話は、私が勤務先の大学の学生との新歓コンパに参加したところから始まります。
副顧問を務めるラグビー部で、顧問の教授が学会で参加できなくなったため、引率役として一次会のみ付き合うよう頼まれたのです。
毎年のこととはいえ、憂鬱な気分でした。
副顧問という肩書きはあるものの、私自身ラグビーの経験は全くありません。それどころか小中高大と通して、体育会系のサークルや部活に所属したことさえありませんでした。
なぜ、そんな私が副顧問にと思われる方もいるかもしれません。でも、それは私の勤める地方の国立大学では決して珍しいことではありませんでした。
もちろん、すべての国公立大学がそうではなかったかもしれませんが、少なくとも私の勤務先では、体育会系の学友部といえ、基本的に部の運営は学生が担うというのが基本理念であり、副顧問の私はもちろん、顧問を勤める教授でさえ、試合に同行したことさえないというのが当たり前でした。
しかし、そうはいっても、僅かとはいえ顧問としての手当てを支給されている以上、一応の監督責任は果たすべきと考えたのか、年度初めの新歓コンパと、年度末の追い出しコンパの一次会だけは、顧問、副顧問のいずれかが顔を出すのが慣例となっていました。
私自身酒が嫌いではないこともあって、年に数回、若者たちと酒席を共にすること自体を否定していたわけではありません。それでも毎度憂鬱な気分にしかならない原因は私の身体的コンプレックスにあります。
プロフィールで紹介したとおり、私の体格は近年成長を続ける日本人の平均からみれば、小柄な部類に入ります。しかも、格別運動能力に優れたわけではなかった私にとって、地方の大学とはいえ、それなりの経験と屈強な肉体を持つラガーマン達に囲まれての酒席は苦痛以外のなにものでもなかったのです。
その日も、会場の居酒屋までの道のりは、例年同様、長く苦痛に満ちたものでした。
やっとのことで暖簾をくぐり、店員に案内されて個室に通されたのは開始時間から10分遅れてのことだったと思います。
引き戸の向こうから聞こえる若者たちの嬌声に、私はうんざりした表情をかくそうともせず入室しました。ほとんどの学生は私に気付くことも無く、赤ら顔で安酒をあおっています。入り口に一番近い席に座っていた幹事と思しき学生が私の姿を認め、一応空いていた上座に誘導してくれなければ、私は踵を返していたかもしれません。
「教務、ご苦労様です。こちらへどうぞ」
言葉とは裏腹な、面倒くさそうなそぶりを隠しもせずに案内された席に腰を下ろすと、左隣の一際体格のいい学生の姿に目を奪われました。
「こんばんは、お疲れ様です」
まだ座っていない私と、座ったまま視線が重なるほどの体躯の彼は、正座したまま深々と頭を下げ私の席の座布団の位置を整えました。
「ありがとう」
座った後、彼の体を見上げます。すごい体です。そして、その巨漢と、彼の柔和な表情に見覚えがあることを思い出しました。
「あれ、君は確か」
「その節はお世話になりました」
「確か、田中君、だよね」
奨学金の相談につきっきりで乗ってあげたことがあって以前から顔見知りでした。
身長195センチ、体重110キロ、体格だけなら代表クラスの田中君でした。
知り合った当時から、そのいかつい見た目とは裏腹に、打っても響かないというか、説明に対する反応が鈍く、とにかく「この子大丈夫かな」という印象でした。
私自身、取り立てて仕事熱心なわけではないのですが、その時はなんとなく放って置けなくなり、結局申請書類のほとんどを私が記入したのを覚えています。
その晩の酒席で右隣にいた先輩部員によると、彼は性格がおとなしく、決して身体能力が低いわけではないのだが、試合になると、萎縮してしまい活躍できずにいるとのことです。
まぁ、そうだろうなというのが私の印象でした。
共通の話題があるわけでもなく、会話が盛り上がったわけではなかったのですが、今年のワールドカップのこと等、適当な世間話に相槌を打つうちに時間は過ぎ、お開きの時間となりました。
最低限の仕事は済ましたと思った私は、二次会の行き先で盛り上がる学生たちを尻目に席を立ち、暖簾をくぐり階段を下りました。
表通りに出て、タクシーを呼び止めようとする私を背後から呼び止める声に気づき、振り向くと、先ほどまで右隣に座っていた巨漢の学生が一人で所在なさげに立っていました。
「田中君。どうした」
「西村さん、もう一軒、付き合ってもらえませんか」
正直、八割方、帰りたい気持ちでした。
しかし、彼の切迫した表情を見て、なにか捨てて置けないと思ったのか、若者の悩みに付き合うのも教育機関に勤める自分の使命だと感じたのか
「一軒だけだぞ」
右手を下ろして、彼に微笑んだのです。
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