そのことが縁で、その後も田中君の相談をことあるごとに聞く羽目になりました。とはいえ相談というより経過報告といった内容で、酔って話を聞いたときのような際どい内容にはなりませんでしたし、まさか私のほうから催促するわけにも行かず、私は適当に相槌をうつだけでした。
そんなある日、彼が血相を変えて私のところへ電話をしてきました。
彼女から別れを切り出されたそうです。
まぁ、頑張れよ 君は若いんだから、次の相手もすぐに見つかるさ。
励ましたものの、彼のあまりの憔悴ぶりにいたたまれなくなった私は、仕方なくいつもの居酒屋で彼に付き合うことになったのです。
田中君は、電話で話した時以上に憔悴しきった様子で彼女から別れ話を持ち出された顛末を話し始めましが、私はさほど意外には感じていませんでした。それまで彼ら二人のやりとりを聞いていて経験上、別れが遠くないことを予想していたからです。
しかし、当の本人にしてみれば晴天の霹靂だったのでしょう。
深く肩を落とす彼を見て、他人事とは言えその気持ちもわかるような気がしました。なんとなく別れに向かっていることを感じていたとしても、当人が信じたくないと思っていれば、その予感を拒絶するのが寧ろ普通でしょう。
自分の過去を振り返れば、そんなこともあったよなと、同情を禁じえなかった私は、彼に合わせるように杯を重ねました。
この前のように彼を介抱することになっても、「今日くらいは仕方ない、この傷心の若者に付き合ってやろう」とそのときは考えていたのです。
ところが、そうはなりませんでした。元々、私は特別酒に強いわけではありませんでしたし、私と彼の体格差を考えても、同じ酒量を飲めば、私のほうが先に酔いつぶれるのは火を見るより明らかだったのです。
たまたま、先日は私が意識的に酒量を抑えたから彼が先に撃沈しただけだったことに気がついた時はすでに遅く、一人では歩くものも覚束ないほどに酔いがまわっていました。
結局、彼に私の家まで送ってもらうことになったのです。
自宅では妻が出迎えてくれました。
妻は田中君とは初対面でしたが、事前に電話で事情を伝えていたこともあり、ドアを開けるなり挨拶もそこそこに何度も頭を下げていました。
田中君は私を居間まで抱きかかえて、ソファに寝かせ、すぐに帰ろうとしたのですが、妻がそれでは申し訳ないと引き止めました。テーブルの上には妻が予め用意しておいた酒肴が数皿並べてありました。
「ほんとにご迷惑をおかけして申し訳ありません。よかったら召し上がっていってください」
「いえ、こちらこそ遅くにすいません。では、お言葉に甘えていただきます」
私は意識があったものの、吐き気を堪えるのに精一杯で、横目で彼が旨そうに妻の手料理を平らげるのを眺めるだけでした。
「簡単なものばかりで申し訳ないんですが」
「いえ、そんなことないです。おいしいです、すごくおいしいです」
私の食が細いこともあり、巨漢の若者の旺盛な食べっぷりは新鮮だったのでしょう。料理好きの妻は、自慢の料理を片っ端から上手そうに平らげる田中君を嬉しそうに見つめていたのでした。
そこから先は記憶がありません。
ソファで高いびきをあげ寝ていた私が次の日の朝、妻から聞いたところによると、その晩彼は小一時間ほどで帰ったそうです。
その時の様子を語る妻が、妙にはしゃいでいるように見えました。
二日酔いでふらつく足元で、玄関を出ようとする私を見送りながら、妻が言いました。
「ねぇ、あなた、田中君、またご招待してあげたら。今度はもっとちゃんとしたものを用意するから。」
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