉、ちょっと手を出して」私が手を差し出すと、薬指に指輪をはめてくれました。「リョウ君、これって」「それはねえ、婚約指輪じゃ無いんだ、婚約の約束、つまり、婚約指輪の二軍だよ。もっと頑張って、
本当の婚約指輪をプレゼントするからね」私にはこれで十分でした。こんなにも想われて、幸せでした。「リョウ君、いつまでもユキ姉って呼ばないでユキって呼んでよ」私は(ユキ姉)と呼ばれ続けて来たので、その呼び方に違和感は無かったのですが、
彼に、(ユキ)って呼んで欲しいと思っていたのです。しかし、「いや、まだ早いよ。俺は仕事に自信が持てて、ユキ姉と正式に結婚できたら、そう呼ばせてもらうよ。それまで待ってて」純粋な彼の言葉に、私は自分のエゴを恥ずかしく思いました。その後、
「ユキ姉、この前紹介したヒロシ、覚えてるだろ。」「うん、覚えてる」「アイツ、彼女と別れたんだって、今日言ってたよ」「どうして?」「何だか、冷めたんだって、ヒロシが彼女に」「そうなの・・」「ヒロシも仕事人間だからな、没頭すると他に目が
届かなくなるんだよ。俺の中のランクは1番がユキ姉、2番が親、仕事は3番位かな、でも仕事に手抜きはしないよ。その場で頭を切り替えるんだ」「でも別れた彼女は可哀想ね」「そうだな、俺もそう思うけど、よく分からないなあ」
私はこの時、私の彼がリョウジ君で良かったと思っていました。別れた彼女の事を可哀想と言いながら、自分でなくて良かったと思っていたのです。酷い女です。それから、半年位経って、リョウジ君が頻繁に頭痛を訴えるようになりました。私は心配になり、
大きな病院で検査する様に頼みましたが、彼の持ち前のプラス思考で「大丈夫、仕事疲れだよ。季節の変わり目だしね、心配いらないよ」案じる私に心配無用の微笑みを見せるのです。しかし、それから数週間後、職場で倒れた彼は救急搬送されました。
検査の結果、脳腫瘍でした。手術をしましたが、医者のお話では、腫瘍を取り除くには限界が有り、病巣も危険な箇所に有るそうで、年齢的にも進行が速く、完治は絶望との事でした。私は、身体中の血の気が引いて、(どうして?)この非情な事実を
受け入れられませんでした。彼の治療は抗がん剤と放射線だけで、事実上の延命治療でした。毎日病院に行って彼の状態を看ていましたが、回復の兆しは無く、衰弱して、会話もままならなくなり、とうとう最後の日に、辛うじて囁く様な擦れて声で、「約束を
守れなくてごめん、ユキ・・・・。」彼の最後の言葉でした。最初で最後の一言、「ユキ」と呼んでくれましたが私が望む形では無かったのです。数時間後に彼は息を引き取り、私は絶望の坩堝に居ました。
(もう何も出来ない、何もいらない、リョウ君のところへ行きたい)そう思う毎日でした。私は仕事も辞めて家に塞ぎ込んでいました。そんな時、現在の夫が度々訪ねてくれていましたが、私は会いたくも無かったのです。でも、彼(夫)は定期的に家に来てくれて、
見かねた母が、一度位会うように促し、私は彼を部屋に招きました。彼は色々と私を励ましてくれましたが、私はそれを上の空で聞いていました。それでも彼は時間が有る度に来てくれて私を元気付けてくれました。そんな事が続き、ある日、彼から聞いたはなしですが、
リョウジ君が自分の病気に気付いた時、ヒロ君を呼んで、ヒロ君に現在、新しい彼女が居ないなら、自分が居なくなった後、私が立ち直るまでサポートして欲しいとの事でした。にわかには信じられませんでしたが、リョウジ君の事を考えれば言いそうな事です。それを裏付ける
様に、私の母も、リョウジ君から同じ事を聞いていたそうです。「自分の友達に頼んだから、おばちゃん、ユキ姉の事は大丈夫だから」って。私は、自分の病気の事よりも、最後まで私の事を心配して逝ってしまったリョウジ君の愛情を噛みしめました。そうして
ヒロ君の話も徐々に聞くようになり、ヒロ君は初めは私に同情していた様ですが、いつしか愛情を掛けてくれて、私もヒロ君の愛情を次第に受け入れる様になりました。それは、リョウジ君が他界して3年経った頃でした。時の流れは、残酷にも最愛の人の想いを薄めてゆきます。
しかし、同時に悲しみも癒してくれるのです。私は今でもリョウジ君がくれた婚約指輪の二軍を持っています。勿論、夫も承知しています。リョウジ君との想い出の品や写真も全て有ります。あの時の絶望的だった私を救ってくれたのは、時の流れと現在の夫です。
今でも、夫には恩を感じ続けています。長々と書いてしまいましたが、私は今まで身体を重ねた相手は、愛する人だけ。それにこだわっていましたが、今回投稿した中で登場するカトウさんに、凌辱され、不覚にも欲情した事が心底許せないのです。淫乱な女、最愛の想いを上書きされる程、
欲情する最低な女です。私はこの想いを(リョウジ君)に謝りたい、申訳ない思いに苛まれる事があります。このサイトに投稿して、私の強欲、淫乱な態度を戒めてもらえればと考えました。しかし、当初の想像とは反して、御理解や、擁護など、温かい励ましをもらいました。
それでも、一生、私はその事実を背負って行かなければいけないと思っています。夫が、私を自分の性欲の材料にしたのかも知れませんが、それに反応して、途中から受け入れた事は、私の責任だと思っています。
最後に、読者さん、ゆうゆさん、9さん、本当にお世話になりました。
貴方たちの、一言、一句が、これからの私の成長に繋がると確信できます。
本当に、まとまりの無い終わり方ですが、当時を思い出して感情的になってしまいました。
大変、失礼いたしました。 皆様、ありがとうございました。 ユキ
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