A子(妻)の中出し動画を見た日から、数週間ほどした頃だったでしょうか。
大きな事件が起こりました。
何とこの頃、A子(妻)が妊娠してしまったようでした。
A子(妻)から直接聞いたわけではないのですが、A子(妻)のかつての同性の友人たちなどがしきりに噂をしていたのが何度も聞こえてきたので、どうやら事実のようでした。
しまいにはK先輩自身が、まるで自分の手柄かのように大声で友人達に自慢している声まで何度か聞こえてきていました。
大学なんて狭い世界で、大学生たちは噂好きな年頃です。
そのためA子(妻)がK先輩の子どもを妊娠したらしいという噂は、大学のクラス中にあっという間に広まりました。
その影響でA子(妻)は大学に居場所がなくなり、やがて大学に全く来れなくなってしまいました。
そしてそれから数ヶ月後、A子(妻)が大学を中退したという噂を聞きました。
A子(妻)が退学した後のことです。
今でも覚えているのですが、ある日、私が一人で大学の学食でお昼を食べていると、近くでK先輩を含めた5人ほどの集団がワイワイ話をしていました。
「A子、お前のせいで大学いづらくなって辞めちったじゃん笑。」
「まーなー。危険日だったらしいんだけど、まさかホントに一発でデキるとは思わんかったわ笑。」
「お前の精子、どんだけ生命力強いんだよ笑!!」
「A子のマンコを一発で撃ち落とした、ヒットマンKの誕生でーす笑」
「ギャハハ笑!!」
K先輩と友人たちが、A子(妻)を妊娠させてしまった事実について本当に何とも思っておらず、あまりにも軽いノリで話しているのを聞いてしまい、私はショックのせいか怒りのせいかわかりませんが、動悸がしてきました。
「てか、あの後めっちゃA子から結婚迫られてさ。俺のガキ産みたいんだと。結婚なんてまだまだするわけねーし、そもそもアイツとするつもりもねーから笑、最終的に堕すための手切金渡して、着信拒否にしたわ笑。」
「お前、ホントにつくづくヒドい悪魔だよな笑。」
「まあでもA子って、初めて見た時から思ってたけど、ケツもおっぱいもデカくてなかなかエロいカラダだったから、元々妊娠しやすかったんじゃねーの?笑」
「確かに!!てか写真と動画見たけど、アイツのカラダマジでエロかったよな笑。Kがバックで突いてる時なんて、ケツはデカいし、おっぱいはぶるんぶるんしてるし笑。ホント、男にザーメン出させるために生まれてきたようなカラダだったよな。俺も一発ヤリたかったわ~笑。」
「あんなカラダしてっから、Kに狙われて孕まされちまうんだよ笑。こりゃあ、完全にA子の自業自得だな笑。」
「判決の結果~、Kを無罪とする笑!!」
「ギャハハ笑!!」
私は怒りに打ち震えました。
A子(妻)は、中絶のためのお金だけを渡され、そして無理矢理別れさせられたようでした。
私は、K先輩のあまりの鬼畜ぶりに吐き気がしました。
私にあと少しの勇気があれば、私が唯一仲良くしていた大切な女の子を私から奪っただけでなく、茶髪で煙草を吸って全裸で踊り狂うようなギャルに変えさせ、最終的に孕ませた、このあまりにも憎い男に殴りかかっていたと思います。
しかし当時の私には、K先輩とそのとりまきの連中がまるでチンピラかのように見えており、恐くてそんな勇気が出ないどころか、写真と動画を恵んでもらって情けなくオナニーする始末でした。
結局、A子(妻)とは大学時代その後一度も会えることなく、私は大学を卒業して就職しました。
大学を中退したA子(妻)は、噂ではその後地元に帰ったらしいとのことでした。
妊娠したお腹の子どもは、その後中絶したのかどうかまでは、私には情報がなくわかりませんでした。
そして、卒業から7年くらいの月日が経ちました。
私はこれまでと変わらず、彼女もできることなく地道に働いて、一人で生活する毎日を続けていました。
そんなある日の終わり、ふと、A子(妻)は今どうしているのだろうと思ったのです。
これまでの私なら、そう思っただけで何も行動せずに終わっていたと思います。
でも私も大学を卒業して7年が経ち、30歳になろうとしている頃で、当時よりもだいぶ図太くなってきていたのかもしれません。
私はA子(妻)にすごく久しぶりにメールをしてみました。
