それからの嫁は、娘との関係は母親でしたが、私との
関係は、身の回りをお世話するメイド。 また、有る
時は、性のはけ口となる女でしかなくなりました。
外では、仮面夫婦です。
娘が生まれて嫁の体調に異変が有り、その結果、
2人目の子供は授かる事の出来ない体になっていました。
こんな出来事があるまでは、私も嫁をいたわっていました。
娘が一人いるだけでも、ありがたい、とも感じていました。
子供を産めない体になってしまった事は事実ですが、
その他は、いたって健康そのものでした。 そんな嫁を
いたわる気持ちは無くなっていました。 嫁を抱くときも
男の事を話しに出すようになりました。 嫁は、辛そうな
顔をしましたが、そんな顔を見ると、余計に冷たくする事で
私の気も晴れました。 いつしか興奮の材料にもなっていました。
初めの内は嫁も私から男の事を言われると、「もう、その事は
言わないで。ごめんなさい。」と言っていたが、「何を勝手な
事いってるんだ!お前が俺にお願い出来る立場か!」と怒鳴り
つけると無口になりました。今では、嫁も私から罵られても
何も言わず、表情だけが悲しそうに耐えています。
あの出来事があってから1年程した時、父親が急な病で他界しました。
死因は、心筋梗塞でした。 スーパーで買い物をしている時に
倒れたらしいです。 母親は早くに亡くしオヤジ一人で生活をして
いました。そんな中、買い物中の事でした。 それでも周りに
人が居たので発見してくれましたが、家で倒れていたら発見が
遅れていたと思います。 そんな事も有り仮面夫婦のまま実家に
戻り葬儀を済ませ親の身の回りを整理しました。
元々、私が小さい頃は、町から離れた山のふもとに住んでいました。
近くには川が流れ、小さな畑もありました。
私が小学校に上がる前に町に近い場所に家を建て、生活していました。
それまで住んで居た家は、親父の趣味である農作業もあり手放す事無く
利用していました。夏には、よく泊まりで旧家で生活をしたりして
チョットした別荘みたいな感じでした。 この旧家にも確認の為
足を運びました。 懐かしく感じました。 もう何年来ていなかった
のだろうか? 最後に旧家に寝泊まりしたのは、私が高校3年の
最後の夏休み。 友達も一緒に泊まり夏を過ごした思い出です。
周囲に家は有りましたが、家の前にある畑があり農道を挟んで
ご近所の家がありました。家の裏は裏山になっていたので、若者が
夜遅くまで大声で騒いでも迷惑は掛からなかったと思います。
久し振りに訪れた旧家の中に入ると、少しの生活感がありました。
電気も水道も通っていました。 冷蔵庫の中にはペットボトルの
お茶も有りました。布団も置かれていました。 親父も定年後
多分、この旧家で泊まったりしながら趣味の畑作業をしていた
のだと思います。 一緒に行っていた、まだ5歳の娘はお爺さんが
亡くなった事よりも自然に囲まれた場所に大はしゃぎしていました。
一人息子だった私は、数回に分けて実家に戻り残った家をどうするか
片付けをしながら考えていました。 不動産屋にも相談に行きました。
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