返事はないかもしれないと期待せずに考えていましたが、思いがけず、割とすぐに返事がきました。
それからメールを何度かやりとりして、なんと私はA子(妻)に直接会えることになりました。
A子(妻)も、懐かしいので久しぶりに私に会いたいとメールに書いてありました。
A子(妻)はやはり地元で暮らしているとのことだったので、私は休日にそこまで会いに行きました。
久しぶりに会ったA子(妻)は少しふっくらしていて、まだ茶髪ではありましたが、当時ほどのギャルっぽい雰囲気ではなくなっていました。
A子(妻)も私に会えてすごく嬉しそうにしていました。
私たちは駅近くのカフェに入り、何時間も積もる話をしました。
驚くことにA子(妻)は、あれから地元に帰った後、中絶することなく、K先輩の子どもを出産したとのことでした。
妊娠した後、どうしてもお腹の子どもを産みたくて仕方なくなってしまったのだと言っていました。
そして現在はシングルマザーとして、昼間は事務の仕事をして、夜は時々風俗の仕事をしているとのことでした。
「風俗の仕事!?」
と私は思わず聞いてしまいました。
A子(妻)はすごく気まずそうにしていましたが、よく話を聞いてみると、本番などの行為はなく、いわゆるおっぱいパブと言われているところのようでした。
私は、A子(妻)が生活費を稼ぐために仕方なく、お店でTバック一枚だけを履いた裸同然の姿になり、性的奉仕をするためだけの女として見知らぬ男にまたがっておっぱいを吸われているような姿を想像して、不謹慎にもその場で勃起しそうになりました。
その後も私たちは色々な話をして、その日は別れました。
しかし、その日がきっかけとなり、私たちはまた会う約束をしては定期的に会うようになりました。
A子(妻)は自分の子どもも私に会わせてくれました。
どこかK先輩の面影がある、顔の整った美形の女の子でした。
私は回数を重ねるうちにこの子とも仲良くなりました。
私は、この子はK先輩が数秒間の快感を味わうためだけに、A子(妻)のマンコの中に精液を無責任に放出した結果、生まれてきた子なんだよなぁとか、A子(妻)の卵子とK先輩の精子が合体して、遺伝子が絡み合ってできたんだなあとか、ひどいことを考えてしまうことも正直ありました。
でも不思議なものでなぜか自分の子どもでなくても、会えば会うほど自分の娘のように可愛く思えてきました。
ある日、私はとうとうA子(妻)にプロポーズをしました。
A子(妻)は、「本当に、こんな汚れきった私で良いの・・?」と何度もきいてきましたが、私はA子(妻)とA子(妻)の娘と一緒に家族になる決心をしていました。
A子(妻)は、号泣して喜んでくれました。
こうして私と妻は結婚して夫婦になり、その後、私たちの間にも子どもができました。
ただ、私は妻と今でもセックスをするのですが、妻を裸にするたびに、この身体はK先輩に散々に使い込まれた身体なんだよな・・とどうしても思ってしまいます。
マンコはK先輩のチンポを何度も気持ち良くさせたために、卑猥な色と形になっていましたし、アナルも写真や動画で見た時のような綺麗なピンク色ではなく、アナルセックスを経験したことがはっきりわかる、痔のようにぷっくり膨れて非常にいやらしい形になってしまっていました。
K先輩にしっかりと教え込まれたのでしょう、初めてフェラをしてもらった時はあまりに上手くて驚きましたし、何も言わないのに当たり前のように、私の乳首を舐めながら手コキしてくれた時は慣れすぎていて驚きました。
妻とセックスするまで童貞だった私とは、性経験の豊富さがあまりに違いました。
初めての時は童貞と処女のようなピュアなセックスが私の理想でしたが、現実として、妻は男に抱かれたことのあるれっきとした非処女でした。
「A子のおっぱいも、マンコも、アナルも全部先に使っちゃったわ、ごめんな笑。ついでにしっかり孕ませといたわ笑」
というK先輩の声が今にも聞こえてきそうです。
女子大生時代の、みずみずしくて弾力のある、若い頃の妻の身体を好き放題抱いたK先輩が本当に羨ましいですが、私はこれからも妻と一緒に、ささやかに暮らしていきたいと思います。
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